武官、天化との再会を喜ぶ
崑崙の仙道を蝕んでいたダニ。その宝貝によるダメージを回復するために、太公望は四不象を実家へと送った。
そして四不象はすぐに帰ってきた。太公望の要望通り、父であるスープーパパを連れて。
彼らスープー族の大人には宝貝エネルギーを食べる力があった。太公望は趙公明戦で知ったその能力を思い出し、四不象を遣いに出したのだ。
ーーこれで、戦いの準備は整った。
後は太公望の策に従い、聞仲を集中攻撃するだけだ。太公望と普賢真人、二人が餌となり聞仲を引き付けている間に。
一刻も早く、そしてできる限りの戦力を揃えて、彼らの元に向かうべきだ。
ーーだが、名前には気がかりがあった。
「別行動をとらせてはいただけませんか?……きっとまだ"彼"はあちらに残っているでしょうから」
勝手を言っているのは理解している。
それでも名前は楊ゼンに懇願した。そうするしかなかった。そうせずにはいられなかった。
名前の言葉に、楊ゼンは微かに目を見開いた。なぜ、と言っているかのように。なぜそんなことがわかるのか。たぶん楊ゼンが感じた一番の疑問はこれだろう。
しかしそれに対して名前は明確な理由が示せない。そんな気がする。ただそれだけだった。だから気配を感じたのも、彼ならそうするだろうというのも、すべては思い違いで見込み違いかもしれない。
ーーでもきっと"彼"はあそこにいる。
そんな根拠のない自信に、けれど楊ゼンは顎を引いた。
「……いいでしょう」
「ありがとうございます」
それに名前は深々と頭を下げることで応えた。
「ですが無理はいけません。これより先の戦いは一層激しさを増していくでしょうから」
「……はい」
危険を感じたら撤退しろ。そう楊ゼンは言いたいのだ。
彼の優しさに名前は頷いた。勝手をするのは名前の方なのに、彼はまだ案じてくれている。それが嬉しく、心苦しい。
だからせめて、誓ったことだけは守りたい。
そう考えていた名前が割合早く天化を見つけられたのは幸運と言いようがないだろう。名前には武吉ほどの嗅覚はないのだから。
ただ彼ならこうするだろう。それだけを頼りに、名前は金鰲島を駆けた。駆け続けた。彼のことを案じながら。餌となっている太公望たちの無事を祈りながら。名前はただひたすらに駆けた。
「名前……っ!?」
そして、巡り会うことができた。
彼と彼らの家族に。
「よかった、無事だったのですね」
「名前こそ……」
再会を喜んだ名前は、咄嗟に天化の手を握っていた。両手を包み込み、抱き締めていた。それに、天化も応えてくれる。一瞬戸惑ってから、けれどすぐに。心から嬉しそうに笑ってくれた。
天化たちは金鰲島の片隅、外壁のすぐ近くにいた。金鰲島の核からは最も遠い場所だろう。だがこれからの戦いを考えればここも危うい。退避するのが最善だ。
それを伝えると、黄飛虎は難しい顔をした。「そうか、」と静かにいい、目を落とした。
黄家は殷の出身だ。王家に長らく仕えてきた家だ。黄飛虎自身も武成王に任じられ、太師である聞仲とも親しくしてきた。そう、名前は聞いている。
だから彼の心中は複雑なのだろう。できるならきっと自分の手で、仙道ではなく太師の聞仲と戦って、そして彼を止めたかったろう。殷のためではなく、聞仲の友として。
だがその願いは果たされそうもない。聞仲は既に仙道として戦っているし、戦いは天然道士が介入できるような生易しいものではなくなっている。名前も黄飛虎も、見ていることしかできない。信じて、待つことしか。
「……きっとまた、お話できます。戦いの後、落ち着いてからなら聞太師もきっと」
「そう……だといいな」
黄飛虎は苦く笑った。
名前のそれは儚すぎる夢だった。あまりに遠く、掌からすり抜けていく夢。慰めにしかならない。そうわかっていても名前は口にせずにはいられなかった。たぶん黄飛虎も。
「つーか、それなら俺っちもそっち行かねぇと。コーチも出張ってるってんならなおさらさ」
「でもきっと太公望どのに止められますよ……?」
「それでもさ。師叔たちだけに任せっきりになんてできねーよ」
天化はにぃっと笑って、今度は彼の方から名前の手をとった。その手は名前の記憶よりも大きく、温かく。思い出などよりずっと強く名前の胸を打った。
「名前も行くんだろ。なら俺っちも行かないわけにはいかねーさ」
「天化どの……」
笑顔に、言葉に、引き寄せられる。意識が引っ張られる。彼のことしか、考えられなくなる。
「……オホン!」
「天祥も着いてくー!」
名前の意識を連れ戻したのは、黄飛虎の大袈裟な咳払いと天祥の無邪気な声だった。
ーーまた、恥ずかしいことをしてしまった。しかも、こんな時に。
恋というのはこういう時不便だ。不自由だ。名前の意思なんて無視して勝手に行動してしまう。
「……」
自省する名前の隣。天化は天化で父と目線だけで会話を交わしていた。照れくさそうに頭を掻く天化と、なぜだか微笑ましげな黄飛虎。父子のやり取りは生憎と名前には伝わってこなかった。
「……んじゃあ気を取り直して、」
行こうか、と天化が名前を見やった時だった。
どこかで重たい音がした。それから、何かが軋むような音も。
それらは頭上から降り注いだ。だから名前たちは揃って上を見た。この時点ではまださしたる危機感を持っていなかった。
けれど。
「……やべぇ!」
たぶん最初に気づいたのは天化だった。
彼は音の原因を察すると、名前を引き寄せた。
「えっ」
名前が戸惑っている間にも時間は過ぎていく。そしてそれを見逃す天化ではない。
彼はさっと名前を担ぐと、「親父たちも早く!」と叫んだ。
「星が落ちてくる!!」
この言葉が先か、それとも現実が先か。
とにかく音の原因ははっきりとした。名前にもわかるよう、星はゆっくりと落下し、名前たちのすぐ横を通っていった。その後には大きく穴の空いた地面があるだけだ。
ーーもしも、直撃していたら。
それを考えるより早く、星の落下は続いていった。上も下もなく、星は落ちていった。
その中を天化と天祥を抱えた黄飛虎は駆けていった。見事に星々を避けて。そして被害を受けていない外壁に空いた穴へと身を潜めた。
「いったい何があったんだ……?」
「まさか金鰲島の核が破壊されたとか……」
「それならこの島落ちるんじゃ」
ヤバいな、と言う天化に、首を傾げていた名前も黄飛虎も青ざめた。今ここに空を駆けることのできる者はいない。島の落下が始まったら身を任せるしかないのだ。
「は、早く崑崙に戻るさ。そうすりゃ下に降りるのだって……」
天化に倣い、金鰲島の内部へ視線を向けると。
「……っ!」
一際まばゆい光がはぜた。 それから遅れて、凄まじい勢いの風と熱と衝撃が巻き起こる。名前にはもう目を開けることもできなかった。
だからそれが過ぎ去った後、視界いっぱいに天化がいたのには驚かされた。確かに逃げる時に抱き上げられたが、その後はちゃんと自分の足で立っていたはず。
なのにいつの間にか名前は天化の腕の中にいた。石壁と彼の体に挟まれ、抱きすくめられていた。
「っあっぶねー……、無事か、名前?」
「ぁ、はっ、はいっ!」
そう答えた声は上擦り、「大丈夫です……」と続けた声は掠れていた。
あまりにも明らかな動揺の表れ。それにはさすがの天化だって気づく。
「わ、わりぃ、咄嗟に……」
「い、いえ。助けていただいて、ほんとに……その、ありがとう、ございます……」
ぱっと天化は距離をとった。でも名前の心臓は未だ早鐘を打ったままで、しどろもどろになってしまう。名前も天化も。狼狽え、視線をさ迷わせ。
ーーしかしそんな穏やかな時は長くは続かない。
「……?何だ?」
突然のことだった。
紅い鏡面が空に浮かんだ。かと思えば、そこには見知らぬ男が映っていた。
「誰さあんた!!!」
男は口許だけで笑った。
「キサマが武成王黄飛虎だな?」
男の笑いは不思議なほど名前の中に恐れを生んだ。