武官、休息をとる


 ーー修行をつける。
 その宣言通り、楊ゼンは軍の指揮をしながらも、折を見ては積極的に道士たちとの手合わせを行っていた。

「なんか悔しいから一発ぶん殴ってやるわ!」

「まったくだぜ!」

 蝉玉や雷震子は発破をかけられたお陰で闘志に燃えている。元来やる気のない土行孫は蝉玉に引き摺られていくし、場に流された韋護も一応は参加しているらしい。
 それも含めて楊ゼンの策なのだろうと思うと、少し彼が怖くなる。まったくどこまで見通しているのやら。

「大きな怪我だけはなさらないとよいのですけど……」

 特に蝉玉は女性だ。年若い娘子だ。あの玉のような顔に傷でも残ったら……想像するだけで痛ましい。
 名前は休息地で天幕を張りながら、彼らがいるであろう岩場が音を立てて崩れていくのをハラハラと見守った。兵士たちはすっかり慣れた様子で思い思いに歓談しているが、心配性の名前としては気が気でない。手はしっかり動かしつつも、意識はすっかり友人たちの方へと向かっていた。

「大丈夫さ、そのへんの手加減は楊ゼンさんも慣れてるからな」

 毎度毎度不安を溢す名前に飽きることなく付き合ってくれる天化は本当に優しい。
 怪我のことがあり安静にと楊ゼンに言われた彼は大人しく名前の手伝いを申し出てくれた。だけでなく、こうして名前の相手までしてくれるのだから、なんというか……彼も大概世話焼きだ。

「それよか名前が美味い飯作っててくれた方があいつらも喜ぶさ」

「ふふっ、そうですね」

 気を揉んでいても仕方がない。名前は名前にできることをしなければ。
 名前は腕を捲り、さて昼食は何にしようかしらと考えた。
 行軍中、炊事は基本的に炊子の役割である。樵汲が飲料水の確保を、守装が武具の管理を、厩養が馬の世話をするのと同じように、それが彼らの仕事だ。
 けれど名前は身の回りのことは自分でしなければどうにも落ち着かない質であった。だから姫発にもたびたび食事を作っていたし、こういった時に仙道の食事を用意するのも互いにとって当たり前のこととなっていた。

「なんの話してるのー!」

「天祥どの、」

 思案する名前に飛びつく小さな影。それは自分たちの天幕を張り終えたらしい天祥のもので。
 名前は屈みこみ、「お昼ご飯の相談をしていたのですよ」と天祥に視線を合わせた。

「天祥はなに食べたい?」

「えー、えっとねー……お肉!!!」

「育ち盛りですものね」

 天化に向けられるきらきらとした目。天祥の無垢な瞳は名前の相好を崩すには十分すぎる力を持っていた。
 こういう顔が見られるから、世話を焼くのがやめられないのだ。

「あ、でも辛いのは嫌だよ?」

「ええ、大丈夫、わかっています」

 過ぎ去りし日を思い起こさせる天祥の言葉に、けれど名前は微笑んだ。それが幸福であるからこそ、喪われた今でもいとおしく思い出すことができた。

「俺っちはさっぱりしたもんが食いたいなぁ」

「果物でしたら北方からいただいた李がございますよ」

 あとはそう、餅餤ならば野菜だから彼らも食べられるからそれを用意して……。天祥たちには干し肉を煮て、塩胡椒で各々味つけしてもらおう。主食には麦飯があるからそれでいいとして……。

「たっだいまー!!!」

 忙しなく働くことができたお陰で、名前があれこれ考えに耽る前に仙道たちが帰ってきた。
 いの一番に名前の元にやって来たのはやはり蝉玉で、次は彼女に抱えられた土行孫である。彼もどうやら楊ゼンから一発貰ったようで、珍しく抵抗の色は見せていない。

「お帰りなさい、蝉玉さん。お怪我はありませんか?」

「へーきよへーき!だってあたしだもん!!」

 ハハハと高笑いする蝉玉に、名前はほっと安堵の息を漏らした。よかった、痕に残る怪我がなくて。
 ただ土埃に汚れた体だけは気になって、名前は濡らした手巾で彼女の頬を拭った。
 断りなくそうしても、蝉玉は拒絶を示さない。反対に、名前がやりやすいようそっと顎を傾けてくれる。

「用意がいいわねぇ……」

「でもこれだけじゃ蝉玉さんを綺麗にするなんてできないわ。後で水浴びに行きましょう?」

「いいわね、それ!」

 近頃暑くなってきたし、と蝉玉は首回りを手で扇ぐ。彼女の言う通り、一行には夏の気配が近づいていた。これからの旅は前回同様日射しを避けるものになるだろう。
 つまり今この時自体が束の間の休息というわけだ。

「さすがのハニーでも友達と一緒の時は覗いちゃダメだからね!」

「言われなくても見ねーよ」

 土行孫は疲れた様子で投げやりに答えた。

「水浴びか、いいね」

 その後ろから、清水よりもさらに涼やかな声がひとつ。
 冬の朝みたいな気持ちのよい蒼色を靡かせ歩み寄る楊ゼンは、ただそこにいるだけで周りを浄化しているようだった。彼が囁けば荒れ地にだって花は咲くし、酷暑の日射しすらも吐息で溶かしてしまう。
 そんな想像すら容易くさせてくれる彼は、道士を一手に引き受けたというのに疲れをちらりとも見せず、名前に笑みかけた。

「だいぶ暑くなってきたことだし、昼食の前に……と言いたいところだけど、せっかく名前くんが作ってくれたんだ。出来立てを貰おうかな」

「うわ、そういうこと真顔で言うんだ……」

「本心だからね」

 なぜだか顔をひきつらせる蝉玉。ドン引きだわ……と呟く彼女を無視して、楊ゼンはやはり澄まし顔を崩さない。
 軽快なやり取りに、名前はつい笑ってしまった。