願いの行方�T


 白んでいく空。足許に広がる禁城。朝焼けに目を焦がしながら、名前は逸る心を抑えて探し人を求めた。
 たったひとりの大切な人。心を預けたいと思った唯一の人。初めて、好きになった人。天化を探して、名前は目を凝らした。

「あっ!!」

 そんな中、四不象が声を上げる。それだけで嫌な音を立てる心臓。彼の視線の先を追いかけてーー名前は息を呑んだ。

「あれ、は……」

 黎明に照らされているのは赤々とした血潮。禁城の中、広場に飛び散る夥しい血痕に、言葉を失った。

「紂王……っ!」

 それは、かの王であった。
 声を上げ、太公望は広場に降り立つ。それに続いた名前は目の前の光景に立ち尽くした。
 力なく地面に倒れ伏す紂王。そこには以前の面影はない。
 いったい何があったのか。
 ーー誰に、やられたのか。

「……っ」

 そんなの、ひとりしかいない。
 名前は慌てて辺りを見回した。静まり返った禁城の中を。探し、そしてーー

「天化どのっ!!!」

 迸るのは悲鳴のような声。そのままに、名前は駆け寄った。広場に立つ石碑。そこに寄り掛かり、身動ぎひとつしない人影に。ーー黄天化に。
 駆け寄り、その体を抱き起こした。

「…………、」

 触れた手が、朱に染まる。
 流れ続ける血。塞がらない傷口は記憶よりも大きく広がっていた。それは彼がここで死闘を演じたことの何よりの証明で。

「っ、まだ息があるぞ!!!」

 だから太公望に言われてようやく気づいた。その胸が微かに上下していること。血に汚れた口からか細い息が洩れていること。それに気づき、すぐさま名前はその体を抱き上げた。

「早く治療を!!」

 一も二もなく頷き、太公望は四不象に命じた。

「天化を雲中子の元へ!」

「了解っス!!!」

「太公望どのは!!?」

 飛び乗った名前に、太公望は首を振った。

「わしはここに残る。……見届けねばならんからな」

 だから気にするな、急げ、と。その眼差しから受け取り、名前は天化の体を抱き締めた。力なく寄り掛かるその体を。寒空の下、風に身を切られながら祈り続けた。

 ーーせめてもう一度だけ、と。




 体がゆらゆらと揺れている。或いは意識だけが。水面に浮かんだかのように天化は揺蕩う。
 ーーここはどこだろうか。
 ぼんやりと思い、それから思い出す。意識が閉ざされる前のこと。禁城での戦い。倒れる紂王。ーー閃く白刃。
 思い出し、得心がいく。
 ーーここが封神台か。
 こんなにも穏やかで、凪いでいる。これまでならば考えられないほどの静寂。ならばきっとここは封神台だ。父や師匠のいるーー仙道のいずれ辿り着く場所。
 ーーなら、俺は死んだのか。
 思い至り、胸が詰まる。ごぼり。穏やかだったはずの水面が揺れる。止まったはずの心臓が痛いほどに脈打つ。
 ーー名前、
 結局、言えなかった。伝えたかったのに。伝えなければならなかったのに。ーー好きだって、言いたかったのに。
 そう思っていたせいなのか。

『…………?』

 声が聴こえた。ーーような気がした。
 気のせいだったかもしれない。彼女のことを想っていたから、そう感じたのかも。
 けれど天化は手を伸ばした。目を開き、そしてーー

「天化どの……っ」

 その掌は、想い人の手に握られていた。握られているのを知覚した。目で、肌で、ーー心で。
 彼女がはらはらと涙を流しているのを知った。

「泣くなよ、名前……」

 その掠れた声が自分のものだと最初わからなかった。けれどそんなものにすら名前は涙腺を緩ます。握り締めた手に、頬を擦り寄せる。
 彼女は、名前は。
 ーー俺のために、泣いているのだ。

「……好きだ、」

 そう思った、瞬間に。
 言葉は溢れ出していた。伝えたかったこと。伝えなければならなかったこと。混濁した意識の中でもずっと胸につっかえていたものが、口をついて溢れ出した。

「好きだよ、名前。ずっと言いたかった。言えてよかった……」

「天化どの、」

 目を見開いた表情すら愛おしい。好きだと、そう思うたびに想いは募る。だから何度だって言いたかった。ーー何時だって、その涙を拭うのは自分でいたかった。

「悪い、心配かけて……」

「いいえ、いいえ……!」

 意識は明瞭だった。未だ寝牀から起き上がることはままならないが、もう状態は安定している。自分のことだから天化はよく理解していた。
 なのに名前は泣くことを止めない。止まらないといった様子で、それでも天化から目を離そうとはしなかった。
 それが悲しみからくるものではないと天化にもわかっていた。彼女は喜んでいる。天化の無事を喜んでくれている。それがわかっていたからーー天化も笑みを深めた。

「……わたしも、お慕いしております。今も、……これからも。ずっと変わらず」

「あぁ、……俺っちも」

 この想いはきっと変わらない。これから先も、ずっと。
 この手を二度と離しはしないと、天化は名前のそれを握り返した。