これからの未来�T


 あれから。
 仙道たちが第三の島を目指し、各地の災害が収まった頃。周という国も安定し、遷都を考えるようになった武王の元に懐かしい顔が訪れた。

「遊びに来てやったぞ!」

 前触れのない訪い。右手を上げ、奇怪な笑い声を立てる道士。ーー太公望である。
 気の抜けた表情は未だ馴染み深いもので、武王も頬を緩めた。

「よぉ、太公望。元気そーじゃねぇか」

 妲己との決戦に旅立った彼ら。その後のことは朝歌にいた武王たちには伝わっていない。ただ至るところで災害が起き、それらが終息したことで彼らが戦っていたこと、それも今は終わったのだということを感じ取っていた。
 そしてその予想は正しかったらしい。

「しかしオメー……なんか顔つき変わったな」

「うむ……、わしも主人公らしく成長したということよ」

「意味わからん」

 武王は懐かしい顔をためつすがめつ眺めた。記憶との相違といえばその装束くらいなものである彼。しかし武王にはどうにもーー違う人物としか思えなかった。
 彼が太公望であることは疑いようもない。その所作も言葉も。何もかもが彼らしく、けれど彼らしくないとも言えた。尤も、どこがと問われたら返事に困ってしまうのだが。
 だがまぁいいか、と武王は内心首を振った。仙道の戦いは終わった。人間界も新たな時代を歩もうとしている。太公望が太公望であると言うのならーー口を出すことはひとつもない。

「ま、オメーが生きてんなら俺が言うこたぁねぇよ」

「……そうか、」

「それで?この朝歌に来たってことはなんか用事があんだろ?」

 ここは朝歌、禁城。かつては悪政の温床だったこの地も浄化され、周の拠点となっている。
 太公望は仙道が地上から退くことを望んでいた。にも関わらずわざわざここに来たということは何か理由があるのだろう。
 そう思って武王は聞いたのだけれど。

「いや?これといった理由はないぞ?」

 なんのことやら、と太公望はしらを切る。
 そうしてから、「しばらく邪魔するぞ」と宣言し、禁城の一室を占拠した。まったく、勝手気ままなものである。

「まさかマジで遊びに来ただけってことか……?」

 だらだらと日々を過ごす太公望に、さすがの武王も頬を引き攣らせる。何か目的があるのでは。たとえば平定されたばかりのこの国を視察に来ただとか……そう考えていたのがバカらしくなるほどに、太公望は怠けきっていた。

「最初からそう言っておったであろう」

 彼は横になりながらあんまんを貪っていた。その様子は清貧を謳う道士らしからぬもので。

「相変わらずですね、太公望さんは」

 様子を見に来た邑姜も呆れ顔で溜め息を吐いた。やれやれと手を挙げ首を振る様は、処置なしと言いたげである。確かになと武王も頷き、頭を掻く。

「別にだらだらしててもいいけどよぉ……、ちゃんとみんなには言ってあるんだろうな?」

 こんな姿、四不象たちが許すだろうか。
 未だ便りひとつない彼らを思い、苦言を呈した武王に。

「お、そうだったそうだった」

 太公望は変わらず呑気に手を叩き、懐を探った。何かを思い出したという仕草。声色に、武王は思わず首を傾げる。

「なんだよ?」

「いやはや、忘れておった」

 彼が取り出したのは少し草臥れた様子の封筒だった。
 そこには何の変哲もない。ありふれた白。しかし太公望が「ほれ、名前からだ」と言ったことでーー武王の心臓は脈打った。

「なん……っ」

「いやぁ、ふらーっとあやつの処に立ち寄ったら頼まれてしまってな。まぁここには来る予定ではあったからよいのだが」

「そういうことはもっと早くに言うべきでは?」

「仕方なかろう!わしとて日々忙しく……」

「寝て起きて食べて寝ていただけではないですか」

「ぐう……」

 上滑りする太公望と邑姜のやり取り。武王にはすべてが遠く、ただ一点のみに意識は吸い寄せられていた。
 その様子に、太公望は邑姜と目を見合わせ。

「……ほれ、お主宛だ」

 名前からの文を、武王の手に握らせた。

「…………」

 何の変哲もない白。ありふれた便箋なのは変わらないのに、開く手が震える。
 その文は、『お久しぶりです』という言葉から始まっていた。

『お久しぶりです、武王さま』

『まずは最初に……このようにご連絡が遅れたこと、申し訳なく思います』

『きっと武王さまもこちらのことを案じていらしたことでしょう。わたしの方はあなた様の治世に何の不安も抱いておりませんが……』

『お察しの通り、仙人界の戦いも無事終結いたしました。教主となった楊ゼンさんや皆様のお力で、仙人界も新たな時代を歩もうとしているようです』

『わたしはといえば日々を忙しなく過ごしております。まだまだ駆け出しの道士ですから修行も沢山積まねばなりませんしね。それから楊ゼンさんの統治のお手伝いもさせていただいていて、勉強の毎日です』

『後者に関しては西岐での学びが活かされることも多々あり……その度に喜びと少しの寂しさを募らせておりますが』

『父や母、兄弟たちは元気にしておりますか?特に父のことは……最後は喧嘩別れになってしまいましたから』

『お伝え願えますか?わたしは元気にしていると。この選択に後悔はないと。……あなたたちの幸福を祈っていると』

『もちろん武王さまのことも。先程不安はないと書きましたが、あなた個人のことは別です』

『しっかり休息を取っていますか?熱中し過ぎると寝食を忘れる癖があること、わたしはよく覚えていますからね。旦さまや邑姜どのの助言をよく聞いて、体を大切になさってください』

『……なんて、もうわたしが言うことではないのでしょうけれど』

『そうそう。武王さまからいただいた髪留め、結局返しそびれてしまいましたね。今回も悩んだのですが……このままわたしが持っていてもいいでしょうか?いつかわたしの体が尽きるその日まで。いずれこの魂が神界へと至った後も……この剣と共に』

『長々と申し訳ありません。どうにも考えが纏まらず書き散らしてしまいました』

『わたしはこの先も祈り続けます。周の永久の安寧と発展……そして姫発さま、あなたの無事を』

 まっさらな紙に踊る流麗な文字。流れるような筆致に懐かしさを覚え、それだけで姫発の胸は熱くなる。
 ーー名前、
 幼い時から彼女だけを見てきた。他にどんな美しい女性と巡り逢おうとも、帰りたいと思うのは彼女の隣だった。
 諦めようとした。一度目は兄が彼女を気に入り、その婚約者となった時に。二度目はーー彼女の気持ちがとある道士に向けられていると気づいた時に。
 それは決定的だった。名前の目は彼ばかりを追いかけていた。武王にはそれがわかってしまった。何より彼女のことを見てきたから。
 だから名前が彼を好きになったのも、彼が名前を好いていることもーー想いを通わせたのにも気づいてしまった。
 悔しかった。誰より彼女を理解している自負があったから、横からかっ浚われたような気になった。
 けれど受け入れないわけにもいかなかった。彼女だけを見つめてきたからこそ、その輝きが尊いものだと知っていたから。その笑顔を失いたくないと思ってしまったからーー彼女の手を離すことを選んだ。
 納得したつもりだった。それでもこうして便りを貰うとどうしても郷愁に似た念に襲われてしまう。懐かしき日々が色鮮やかに甦ってしまう。愛おしいと。そう、思ってしまった。

「……席を外しましょうか」

 気を遣った邑姜に、平気だと首を振る。
 涙腺は熱く、今にも崩れそうだ。けれどここで泣きたくはなかった。例えひとりであろうと。彼女と再会する日まで泣きたくはなかった。何よりこの身を案じてくれている彼女を心配させぬために。遠く離れていようとも涙を見せたくはなかった。
 いつの間にか太公望はいなくなっていた。これでは返事が託せないではないか。そう思ったけれど、まぁいいかと思い直す。時間はまだいくらでもある。またの機会を楽しみにすればいいのだ。

「しっかしなぁ……手紙書くんならもっと近況とか伝えるもんだろ。なんで他人の心配ばっかしてんだよ」

「彼女らしいではありませんか」

 そう言う邑姜に、「そうだな」と武王は目を馳せる。禁城の空。西岐よりも小さなそれは、しかし彼女の元にも繋がっている。きっと今、この瞬間にも。

「まぁノロケられるよりはいいけどよ。つーか書かねぇってことは上手くいってないんじゃあ……」

「それは希望的観測が過ぎます。第一彼女の性格を考えれば、自身が振った相手を気遣うのは当たり前では?」

「うるせぇ!そもそも振られてねぇからな!!」

 彼女の幸福を祈っている。それに変わりはない。
 だが諦めたわけでもない。だってこの先の人生、何が起きるかわからないのだから。こうして想い続けることがやがて実を結ぶ日が来るかもしれない。だから無理に諦めるつもりはなかった。

「一途というか執念深いというか……」

「おい邑姜、」

「褒めているんですよ」

「本当かよ……」

 武王は溜め息を吐き、太公望の去った部屋を後にする。
 まずはそう、南宮括のところにでも行こう。娘の旅立ちを受け入れられず喧嘩となった挙げ句、今度はそれを後悔して落ち込んでいる大切な家臣の元に。
 名前の言葉を届けようと、武王は歩き始めた。