元武官、色香に惑わされる
ーー蝉玉はいったいどこまで招待状を配ったのだろう。
そう名前が思ってしまったのは、高蘭英にまでその話を振られた時だった。
「まさか蘭英さんにもお話がいっているとは」
「そうね、私も驚いたわ」
ひょいと肩を竦める彼女。金鰲島の仙女であった彼女は、しかしそんな何気ない仕草すら絵になっていた。仙道には美しい女人が幾人もいるが、その中でも蘭英はとりわけ眩い光を放っていた。
竜吉公主が崑崙の月だとするなら、蘭英は金鰲の太陽だ。
妲己のような妖しい色香ではなく、艶めきながらもどこか健康的な色っぽさ。それが蘭英の持つ美しさであった。
そんな彼女とどうして名前が親しげに話しているのか。
それはひとえに彼女の元にいる霊獣、烏煙のお陰だった。
蘭英の夫、張奎。彼の霊獣である烏煙とは、メンチ城での戦いでは相見えた。とはいえその時は仙道同士の戦いであったから、無論名前が彼らに関わることはなかった。
ただその後。この蓬莱島で暮らし始め、楊ゼンの元で働くようになった名前は、自然張奎の妻である蘭英とも関わりを持つことになった。
その内に名前が動物好きだというのが蘭英にも伝わり……彼女の厚意に甘え、時々烏煙と戯れさせてもらうようになったのだ。そうすると今度は蘭英と話す時間も増え、今ではもうすっかり茶飲み友達になっていた。
今も二人、針仕事をしながらとりとめもない世間話をしていたところだった。明日の天気の話から夫や家族の話まで。花を咲かせていたところで、「そういえば、」と蘭英が蝉玉の結婚話を持ち出したのだ。
「敵視してた私のところにまで届くんだもの、きっと島中に広まってるに違いないわ」
「それは……盛大ですね」
名前は思わず遠い目をした。
もしも招待客が全員来たとして。彼らすべてを収容できる場所などあるのだろうか。いやしかし、蝉玉だってそれくらいは考えているだろう。きっとなんとかなる、……はずだ。
「……様子を見ておいた方がいいんじゃない?」
考え込む名前を見かねたのか。蘭英は気の毒そうな目を向けた。お疲れさま。そう言外に言われ、名前は曖昧に笑む。
蝉玉のために割く労力は惜しくないが、これほどまでに忙しないのも考えものである。何しろやるべきこと、やらねばならないことは既に山積しているのだ。
ーーこれもすべて土行孫がはっきりしないせいではなかろうか。
責任転嫁とわかっていても、内心詰らずにはいられなかった。
「まぁ何かあったら言ってちょうだい。私にできることなら手伝ってあげる」
「蘭英さん……!」
仙女の微笑は救いの手に等しい。それが美しいものであればあるほどに。烏煙が姉さん姉さんと慕うのも納得だ。
感激した名前に、蘭英は「大袈裟ね」と笑う。が、そこに不満の色はない。むしろその反対で、彼女はなんだかご機嫌だった。
「でも蝉玉さんの結婚式、普通とは勝手が違うみたいで。私にもよく……」
「あら、そうなの?」
「はい。なんでも親迎ともまた違う儀式をやるらしいです」
蝉玉から聞かされた断片的な情報。それははっきりした形にならなかったから、名前としても想像がつかない。
だからそれを伝え聞く格好になった蘭英も、いまいち思い浮かべられないらしい。
「聞いたこともないわ」訝しげに顰められた柳眉。蘭英も知らぬということは金鰲島独自の文化というわけでもないようだ。ならばやはり西域のものだろうか。
「蘭英さんはどのような式をなさったのですか?」
「特別なことは何も。あの人はメンチ城主だったし、伝統的な手続きだけよ」
そういえば、と名前は話題を転じる。そういえば、蘭英は経験者だ。それも金鰲島の仙道で、蝉玉と立場を同じくしている。
だから何かの参考になるかと訊ねたのだけれど、蘭英の答えは名前の知っているものと変わりなかった。
六礼に則った儀式。それを蘭英はなんてことないような口振りで語る。夢見がちな少女ではなく、ひとりの自立した女人として。
さすが大人だーー名前の眼差しは自然憧れに満ちたものになる。名前だったら。ーー想像しただけで熱が駆け上がってしまうというのに。
「あら、何を想像したのかしら?」
「え、ええっと……その、」
「いいわ、わかってるから。言わなくても」
蘭英はパチリと片目を瞑ってみせる。それもまた絵になるのだけれど、名前はといえばそれどころじゃない。
彼女から向けられる悪戯な眼差し。揶揄いの滲む言葉に、目を伏せる。頬が熱い。鼓動が煩い。ーーただ少し、彼のことを想っただけなのに。
布地に潜らせていた針の手はとうに止まり、仕事になどなりやしない。が、それは蘭英も同じだった。
「あなたって可愛いわ、本当に」赤くなっているであろう頬を一撫で、それだけで名前は馬鹿みたいに惚けてしまう。
蘭英も名前も女だ。しかし美しいということに性別など関係ない。それを名前は蘭英や竜吉公主からその身をもって学んでいた。
「烏煙どのが蘭英さんを慕うのもよくわかるわ」
酔いの覚めやらぬ声で思わず呟く。と、蘭英はくすくすと肩を揺らした。
「姐と呼んでくれてもいいのよ、あなたになら」
構わない、と蘭英は言う。そう、言葉では。
けれどその瞳は無言の内に促していた。名前が“そう”呼ぶのを。楽しみにしている、心待ちにしている。如実に滲む色に名前が抵抗できるはずもなく。
「蘭英姐さま……?」
おずおずと、望まれた言葉を唇に乗せた。
名前にも兄弟はいる。けれどそのいずれもが男児であったからーー“姐”という音色は新鮮で、どこか甘美な響きを持っていた。
だからきっと名前の表情も似たようなものになっていたに違いない。
「なぁに、私の可愛い名前」
蘭英は。
その柔らかな体でもって、惜し気もなく名前を抱き締めた。
匂い立つ香。とろりとした蜜と、からりとした太陽の匂い。相反しているようで、けれどその薫りは驚くほど心地がよく。
「……張奎どのは幸せ者ね」
名前はしみじみと呟いてしまったのだった。