楊ゼン×原作沿い武官IF


同タイトルと同じ世界線の話。






「……はろうぃん?」

「ええ、そう!ハロウィン!!」

 耳慣れぬ語に首を傾げた名前に蝉玉が齎したのは、あまりに晴れやかな笑顔であった。
 仙人界、蓬莱島。新たな地での生活は穏やかであると同時に、忙しない日々を名前に与えてくれた。それもこれも名前が教主となった楊ゼンの部下として働いているからである。
 教主に伝えるまでもない、しかし上には報告しなければならない。そんなものが名前の元にひっきりなしにやって来るのだ。
 そしてこの日の蝉玉もその内のひとりであった。
 幾つもの紙の束を持ってきたかと思えば、それを名前の前で広げた。華やかな衣装の描かれた紙面。馴染みのない装束に、「はて?」と目を瞬かせる。と、蝉玉は嬉々として語ってくれた。
 ハロウィン。十月三十一日に催される祭りは西域よりも遥か西方から伝わったもの、らしい。その辺りのことは蝉玉にもよくわからないということで、とはいえ彼女はその内容だけは事細かに伝え聞いていた。

「なんでもこの時期にはお化けとか悪い精霊とかが出てくるらしいの。だからね、こうした怖い仮装をして追い払うんですって」

「なるほど……」

 説明を受け、再度紙面に目を落とす。動物の耳や尻尾といった可愛らしいものから、醜い容貌の怪物まで多種多様なものが載っている。そしてそれを見る蝉玉の目は輝いていた。

「ほら、今まで結構バタバタしてたじゃない?ここらでパーっと楽しいことしたらみんなも嬉しいんじゃないかしら」

「そう、ですね……」

 ーー確かに、彼女の言っていることは尤もだ。
 女カとの戦い。これまでとは比べ物にならないほど大規模な戦闘が終わって以来、新たな仙人界の確立に各々奔走してきた。皆を労うといった意味で祭りを行うのは理に適っている。
 けれど。

「わたしたちが好きにやる分には楊ゼンさんも認めてくれると思うわ。……ただその“みんな”に彼は含まれないでしょうけど」

 けれど、楊ゼンは。教主となった彼がお祭り騒ぎに加わるとは思えなかった。
 何しろ彼は責任感が強い。そんな彼が仙人界の今後を左右する大事な時に休息を取るだろうか?ーー答えは否であった。
 だが蝉玉はそれでは意味がないのだと首を振る。

「お祭りはみんなで楽しまなくちゃ。もちろん、あなたも楊ゼンも」

「蝉玉さん……、」

 温かな微笑み。以前と変わらない、蝉玉の表情に熱いものが込み上げる。
 休息が必要なのは他でもない楊ゼンだ。彼こそがその心を休めなければならない。そうでなければ意味がないと、名前も思う。
 思うけれど、楊ゼンが簡単に頷くだろうか。

「そこを説得するのがあなたの役目でしょ!」

「うう……」

 背を叩かれ、名前は呻く。
 役目、という言葉に名前は弱い。期待されているならなおさら。けれど同時に楊ゼンに弱いのも名前の性質であった。
 彼が決めたことなら受け入れるし、自分はそれに付き従う。それが名前にとっても自然なことであったからーー板挟みに顔色を悪くしていた。

「頑張ってちょうだい!あたしの楽しみのためにも!!」

 そう送り出された名前は、今。

「……という次第です」

「あぁ、そういうこと」

 楊ゼンの前で何もかもを明らかにしていた。しかも、居心地悪そうに視線を逸らしながら。
 罪人のように身を縮める名前。それを見るにつけ、楊ゼンは、「何もそんな頭を下げることはないのに」と眉尻を下げた。
 しかし名前としては納得がいかない。

「いえこれもすべてわたしの力不足故……蝉玉さんにも楊ゼンさんにも申し訳ないです」

 最初は名前だって詳らかにするつもりはなかった。蝉玉からの提案という形で祭りの話を持ち出し、然り気無く楊ゼンを誘うつもりだった。
 だが彼の反応は予想通りのもので。遠慮されてしまった名前はどうにか彼を連れ出そうと言葉を重ねーーその挙動不審な様子を訝しまれた挙げ句、追い詰められ、すべてを白状したのだった。
 だがこれでは本末転倒だ。名前は楊ゼンに息抜きをしてほしかったのに、その真意を知られてしまっては、例え楊ゼンが受け入れてくれたとしてもそこに名前への気遣いが含まれてしまう。楊ゼンからの自発的な参加でなければ意味はなかったのだ。
 だというのに、名前は任務を全うできなかった。これでは蝉玉に顔向けもできない。手を煩わせる結果になった楊ゼンにも申し訳が立たない。
 すると。

「難儀な性格だね、君も」

 微笑みと共に声が落ちる。そして頭を撫でる柔らかな手も。
 驚き目を丸くする名前を一頻り撫で。

「気遣いでもいいじゃないか。僕は君が……名前君が望むことなら叶えたい。それだけなんだから」

 楊ゼンはひどく優しい声音でそう言った。何事か言いかけ、一瞬の暇を置いてから。
 その目許には微かに紅葉が散っていて。珍しく彼が照れているのだと、それを露にしているのだと。
 名前は諒解し、釣られて頬を染めた。

「……楊ゼンさんは本当にお優しい」

 噛み締めるように呟く。ーーそういうところに惹かれたのだと、痛感する。
 なのに当の本人は「そんなことないよ」と否定する。が、その後すぐに「ところで君は僕にどんな格好をさせたいの?」と聞いてきてくれるものだからーーやはり優しいのだと名前は思う。

「ええっとですね、こちらになるんですけど……」

 蝉玉から借りた資料。それを興味深そうにパラパラと捲っていた楊ゼンへ。名前が見せたのは平面の資料……ではなく。

「用意がいいね……」

「……うまく事が運べば試着していただこうと思ってまして」

 それは実物だった。正真正銘、ハロウィンパーティーで楊ゼンに着せたい装束。そのものを名前はこの日既に持ってきていた。
 それをいそいそと取り出し、呆れたような呆気にとられたようなそんな面持ちの楊ゼンの前へと広げた。

「相変わらず器用なものだね」

 その質を見るにつけ、楊ゼンの目は驚きから感嘆の色へと変わっていった。真っ直ぐな称賛。往々にしてそういうものだが、名前もまた例に漏れずこうした言葉に弱かった。
 継穂に惑い、言葉に詰まった名前は。子供のように照れ笑うと頬を掻いた。
 楊ゼンの言葉はお世辞の類いではない。彼はそうしたものを弄する質ではなかったし、声音からもそれが本心であると察することができた。
 それは一面黒の布地であった。西域の胡服に似た型。袖は引き締まり、ズボンもまた体の線に沿っている衣服は絹で出来ていた。つるりとした滑らかな表面。しかしその胸元には金の刺繍が編み込まれ、よくよく見ると鳳や龍や虎といった紋様を描いている。

「もしかしてこれを作っていたから最近寝不足のように見えたのかな?」

「うっ……」

 図星だった。
 言い当てられ、名前は口ごもる。否定したい。けれど嘘やごまかしといったものは彼には通用しない。

「仰る通りです……」

 だから名前はあっさりと降参の意を示した。とはいえその声は小さく、自責の念に駆られていたが。
 楊ゼンには黙したまま事を運ぶつもりであった。であったからこの衣装を作るのにも彼の眠った後、夜半を製作時間に充てていたのだけれどーーそんな杜撰な計画はとうに見抜かれていたらしい。

「君が何かを企んでいるのは気づいていたよ。でもきっと話してくれるだろうと思ったから、僕から聞くことはしなかったけれど」

「…………、」

 それはまさに現状を指していた。何もかも彼の推測通り。名前の計画は露見し、今がある。
 ーーかえすがえす言葉がない。
 項垂れる名前に、「責めているわけじゃないんだ」と楊ゼンは優しく声をかけた。

「君が僕を思ってくれていること、それは十分伝わっているから」

「ですがすべて見抜かれては気遣いの意味がありません……」

 結局。名前の不審な言動は、却って彼の気を引き、貴重な時間を無為に浪費させてしまった。あまつさえこうしてまた時間を取らせてしまっている。
 名前の思考とは悪い方に悪い方にと傾きがちで。そこまで思い至り、重い影を背負う名前に。

「そう?僕は楽しかったよ。君が僕を思って何をしてくれるのか……、想像するのも悪くないって知れたから」

 その頬を真白い指でするりと撫で上げ。楊ゼンはほんのすこしの揶揄いを含ませながら、しかしそれが真実であると如実に伝わる甘やかな声で言葉を紡いだ。
 それは名前の目を上げさせるには十分すぎて。恐る恐る窺い見た名前の視界に映ったのは、あんまりにも柔らかで、赦しを与える神の如き色合いの微笑であった。

「楊ゼンさん……、」

「さ、そうと決まったならその分の仕事は片さないとね」

「は、はいっ!」

 そっとした手つきで装束を仕舞い。片目を瞑ってみせた楊ゼンに、名前は目を輝かす。

「ところで……」

 しかし、そこで楊ゼンは。

「この衣装にはどんな意味があったの?なんだかハロウィンの装束には色々と物語があるようだけど、」

 何てことはないと。ふと気になったという風に衣装を指差し、名前に訊ねた。
 ハロウィンの装束には物語がある。おぞましい容貌に造られたフランケンシュタインの怪物。人間を襲う半狼半人の狼男。死体から甦った腐臭を放つゾンビ……といった具合に。
 そして名前が作ったものは。

「吸血鬼というものらしいです。なんでも人の血を吸い、永遠の命を持つ存在だとか……」

 それを楊ゼンのために誂えたのは、蝉玉から聞いたもののなかで一番彼に相応しいと思ったからだ。半永久的な存在。若さ。高い知性と輝くばかりの容貌。貴族的な品のよさ。そうしたものをすべて持ち合わせているのが楊ゼンという人であった。
 ……とまでは言葉にしなかったけれど。それでも名前の羨望や憧憬に似た眼差しで大体の察しはついたらしい。
 「そう」と軽く頷いた楊ゼンはどこか満足げで、名前はほっと胸を撫で下ろした。優しい彼がちっぽけなことで気分を害すとは思えなかったが、それでも気がかりであったのは事実。
 そう、安堵した名前であったのだけれど。

「……ねぇ、名前、」

 ふ、と。
 常とは違う音色の囁きが落ちる。名前の耳に。その頭に。降り落ちた、かと思えば。
 つい、と手首を引かれ、体勢を崩した名前の耳許で。ーーあるいはそれよりも下、露な膚の上で。

「血を吸ってあげようか。それが君の望みなら」

 首筋を撫ぜる吐息。這う言の葉。熱く火照るような、溜め息混じりの声に、名前は息を呑む。
 余裕泰然とした普段の様子が嘘のように。掠れた声に否が応でも名前の心臓は跳ねる。
 目眩がする。世界は急速に狭まり、名前には彼の気配しかーーその息遣いだとか上がる心拍音だとか、そうしたものしか感じられなかった。それだけしか、今の名前には必要なかった。

「なんてね、少しはそれらしかったかな?」

 けれど楊ゼンは、パッと手を離す。名前が惜しむ間もなく。手を離し、艶めいた雰囲気を一息で吹き消した。
 だが、名前の方はそうはいかない。

「……意地悪だわ、楊ゼンさんったら」

 未だ鳴り止まぬ胸。皮膚の上から押さえてもその震えは止まらず。
 紅潮したまま形ばかりの抗議を行う名前に、楊ゼンは楽しそうに笑った。子供のような無邪気さで。







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お題箱より。ありがとうございました!