『涙目のルカ』


 ブチャラティが名前を連れてきたのは、パッショーネの息がかかった警察署、その署内にある検死室だった。
 変死体で見つかった『涙目のルカ』。その調査を命じられたとブチャラティは言った。
 調査ーーそれはつまり、『涙目のルカ』を殺した犯人を見つけ出して殺せということだ。
 そう察しがついていたから、名前は彼が自分を選んだことに疑問を抱いた。そういったことならアバッキオの方が適任だろう。彼の『再生』能力はこと追跡調査においては右に出る者がいないのだから。
 けれどそんな思考は遺体を見た瞬間に吹き飛んだ。

「これ、は……」

 異様だと、一目でわかった。
 冷たいベッドの上。無言で横たわる『涙目のルカ』。そこまではいい。この世界ではありふれた光景だ。
 だが彼の後頭部ーー普通ならば円を描いている筈の箇所が、大きく抉れていた。それもただ何かに押し潰されたようではない。“その瞬間”だけゴムにでもなっていたみたいに、彼の頭は凹んでいるのだった。
 おまけにその肌には『S.P.Q.R』の文字が刻まれている。何かの暗号だろうか。そう考えた名前に、ブチャラティは「やつの『スコップ』だ」と声を落とした。
 その視線の先、追いかけた名前は壁に立て掛けられている『スコップ』を見つけた。それには遺体と同じ文字が浮かんでいる。けれど普通に殴っただけでこんな痕がつくとも思えない。

「スタンド、かしら」

「あぁ、恐らくは」

 検死室には他に人影はない。ブチャラティと名前だけ。けれど名前の声は自然と密やかなものになっていた。それに答えるブチャラティのものも、また。
 名前は恐る恐る“それ”に触れた。ーー冷たい。それに凍ったみたいに固かった。間違いなく死んでいるし、その頭が特別柔らかくなった様子もない。普通の、ありふれた遺体だ。
 ただやはり死因であろう箇所だけが現実離れしていた。

「でもおかしいわ、この街で彼に手を出すなんて」

 『涙目のルカ』がそれほどの特権階級ーーというわけではない。彼自体は街に溢れる不届き者のひとりだ。チンピラとナランチャが呼ぶのも無理はないし、名前自身も彼のことは苦手だった。
 だが彼はほんの少しだけ“こちら側”の人間だった。パッショーネという大きな組織の末端中の末端、ボスが認識すらしていないちっぽけな存在であったけれど、パッショーネの名の元に空港を仕切っていたのは確かだった。
 それで組織に損害はなく、また都合もよかったから彼の存在はそのままにされていた。だが、今は違う。殺されたとあっては、末端とはいえパッショーネは動かざるをえない。それが組織というもので、体裁を重んじるマフィアにとっては重要なことだった。
 だから名前は「おかしい」と言った。『涙目のルカ』がパッショーネと関わりのあることは周知の事実であったし、街の人間でパッショーネに楯突く者などそうそういやしなかった。みな報復を恐れていたのだ。
 なのに彼は死んだ。殺されたのだ、何者かに。それは動かしようのない事実であった。

「だからお前を呼んだんだ、名前。お前のスタンドでこいつを『再生』させてくれ」

「アバッキオじゃなくてよかったの?」

「ムーディー・ブルースでは何かあった時に危険だ。こいつの行動を再現させてスタンドにヘタな影響が出たら困るだろう」

 ブチャラティの落ち着いた声に、確かにと名前は頷いた。
 確かに、ムーディー・ブルースは探索に特化している。それが長所でもあり、こういった未知の現象においては短所とも言えた。名前の能力が器用貧乏とも言えるように。
 ブチャラティの判断は冷静で的確なものだった。
 だから名前は、

「それじゃあ私に何かあったら、後はアバッキオに仇を討ってもらわないと」

 と悪戯っぽく片目を瞑ってみせた。
 そうするとブチャラティもようやく表情を緩める。「あぁ、そうだな」と言って。
 その顔に胸を撫で下ろしてから、名前はすっと目つきを変えた。ひどく真剣なものに。眼差しを変え、見守るブチャラティを背に、もう一度遺体に触れた。ーー今度は、自身のスタンドで。
 そうすると見る見る内に遺体は正しい形へと姿を変えていった。生きていた頃の『涙目のルカ』、その形へと。
 そうしてから、名前はスタンドを遺体から引き剥がした。
 途端。水が抜けていくみたいに体は巻き戻る。正しい時間へ。そうなっても、もう亡くなっている彼にはなんの抵抗もできない。
 再び萎んだ頭部を見下ろし、ブチャラティは口を開く。

「……こうなるってことは」

「ええ、やっぱりこれは異常だし、彼を殺した犯人はまだ生きているわ」

 『涙目のルカ』、その頭部は一瞬の内に抉られた。その呆気なさは常人離れしている。ーーこんなことができるのは、やはりスタンドだろう。
 そして名前の能力。時を巻き戻した後、もしも犯人が既にこの世にいなかったら怪我も存在しなかったことになるという特徴がある。だが彼の体は元に戻ってしまった。原因が存在し続ける限り、時を戻そうと結果は変わらないのだ。
 そう言った名前を前に、ブチャラティは少し考えた様子だった。そして顔を上げた彼は、名前に訊ねた。「お前はどう思う?」と。
 問われ、名前はそっとその目を見つめ返した。

「……“我々”ならこんな真似はあり得ない。普通は遺体を人目のつくところに放置しないもの。発見させたいなら……例えば毒殺だとか爆殺だとか、もっとメッセージ性のあるものにするわ」

 “我々”マフィアならば。
 凶器の特定に繋がる遺体などそもそも存在させない。それこそ工事中の建物、その壁や土台なんかに埋め込んでしまうだとか、硫酸で骨まで溶かしてしまうのが一番安全で好まれていた。
 その反対、誰かに見つけさせることを目的とするならば、口に石や切り落とした陰茎を詰め込んだり、逃げ場がないことを知らしめるために毒を用いたりするものだ。
 そう言った名前に、ブチャラティは「だが、」と切り返した。

「スタンド能力者という敵自体が意味を持つのかもしれない。俺たちと同じ力を持つ敵が存在するという脅しの可能性もある」

「それはあまり賢くないわ。スタンド能力は固有のもの……敵に能力の断片でも漏らすのは自殺行為に等しいでしょう?」

「そうだな」

 言ったのは自分であるのに、ブチャラティはあっさりと意見を取り下げた。それは元から彼も名前と同じ考えであったことを示している。彼のそれはただの確認に過ぎなかったのだ。

「彼、空港がシマだったんでしょう?だったら観光客とかと揉めたんじゃない?旅行者ならパッショーネのこと知らなくて当然だし、私たちの知らないスタンド使いがいたっておかしくないわ」

 名前は肩を竦めた。安易な考えだが、現実なんて案外そんなものだ。スタンド使いはスタンド使いと惹かれ合うというし……パッショーネに在籍するスタンド使いたちに導かれてしまったのかもしれない。犯人にとっては不幸なことだが。

「……考えておこう」

 言って、ブチャラティは「やはり空港か」と呟いた。この遺体は空港の外れで見つかったらしい。ならば犯人が捕まるのも時間の問題だろう。

「私、来た意味あったかしら」

 あなた一人で十分でしょうに、と言外に籠めて。軽く睨めつけた名前に、ブチャラティはふっと笑むばかりであった。