行き先知らず


 ブチャラティは遺体からいくつかの部位を切り離していった。

「念には念を……ってな」

 そう言った彼の目には強い覚悟があって、名前は気の毒に思ったものだ。それはブチャラティにだけではなく、『涙目のルカ』を殺した犯人への感情でもあった。
 ブチャラティは絶対にやり遂げる。同情だとかそういったものに絆されはしない。例え犯人が善良な一般市民であっても。胸を痛めつつ、それでも命令を遂行しようとするだろう。
 そんな彼であったから、空港から手ぶらで帰ったのには驚かされたし、「犯人は見つからなかった」と言ったのには皆顔を見合わせたものだ。

「どういうことだブチャラティ……」

 口火を切ったのは最年長のアバッキオだった。
 彼はいつもより険しい顔つきでゆっくりと訊ねた。どういうことだ、何があったというのか。そう訊ねるアバッキオと、向かい合うブチャラティ。それを名前たちは固唾を呑んで見守った。
 彼らがいるのはリストランテ、溜まり場のひとつだ。煌々と照る光。なのに今はどこか重苦しい空気が垂れ籠めていた。

「そのままの意味だ。犯人は見つからなかった、ただそれだけだ」

 対するブチャラティは、常と変わらぬ静かな声で答える。その目には一切の揺らぎがない。嘘を言っているとか言っていないとかではなく、彼にとっての真実はただそれひとつなのだということが伝わってきた。
 けれどその言葉だけでは納得できないものがある。

「それは別にいいんですよ、ブチャラティ。ぼくらだって何もあなたを万能の神だと思っているわけじゃあない……、そういう時だってあると理解しています」

 次に口を開いたのはフーゴだった。聡明な彼は柔らかな声音のまま話を整理しようとしていた。

「ぼくらが言いたいのはですね、何故詳細を話してくれないのかってことです」

「…………、」

 彼が代弁したのはここにいる皆、ブチャラティ以外の全員の気持ちだった。
 ブチャラティは犯人を見つけられなかった。それだけしか説明しようとしなかった。それがどうしてなのか、他の者が協力すれば捕まえられるんじゃないか。そういった意見を、彼は無言で封殺した。
 それは犯人を見つけられなかった者の反応ではなかった。犯人を見つけたくない、そういうのとなのだと誰もが思った。
 それに深い理由があるのならアバッキオだってこんな険しい顔をしないだろう。それが最善だとブチャラティが判断したのなら口を挟みはしなかった。
 けれどブチャラティは何も語ろうとはしなかった。その命令すらなかったことにして、彼は無言を貫いたのだ。

「なぁ……絶対おかしいよ……、ブチャラティが失敗するなんてさ……」

 ナランチャは居心地悪そうに身動いだ。その隣ではミスタもまた同じような表情で頭を掻いている。
 張り詰めた空気。足元に広がる深い川。名前には嫌な予感があった。今、この瞬間からすべては変わり出した。石は坂を転がり始め、そうして行き着く先は底無しの深淵だ。
 そんな幻想に名前は体を震わせーーけれど心配そうに自分を見る視線に気づき、そっと微笑んだ。

「大丈夫よ、ナランチャ」

 そう言ってから、名前はブチャラティの名を呼んだ。
 感情の見えぬ目。冷たげなそれが、本当はとても温かなものだということを名前は知っている。知ってしまっているから、名前は一度手をきつく握り締め、それから口を開いた。

「それはあなたが決めたこと……なのよね?誰に言われたんじゃなく……」

「あぁ、そうだ」

 脅されているのか、と暗に問いかける。が、それはあっさりと否定された。そこに躊躇いはなく。ーーどころか、強い光のようなものさえ見てとれた。
 それは希望の光だった。ただ死んでいくだけだった自分に、差し伸べられた手。その手を取った時に名前が感じたものと同一の輝きだった。爽やかな風が吹き、澱んでいた空気が押し流されていく。そんな感覚だった。
 だから名前は、「それなら私に文句はないわ」と笑った。皆多かれ少なかれ秘密を抱いて生きていくものだ。それでもその秘密を彼が生きる糧とするのなら……名前にはもう言うべきことはない。

「ちょっと名前、……いいんですか?」

「私はね。ブチャラティのことは信頼しているし……だから気にしないことにするわ」

 眉をひそめたフーゴに名前は肩を竦める。ブチャラティの選択を聞いてどうするのか。それは個人の問題だ。名前が受け入れたからといって、みんながみんなそうしなければならないという道理はない。
 だがそれに追従する者がいた。

「そ、それならオレだっておんなじだ!ブチャラティがそうするのがいいって言うんならオレだって、」

「あぁ、そうだな。ま、オレとしちゃあんまし細け〜こと考えたくねぇしな」

 ナランチャとミスタだ。
 ナランチャは名前の言葉に目を輝かせ拳を握った。ミスタはミスタでからりと笑って、ブチャラティの肩を軽く叩いた。そこには親愛の情が滲んでいた。

「これだからバカどもは……」

 呆れたように天を仰ぐのはフーゴだ。理知的な彼はそう容易く答えを導き出してしまう三人のことが理解できないらしかった。
 けれどその彼も数秒唸った後で、「あぁ、もうッ、わかりましたよッ!!」とやけくそのように叫んだ。

「これじゃあぼくが極悪人みたいじゃないか……」

「そんなことないわ、フーゴ。あなたのような賢い人がいてくれて私たちとても助かっているもの」

「……そりゃあそうでしょうよ。まったく名前、あなたまで……」

 納得がいかない、と。ぶつぶつと呟くフーゴに、名前は明るく声をかける。その肩に手を添えて。
 フーゴはやっぱり呆れたとばかりに溜め息を吐いた。が、その手を振り払うことはない。なんだかんだと言っているが、彼もこのチームを好ましく思っているのに違いはない。

「……そうか、」

 ブチャラティは。その選択を受け入れてくれた皆に対して、ただそれだけを口にした。ありがとうともすまないとも言わず。けれどそれこそが彼らしさで、そういうところが皆に慕われる理由でもあった。

「……チッ」

 その一人であるアバッキオも。ブチャラティの視線を受け、舌打ちをした。そうして身を翻し、言葉を拒絶するように背を向けた。けれど、決して立ち去ることはしなかった。それが彼なりの何よりの答えであった。

「素直じゃないわね」

「素直なアバッキオなんて気持ちわりぃよ」

「おいおい想像すんなって」

 フーゴ曰くのバカども……もとい、名前、ナランチャ、ミスタの三人はクスクスと笑い合う。常よりは声を落として、ではあるが、無論同じ部屋にいるのだから聞こえないわけがなく。

「おいッ!テメーら何を好き勝手……」

「うわっ、アバッキオがキレたぞッ!」

「狙うなら足だぜ!いいか、名前……オレが撃つからお前は足留めしろ」

 ドタバタという、リストランテに似つかわしくない騒ぎ。笑い合う仲間たちを見て、ブチャラティは静かに微笑んだ。