大いなる賭け


 襲撃者、マリオ・ズッケェロには仲間がいるーー。
 それを知ったブチャラティチームを包む張りつめた空気。皆一様に厳しい顔つきでリーダーをーーブチャラティを見つめる。判断を下すのはリーダーの仕事。彼の指示ならばなんだってできる。そう思っているのはきっと名前だけではない。

「この船が入港する『前』に誰かが先に上陸して、その男を捜して始末すればいい……」

 けれど口火を切ったのは彼ではなかった。新入り、ジョルノ・ジョバァーナ。彼は涼しげな顔で驚きの視線を受け止めた。
 それはあまりに明快で合理的で、だからこそ困難な道である。誰だってその『仲間』を始末しなければと思っていたし、それが今からでは難しいことを理解していた。
 だがジョルノは事も無げに言う。それこそが最善だと確信しきった顔で。だから名前は何も言えなかった。そして、ブチャラティも。

「何言ってんだこいつはよーー」

 最初に答えたのはナランチャだった。浮かぶのは呆れ。嘲りを含んだ笑いは、自分たちにこの船以外の足がないことを指摘した。
 ナランチャの言い分は尤もだった。しかしジョルノはそれでもなお表情を変えない。「はい」力強く答え、彼は足元の浮き輪を爪先で持ち上げる。
 その、何の変哲もないはずの浮き輪が、

「ぼくはこの浮き輪を『魚』に変えられます。そいつにひっぱってもらえばいい」

「……ッ!?」

 皆の目を集めたまま、浮き輪は彼の言葉通りに姿を変えていく。言葉通りにーー魚の姿へと。
 それは単なる変形の類いではない。まったく別物への変化。魚の目はぎょろりと動き、確かに生きていることを示してみせた。
 広がるのは驚愕。息を呑む者。あんぐりと口を開く者。共通するのは目の前の光景に言葉を奪われているということだった。

「このジョルノ・ジョバァーナには夢がある!ぼくらはのし上がって行かなくっちゃあいけないんです!」

 ジョルノのこの発言。唐突にも過ぎる言葉であったし、名前には彼の夢とブチャラティの出世がどう関わってくるのか見当もつかなかった。
 それでも名前にはアバッキオのように笑うことはできなかった。無視することも、また。

「……そうね、私もミスタの言う通りだと思うわ」

 ミスタがジョルノに賛同の意を示した。それに続けて名前も頷く。能力の傾向的に名前が着いていくことはないが、しかしその意思を伝えることにこそ意味があった。

「お前……」

 アバッキオの鋭い眼差し。低い声に、けれど名前は動じない。代わりに、静かに見つめてくるジョルノへと一瞬だけ視線を流した。ーー大丈夫。そんな意味を籠めて。

「だってそうでしょう?確かに無茶な計画だけど……でもやる価値はあるわ。どのみち他に術はないのだし」

 ズッケロの仲間。その正体は誰にもわからない。名前も、姿かたちも。故に先回りをするのは中々に難しい道だ。だが相手が殺意を持っている以上、迎え撃たねばならない。ならばーー賭ける価値はあるだろう。

「……まぁ、やられる前にやっちまうのはオレもいいと思うよ」

「ナランチャまで……」

 名前に続いたのはナランチャだった。元来好戦的な彼がそう結論づけたのは当然の帰結ともいえた。が、アバッキオが驚いたのはその点ではない。彼が新入りの意見を受け入れたことに目を見開いたのだ。

「……本人がやると言っているなら賭けてもいいんじゃないですか。生憎ぼくたちにはどうしようもないんですし」

 そして、フーゴも。名前やナランチャと同じく能力が暗殺に向かない彼は、それでもジョルノの意見を否定しなかった。
 となれば残るはアバッキオのみ。皆の視線は自然と彼へと集まる。別に多数決を取るつもりはないが、事を収めるにはその一言が必要だった。
 事態は一刻を争う。それはこの場にいる全員がわかっていた。わかっていたから、アバッキオもそれ以上の否定は続けなかった。ただ、一拍。

「……チッ」

 それだけ。舌打ちひとつだけして、彼はその意思を示した。けれどそれで皆理解した。

「決まりだな。頼んだぞ、ミスタ、ジョルノ」

「はい」

「あぁ、大船に乗ったつもりでいてくれ」

 ブチャラティの声に、ジョルノは小さく、ミスタは大きく頷いてみせる。共通するのは強い意思。そして確固たる自信だった。

「あなたに言われると不安しかないんですが」

「なんだとフーゴ……、そんならオメェ代わるか?」

「代われるもんならね。そうでしょう、ナランチャ……名前も」

「まぁな」

 肩を竦めたフーゴに、素直なナランチャはこくりと首を振る。
 そこにあるのは不満げな表情。先の戦いでもまんまと敵の手に落ち、そして今回はこの船で事の解決を待たねばならない。そんなの、彼からしてみればとんでもない話だ。
 とはいえそれはナランチャだけではない。そう言ったフーゴも同じ気持ちだったろうし、……それは勿論、名前だって。
 でもそんなのは言ったって仕様のないことだ。生まれ持った能力は変えようがないし、今さらどうのこうの言うつもりもない。
 だから名前は「お願いね」とだけ言って、ミスタの肩を叩いた。大丈夫かだとか頑張れだとか、そういった言葉は必要ないと知っていた。この一年近く共に過ごしてきてーー彼がどれほど頼りになるかわかっていたから。
 その思いはきちんと伝わっていた。ミスタはいつもみたいに笑って、「おう」と応えた。

「でもよォ……、ご褒美があるならもっと頑張れるんだけどなぁ……」

 その瞳にあるのは揶揄い。しかしもう半分は本気であると彼は言葉なしに言っていた。そのことも理解していたから、名前は口角を上げた。

「そうね、そういうのは大事だものね」

「さすが名前、わかってるじゃねぇか」

「ちょっと、あんまり無茶なことはやめてくださいよ」

「わかってるわ、大丈夫よ」

 心配性のフーゴに笑みかけ、名前はミスタにーー正確にはその銃に宿る魂に声をかける。

「この仕事が終わったら好きなもの作ってあげるわ、あなた“たち”のために」

 ミスタのスタンドーー“ピストルズ”には自我がある。六人、全員に。言葉を操り、好物を食べる。それくらいに彼らは人間らしかった。
 そんな彼らはひどく無邪気で、名前が言った言葉にすかさず反応した。それは近くにいた名前と、ミスタにだけわかるほどの声ではあったけれど。それでも確かに歓喜の声であった。

「なんだ、そういうこと」

「だから言ったのよ、フーゴ。大丈夫だって」

 フーゴは優しいからわかりやすく胸を撫で下ろした。そしてミスタはといえば。

「なんだよ、それじゃあオレへの褒美になんねぇよ」

「この子達へのご褒美はあなたへのご褒美とおんなじでしょう?」

 不平を口にするが、名前は一蹴した。だって彼の言葉はその半分が冗談だったからだ。だから名前があげるご褒美も半分だけ。彼もそれはわかっていたから、口を尖らせつつ「はいはい」と静かに受け入れた。