見舞いだといって果物の詰め合わせを貰ってしまった。
「……っ」
メロン、リンゴ、キウイ、パイナップル、グレープフルーツ、ハッサク……ずっしりと重い籠は見ているだけで心が踊る。名前は気の抜けた声を上げながら光輝く手中を様々な角度から眺めた。「本物だ」触っても消えない。かぐわしい匂いも、また。
でもすぐ取り上げられた。「いつまで見てるつもり?」呆れた様子の彼。「スコッチ、」名前を呼ぶと、ちょっとだけ困ったような顔になった。
「どうして盗るの」
「盗るもなにもこれは俺があげたのだろう」
「私が貰ったんだからもう私のよ」
名前は奪い返そうと手を伸ばした。
のだけれど、手負いの攻撃はあっさり交わされてしまう。「暴れるなって」俺は腐らす前に食べろって言いたいだけ。そう言って、彼は籠の中からリンゴを取り出した。
「ほら、剥いてやるから」
大人しくしてろ。そう言われなくとも名前は大人しくせざるをえない身の上である。足は手術で固定されているし、折られた肋骨も治ってない。動こうったって動けないのだ。おかげで暇を持て余している。
名前は言いつけ通り大人しく彼の動作を見守った。するするする。一見リンゴをただ回しているだけのようなのに、彼の指先は的確だった。ぺらぺらの赤い皮だけ削ぎ落としていく。彼は身ぐるみ剥がすだけでは飽きたらず、8個に分解して皿の上に並べた。「はい」どうぞ。爪楊枝でぐさり。刺されたリンゴの一片が名前の前に差し出された。
「おいしい」
さくりと口に馴染む歯応え。涼やかな甘み。お腹だけでなく喉まで潤すところがなんとも憎らしい。
「覚えててくれたのね」
リンゴ好きってこと。スコッチに話したのはいつだったか。考えてみると3年……いや、それ以上前になる。そんなに長い付き合いだったかしら。まじまじと見てみるけれど、いまいち彼はとらえどころがないからそんな気がしてこない。もっと短かったような感じもするし長かったような感じもある。
今も。
名前には彼が何を考えているのか検討もつかない。「……あぁ、」そう答えた彼の顔がどこか遠い。まだ視力が回復していないのかしら、と心配になる。あぁでも以前からこうだったかもしれない。以前から彼は、どこか。
ーー以前って、いつからだろう?
「あなたがリンゴを買ってくれたのっていつだったかしら」
雨音が窓を打つ。晴天は雨空に変わっていたのだ。ぼんやりリンゴを咀嚼している間に、一瞬で。あるいは、名前が気づかぬうちにゆっくりと。
「いつ、だったかな。3年は前だと思うけど」
やっぱり彼は少し困った顔をしている。そういう顔の似合わない人だと思っていたはずなのだけれど、これもまたいつの間にかすっかり馴染んでしまった。
ーー3年前はそんなことなかったのだけれど。
「もう少し前の気がするわ。たぶん、会って間もない頃」
雨脚がはげしくなる。雨粒が名前たちの間を割って入る。ベールのような隔たり。頭を揺らす合唱。
雨音が、うるさい。
「そうだったかな」
答える声も霞んでいる。ぐらぐらふわふわゆらゆら。「そうよ」名前は頭を押さえた。「だからきっと4年前、」……本当に?4年前のような、5年前のような。考えようとするのに、雨音がノイズのように邪魔をしてくる。
「あの日も雨で、任務帰りで、そう、屋台があったの。果物を売ってた。その中から彼はリンゴを選んだわ。だから私は言ったの。今日みたいに、」
ーー本当に?
1度疑問が噴き出すと、途端にすべてがあやふやになる。曖昧模糊。地面に立っていたと思ったのにそこは氷上だったような。あたりは霧に包まれ一寸先も見えないような。雨だった気もするし晴れだった気もする。曇りだったかも雪だったかもしれない。
だから不安になって彼の手を握った。
「そうよね、スコッチ」
そう聞くと、やっぱり彼は困ったように笑った。
名前が怪我を負った。
赤井秀一。FBIの男と列車で遭遇した彼女は、男に壊された。体だけではない。心も。
『これは心理的なものです』
医者はそう言った。『時間をかけましょう。急いてはいけません』絶対に治るとは言わなかった。そしてそれは俺も十二分に理解していた。だって彼女はとうに壊れているのだから。
スコッチという男が死んで3年になる。彼が亡くなってすぐ、名前は壊れた。スコッチという彼女にだけ見える同居人を作り上げた。幻覚。幻聴。彼女は夢に生きた。
そうして月日は流れ。シェリーの捜索にあたることになった俺は、彼女を利用することにした。もとよりそのつもりだったのだ。『名前は使える』彼は言っていた。組織に造られた獣。狩人に仕立てあげられた少女。彼女はジンを嫌い、スコッチを慕った。使える。俺も確かにそう思った。
けれど計画はそう都合よく進まなかった。
始まりは彼だった。彼はその心根のよさから少女に情を移した。その時から嫌な予感はしていた。『あまり深追いするなよ』俺は忠告したが、二人は戻れないところまで来ていた。そのうちにスコッチは死に、名前は夢に逃げた。スコッチは生きているという夢に。
バーボンは安室透になった。彼女は従妹の名前になった。スコッチはスコッチのまま安室透の家に居座った。
『ミステリートレインですって。面白いことをするわよね。……あぁ、ごめんなさい、スコッチは面白くないわよね、今回も留守番だもの』
彼女はよく喋った。こんなに話すのはスコッチ相手だけだった。もちろん俺は二人の世界を知らないから、ここでいうスコッチとは幻覚の方である。
俺と彼女と彼女だけの幽霊。常人なら頭が変になりそうな生活だが、俺には哀れみしかなかった。かわいそうな名前。人間の降谷零はそう思うが、警察の降谷零は都合がいいと思う。俺が誘導すればスコッチは思い通りに動き、名前はそれに従う。彼女は彼女の夢に利用される。俺は幼馴染みと彼の愛した娘を利用する。奇妙な生活はしかし破綻せず、つつがなく進行した。
あの日までは。
『スコッチが死んだなんて嘘よね』
目覚めた彼女は虚ろな目をしていた。『嘘よ、嘘と言って、ねぇ、バーボン、』その声には諦観と絶望があった。
俺は諒解した。名前は夢から醒めてしまったのだと。
次に目覚めたとき、彼女は完全に壊れていた。『お見舞いに来てくれたのね』名前の目は空っぽだった。魂の抜け出た瞳で懐かしい笑みを浮かべた。
『スコッチ』
俺はバーボンからスコッチになった。
心因性の一時的な失明。医者はそう判断した。現実からの逃避。なるほど、納得の解決法だ。おまけに耳の方は俺の声を勝手にスコッチのそれにすげ替えていた。視野を偽るよりそっちの方がまだ容易だったのだろう。鼻の方がどうなっているかは知らない。どうなっていようと、俺はスコッチなのだから。
視力は1週間ほどで治った。けれどその間にバーボンをスコッチに塗り替えきった。他の何もかもが見えるようになっても俺だけはスコッチのままだった。
今も、彼女はスコッチと会話している。俺の知らない思い出話を俺としている。
「あの時、私はリンゴにかぶりついたの。そしたらあなた、笑ったわよね。私の頭をぐしゃぐしゃにして」
「それはきっとあまりに獣らしかったからだろうな」
「そうだったの。あなた、面白いなぁとしか言わなかったから知らなかったわ」
スコッチはバーボンを塗り替え、バーボンはスコッチを塗り替える。名前は何も知らない。知らないまま、思い出を積み上げる。
差し込む青空が不釣り合いなほど、室内は灰色だった。ここだけ霧がかっているよう。
リンゴの爽やかな香りと鮮やかな音。うすら寒い病室の白。降り注ぐ陽光。青白い頬。笑う脱け殻の少女。
「そういえば、いつの間にリンゴ剥けるようになったの?」
前は皮の方が多かったのにね。なんて名前は笑う。なんにも知らない3番目の名前は笑う。
俺もいつもの顔で答える。
「……さぁ、どうだろう」
俺はスコッチではないから分からないな。
そう言ったら名前はどうなるのだろう。そして、俺は。
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お題箱より。
色々パターン考えましたが、結局定番ネタになってしまいました。
こんなことになってますが、主人公は根が強いというか図太いというかそんなところがあるので、ちゃんとしたきっかけがあれば立ち直れると思います。
例で上げていただいた組織壊滅後の話も書いてみたいです。が、その場合降谷さん落ちで大丈夫でしょうか?今考えてる話だとそうなってしまうので、もし違うパターンがいいという方がいらっしゃいましたらお題箱にてお願いします。
今回もありがとうございました。楽しく書かせていただきました。