美しきもの


 ジョルノとも無事合流し、一行はブチャラティに先導されケーブルカーへと乗り込んだ。行き先はカプリ島中心部、ウンベルト一世広場である。ーーいよいよ、ポルポの莫大な遺産と対面するのだ。

「っはぁ〜……ヤバい、めちゃくちゃドキドキしてきた」

「静かにしててくださいよ……。ぼくたちはあくまで観光客、不審がられでもしたら水の泡ですからね」

「わかってるって」

 沸き立つ心のまま。幼子のように落ち着きのないナランチャの足を、フーゴはぴしゃりと叩く。
 その声の密やかさ。油断なく辺りを見回す仕草は、慎重居士な彼らしい。隣り合う二人は対照的だけれど、その距離の近さは歳の近い兄弟のようだった。
 だから向かいに座る名前の口元にも笑みが零れる。

「だったらやっぱり正解ね。荷物になるかもって思ったけど……」

 名前が指し示すのは二人の手元。皆で仲良く分け合うお菓子は船に乗る前にナランチャが買い求めたものだ。
 ナランチャとしてはクルージングの中で優雅に楽しむ予定であったものだが、しかしこれがここに来てうまい具合に景色に溶け込ませてくれた。気の合う仲間と遊びに来たーーそんな観光客として。

「だろ!?なんかなァ〜ビビッと来たんだよなァ〜……やっぱオレ、冴えてるんじゃない?」

「ええそうね、すごいわナランチャ」

「あぁ、もうッ!だからってポロポロ溢すんじゃあないッ!!」

 マリオ・ズッケェロたち、襲撃者を纏めて縛り上げ、船内に置いてきた時、ナランチャは自分の荷を持っていくと言って聞かなかった。楽しみを邪魔されたのが余程我慢ならなかったらしい。だから皆呆れ顔で彼の訴えを受け入れたのだけれど……遺産を前に胸を弾ます者、先を見据え緊張を走らす者、それらを隠すのにこの小道具はもってこいのものだった。
 そう、名前が微笑むとナランチャは途端に目を輝かせる。どこか得意気な表情は、けれど相変わらず幼く、名前からすれば……愛らしい。
 そんな名前では頼りにならない。こうなったらもう手遅れだ。嫌になるほどそれを知っているフーゴは、今度は父親のような顔でナランチャを叱りつけた。はしゃぐ余り手元が疎かになり、ポテトチップスの破片を床に撒き散らしているナランチャを。

「オイオイあんま騒いでっとよォ……このアバッキオがいつブチギレっかわかんねぇぞ……」

「勝手にオレを引き合いに出すんじゃねぇよ」

 隣のボックス席。座るミスタはニヤニヤと笑いながら脅し文句を口にする。かかわり合いになりたくない。そんな風で無視を決め込んでいたアバッキオを巻き込んで。そうやって顰めっ面をする彼と、その様子がおかしくてさらに笑うナランチャたち。ブチャラティはそんな彼らを眺め、ほんの少し表情を和らげた。
 そして、名前は。

「ジョルノもおひとついかが?」

 何故だか座席に座ることもなく、皆を見守るようなところで立っていた少年に歩み寄り、声をかけた。手にはローカーのチョコクッキー。パックをそのままジョルノに差し出してみる。
 ……が。

「……ジョルノ?」

 目を見開いた彼。虚を突かれた、そんな具合の表情は存外に幼げで、名前も釣られて驚きを洩らす。
 しかしジョルノはすぐに平静を取り戻した。

「……これをぼくに?」

 とはいっても驚きは冷めやらぬ。訝るような不思議がるような。そん調子で彼はちいさく首を傾げた。
 その反応が気にかかるのも事実。けれど名前は今はそれを横に置いておくことにした。そうするのがいいと思った。なんとなく、ただそれだけ。思い、名前はお節介やきの顔のままジョルノに笑みかけた。

「ええ、そうよ。……もしかして甘いの苦手だったかしら。それならほら、あっちにポテトチップスもあるわ。ちなみにトマト味よ。どう?」

「あぁ、いえ。……ではこちらを」

 どうやら甘いものが苦手、というわけではないらしい。単に新入りということで遠慮していたのか。
 それならば悪いことをした。もっと気軽に輪に入れるよう、名前が注意深く気を遣ってやるべきだった。どんなに落ち着いて見えても、彼だってまだ学生。十五歳の少年に変わりはないのだからーー。
 そう、名前はクッキーを咀嚼するジョルノを見守った。彼の言葉が嘘ではないと。名前に気を遣ってクッキーを受け取ったのではないことを確認してから、名前は口火を切った。

「よかった。やっぱり疲れた時には甘いものよね。私もよくお菓子を作るのだけど……同居人がナランチャしか居なくて。そのせいでよく余らせてるの」

「はぁ、」

「だからね、……今度からはあなたにも手伝ってもらえると嬉しいわ」

 曖昧な返答。しかし名前は気にしない。気にしないことにした。それよりも先に伝えたいことがある。
 そう。名前は、ジョルノに伝えたい。

「……ありがとう、ジョルノ」

「え?」

「あの時……あなたが活路を見出だしてくれたから、今の私たちは五体満足でいられるの。だからありがとう、それを言いたかったの」

 あの時ーー船上で、ズッケェロの仲間がカプリ島で待ち構えていると知った時。打つ手も思いつかず、敵の待ち構える島に入港しなくてはならないのかと皆が冷や汗をかいた時。ーージョルノが、道を切り開いてくれた。
 それは間違いなく光だった。名前にとっても、ブチャラティたちにとっても。彼は涼やかな風であり、差し込む光明でもあった。
 だからずっとお礼が言いたかった。それだけは絶対に伝えなくてはと思っていた。これが自己満足に過ぎないのだとしても。
 そう思っていたから、名前は彼からの返事に期待などしていなかった。言うだけ言って、満足していた。
 そんな名前に、彼はゆっくりと口を開く。

「……あなたは、気持ちのよい人なんですね」

 そう言った彼の目。眩しいものでも見たみたいに目を細め、彼は薄らと笑みを刷く。その様はどきりとするほどに美しく、深い色を湛えていた。

「……?そう?」

「ええ。あなたは春の風みたいに気持ちがいい」

 けれど意図がわからない。測りかね、名前は小首を傾げる。しかしジョルノはそれ以上を語るつもりはないらしい。疑問符を浮かべる名前を置き去りにして、ひとり頷いている。
 だからもう名前も受け入れるしかない。

「よくわからないけど……気持ちが悪いっていうんじゃないならいいわ。……でも、」

 そこで言葉を切り、名前はジョルノを改めて見つめ返す。幼さの残る顔立ち。端正で、どこか冷たさを感じさせる容貌。
 だがそんな彼でも、仲間の無事を知った時にはほっと表情を緩める。それを名前は知っているし、それさえわかっていれば十分だとも思う。
 ーーだから、

「それを言うならあなたもよ、ジョルノ。風のように掴み所がないけれど、あなたもきっと気持ちのよい人だと……私はそう思う」

 言い切って、名前はそっと手を引く。目を丸くしたままの彼を導いて、先刻まで自身が座っていた場所へと誘った。

「えっと……、名前?」

「ジョルノも仲間なんだから。こっちで一緒に食べましょ、ね?その方がきっとずっと自然だわ」

 窓際にジョルノを座らせ、その隣を陣取る。彼の前にはナランチャがいて、そして、フーゴがいる。
 完全なる包囲網。戸惑いがちに向けられた視線を、名前は笑顔で封じ込める。色々考えるのは後にしよう。彼が……彼らが何を考えていようが構いやしない。だって名前にとって重要なのは、ここにいる皆が大切だということだけなのだから。