ダンス・ウィズ・ウルブズ


 着信は公衆電話からのものだった。それに一も二もなく飛びついた名前は、その内容に矢も盾もたまらず車に乗り込む。

「いいか、急いでるとはいえ……」

「大丈夫、わかってるわ」

 ブチャラティの案ずる声。だというのに名前は口早に答える。そうしてからそれだけでは不十分だと察し、無理矢理笑みを浮かべた。

「一番に考えるのは彼女のこと。ええ、ちゃんとわかってる」

「……そうか」

 それならばいい、と彼はあっさり引き下がる。名前の笑顔がどれだけぎこちなかろうとも。その口角が引き攣っていようとも。ブチャラティは名前を信じた。……信じてくれたのだ。
 だから名前は応えなくてはならない。仲間を無事連れ戻すこと。そして彼女を護ること。両方を叶えるために、名前は車を走らせた。

「ナランチャ……っ!!」

 けれど彼を見つけた時には思わず声を上げてしまった。
 悲鳴のような呼び掛け。それを慌てて抑え、名前は辺りに視線を走らす。
 場所は市街地。付近で爆発があったせいで警察やら消防やら野次馬やらが集まって騒然としている。普段の静けさが嘘のように。
 そんな喧騒から一歩引いたところ。小さな店舗と店舗の間に挟まれた裏路地にナランチャはいた。

「ごめん名前……車、燃やしちまった……」

 影が落ちていた。狭い路地に深い影が。一歩、足を踏み入れただけで、冷気の膜を感じた。あちら側とこちら側。日向と日陰。その中にナランチャはいた。暗い、影の中に。
 名前は駆け寄り、膝を突いた。
 酷い怪我だった。パッと見ただけでわかるほどの火傷痕。広範囲に刻まれたそれは目にも痛々しい。
 胸に競り上がる痛み。彼の傷は私の傷だ、とでも言わんばかりに。痛む体に、唇を噛む。
 そうしてから名前は声を絞り出した。

「そんなのはどうだっていいのよ」

 そっと手を伸ばす。眉間に寄る皺。痛みを我慢する様子に泣きたくなる。それを堪え、名前は能力を発動させた。
 時間を巻き戻す。その能力のままにナランチャの皮膚は時を遡っていく。戦いの起こる前へ。日に焼けた健康的な肌へと。
 そうしたのに、ナランチャの表情は暗いまま。太陽には雲がかかり、光の一筋すら射し込まない。

「でも、オレ、命令を守れなかった……買ったものもお金も全部……」

 燃え尽きてしまったのだ、と彼は目を伏せる。
 また、黒い影。幾重にも折り重なって、その存在すらも遠退いていく。手を、伸ばさないと。

「でも、追っ手を倒したのでしょう?」

「うん……」

 名前の能力が効いたということは……つまりは“そういうこと”なのだ。
 ナランチャの傷。その原因。敵はもういない。他でもない彼の手で排除された。どこにもいないのだ、追っ手は。とりあえずはその追跡から逃れることができた。例え僅かな時間でも。名前たちはナランチャのお陰で猶予を得たのだ。
 そしてそれはとても大きなことだった。何より大切で、困難なことでもあった。だから成し遂げたナランチャは立派な働きをしたといえる。
 そう、名前は微笑んだ。

「十分よ、きっとブチャラティもそう言ってくれるわ」

「……そうかな、」

「ええ、」

 名前は頷き、その手をナランチャの頭へと置いた。置いて、優しく撫でた。

「お疲れさま、ナランチャ。よくやったわね」

「……うん!」

 雲が晴れる。幕は上がり、幾筋もの光が射す。それはナランチャの円やかな輪郭を、生き生きと輝く双眸を、眩しいほどに照らし出した。
 ーーそれが、何より嬉しい。
 この感情は任務に不要なものかもしれない。名前の本来の役目を考えれば、なおのこと。馴れ合いなど禍根となる可能性の方が大きいというのに。それでも名前は彼のことが大切で、愛しかった。

「さ、帰りましょうナランチャ。向こうに車を停めてあるから」

「あぁ……、でも大丈夫かな?そこいら中に人が集まってるし……」

 ナランチャの起こした爆発はあまりに大きく。見物人も増えたせいで、追っ手が潜んでいてもすぐにそれとはわかりそうにない。
 そのことを彼は危惧していたけれど、名前は「大丈夫よ」と笑う。

「ちゃあんとフーゴの言ったようにするもの。それに……」

 差し出した右手をナランチャが取ったのを確認し、彼を引き起こす。そして日向へと歩き出しながら肩越しにウインクを送ってみせた。

「あなたと一緒なら負ける気がしないもの」

 そう言うと、ナランチャの目が見開かれる。一瞬、その紫水晶が零れ落ちんほど。見開き、そして。

「……なんだよ、それ」

 くしゃりと猫のように弧を描く目。ほんの少しの羞恥を滲ませたそれは、名前の胸まで温かなもので満たす。
 喜びと充足感。そうしたものを繋いだ手から伝え合い、名前とナランチャは笑みを交わすのだった。