酔いたまえ
二階へ上がるナランチャの足取りは重く、しかしそれでも彼は誠意を見せなければとトリッシュの部屋をノックした。
「……はい」
「あ、悪い、トリッシュ……その、」
騒動を聞いていたのか、或いは気配を察知したのか。突然の訪いにも関わらず、トリッシュに驚きはない。落ち着いた顔でナランチャを見、それから名前に目を移した。
対して。ナランチャの声に宿るは躊躇いの色。言葉を詰まらせ、頭を掻き。視線をさ迷わせ、困った様子でやはり名前を窺い見るのだった。
二人から視線を向けられ、そうして名前は眉尻を下げる。ーーここはナランチャに任せるべきだろう。今はこんな様子だが、謝りたいと言ったのは彼の方だ。そうでなければ彼自身納得ができないはず。
だから名前にできるのは切欠を作ることだけ。
「あの、ナランチャから話があるのだけれど……今、時間いいかしら」
「……いいけど、」
トリッシュは片眉を上げ、扉を引いた。二人が入れるよう、場所を空けて。
「中に入ったら?あたし、立ち話って落ち着かないのよ」
神経質そうに走る視線。その先にはミスタがいた。銃を手にした彼は廊下の突き当たり、窓の向こうを警戒している。名前たちにとっては当たり前の光景。けれど彼女にとっては違う。非日常の代表がいては落ち着かないーーというのが本音だろう。
そう察し、名前は微笑んだ。
「ありがとう、トリッシュ」
トリッシュはベッドに腰かけた。ナランチャは所在なさげにその前へ。佇む彼に、名前は「さぁ」と促す。と、ナランチャは小さく顎を引き、ごくりと喉を鳴らした。
「あ、あのさぁ、トリッシュ……悪い、オレ……その、頼まれたもの全部燃やしちゃって、」
ごめん、と。切欠さえ掴めばもう躊躇うことはない。彼は潔く全てを明らかにし、勢いよく頭を下げた。
その姿はあまりに真っ直ぐ。故にトリッシュは目を瞬かせる。その誠実さに。驚き、戸惑い、そして。
「……いいわよ別に。不自由になるのはわかってたし」
「トリッシュ……」
「それにあなたに文句つけたら名前が怒りそうだし」
「うっ……」
トリッシュは肩を竦めた。それは彼女なりの冗談であったのだろう。
だが、今の名前には耳の痛い話だ。
名前は小さく呻き、顔を歪める。脳裏を駆けるのは鮮やかな記憶。つい先刻の、フーゴとのやり取り。過ちを思い出し、名前は顔色を悪くした。
「なに、既に問題でも起こしたの?」
「ち、違うんだ!名前はオレのこと庇ってくれただけで、」
「いいのよナランチャ。私が言葉を間違えたのは事実だもの」
身を乗り出すトリッシュに、ナランチャは慌てて声を上げる。広げられた手は名前を庇うよう。自分のことでもないのに、彼は必死の形相でトリッシュに答える。
なんと優しいことだろう。それだけでもう十分。名前は表情を緩め、ナランチャの肩を叩いた。平気だと言外に告げて。
相変わらず心配そうな目を向けるナランチャに笑み返し、そうしてから名前は先刻の騒動を包み隠さずトリッシュに語った。結果、例え彼女に大人げないと思われようと仕様のないことだ。せっかく縮んだ距離が離れてしまうのは悲しいことだけれど、と。
そう諦めを滲ませ、事の次第を語った名前に。
「……なんだ、そんなこと」
トリッシュは呟いた。肩透かし。そういった調子に、名前もナランチャも目を丸くする。
それを見て彼女は溜め息まで吐く。呆れた。そう言葉にされずともわかるくらいに。彼女は名前を見つめ、続けた。
「あなたたち、鈍感にも程があるわ」
「えぇッ!?オレまで!?」
「そうよ、ホントお似合いね」
やれやれと髪を掻き上げ、トリッシュは名前を、それからナランチャを見やった。いきなり話に持ち出された彼としてはたまったものではない。心外だ。そう己を指差すナランチャであったが、トリッシュは意にも介さない。
「あなたが悪いとは思わないわ。彼……フーゴのことはかわいそうだと思うけど」
と言う彼女の顔。仄かな揶揄いを帯びた瞳に、名前たちは顔を見合わせる。
「なんだよその言い方……気になるなァ〜……」
「ねぇトリッシュ、ちょっとだけでも教えてくれないの?」
「嫌よ、こんなとこで恨みなんて買いたくないもの」
「恨みィ?今さら……いでっ」
「今のはナランチャが悪いわ」
勿体ぶるトリッシュに口を滑らせるナランチャ。そんな彼を叱りつけると、またもトリッシュは呆れ笑った。
「……ホント、仲良いのね」
緩む目元。それは昨日とは比べ物にならない程に柔らかで。
名前たちも釣られて相好を崩すのだった。