風見裕也と女子高生

 風見裕也には気になる女性がいた。いや、女性というより少女といった方がいい。なにせ、「こんにちは、風見さん」と微笑む娘は大人びた目をしてはいるが、輪郭にはまだあどけなさが残っているのだから。風見からすれば、娘は少女であり、妹のような存在と称するのが適切であった。

「やあ」

 軽く挨拶をしてから、あまりに気安すぎたかと憂慮した。風見にとっては少女でも、決して子供ではない。微妙な年頃の娘。ただでさえ女は面倒だという偏見を持っていたので、気を悪くしたのではと風見は案じた。
 しかしそれは杞憂であったらしい。むしろ娘の笑みは深まった。

「相席、よろしいですか」

 心証を害したのなら回れ右をしているはず。風見は胸を撫で下ろし、手で促した。「どうぞ」それに娘は丁寧に感謝の言葉を述べると、ゆったりと腰を下ろした。
 途端。
 ふわり、と彼女の動きに合わせて立ち昇る芳香。高雅な白。冬の朝に似た爽やかな空気。名前と名乗った娘からは清廉な気配がただよっていた。しかしその面差しにはどこか影が落ち、匂いたつ色香がある。相反する様は百合の――特に白百合を想起させた。
 風見一人のときは寂しげにぽつねんとしていた空席。だが娘によって一息で色をもった。娘は当たり前のように、さながらパズルのピースのように、カフェの風景に馴染んだ。
 そこでようやく風見は自分の神経が張りつめていたことに気づいた。いつの間にやら弦のように伸びていた背。こわばった肩。やれやれ、と何気ない風を装って体を解した。やれやれ、いつになったら慣れるのか、と。
 もともと風見にカフェ巡りの趣味はない。そういうところは女性の領域だと思っている。それが勝手な思い込みだとは重々承知しているが、しかし暖簾をくぐる気にはなれなかった。
 だからこの店――紅茶専門店として名高い喫茶店に立ち寄ったのは偶然としかいいようがない。
 たまの休日、ふらりと出歩いた先。まず目に留まったのは葉っぱをイメージしたのであろうシンボルマークだった。それからガラス張りの建物と貼られた広告に視線が向いた。立ち寄ろうと決めたのはそこに踊る文字が理由だったように思う。三月ほど前になるから正確には思い出せないが、お茶ではじめる健康がどうとか、つまりそういったものがアピールされていたのだろう。仕事柄――といっても社会人など皆そうだが、健康という言葉に風見は弱かった。リラックス、疲労回復……眉唾だと内心笑いながらも日々そうしたものを気にかけずにはいられない悲しい性。類に漏れず風見もそうであったから、つい扉をくぐってしまった。
 入ってから風見は後悔した。頭から抜け落ちていたが、この店はハーブを取り扱っていた。そして風見は大衆のトレンドに――とりわけ女性のそれには――たいへん疎かった。
 つまり、客層の中心は女性であったのだ。
 理容師任せのヘアスタイルに無骨なデザインの眼鏡、流行から取り残された安易なファッション。風見裕也は浮いていた。
 とはいえ女性たちにそのつもりはない。ドアの鳴る音でちらりと入店者を一瞥。あら珍しい、男性客だわ。そう目で語って、自分たちの世界に帰る。そう、彼女たちにその気はなかった。けれど風見にはなにか訴えてくるものが感じ取れた。疎外感と圧迫感。居心地の悪さにたたらを踏む。だがここで店を出てはさらに注目されるだろう。そう考え、ごくりと唾を飲んだ。
 一歩、二歩、三歩。そこからは早足で店の奥まで抜け出した。店内は二階建てらしく、一階は茶葉の売り場となっていた。その奥まったところ、棚と棚で覆われた場所に、体を滑り込ませた。
 もう視線は感じない。そう自認して、ようやく気を緩めた。すると自分はなにをやっているのだという慚愧の念が込み上げてくる。吹き出た汗を拭い、顔をあげる。せっかく入店したのだ、どうせならよくよく見ていこう。そう思った。
 しかし風見に茶葉の知識はない。白眉たる上司であればそちらにも精通しているのだろうが、あいにく風見の頭は仕事に関する事柄以外受け付けないようにできていた。
 だから茶葉の写真を見ても名前を見てもはたまた解説を見ても、それがどうしたと首を捻る他ない。同じ効能があるなら一番効くのだけを置けばよいだろうに。風見はそう考えてしまう男であった。
 これはどうしたものか。顎に手をやりながら商品に目を凝らし、あるいは遠ざかり、品定めをしていく。このとき風見の意識は一方に注視していた。仕事上ではあれやこれやと同時にこなせるものだが、私生活においての風見はとかく不器用であった。なので目が一点に集中しているとき、他の感覚もそれに同期してしまっていた。
 よって。

「――なにか、お探しですか」

 そう声をかけられて、はじめて娘を認識したのだ。
 このときは本当に驚いた――突然、隣に娘が現れた。そう錯覚するほど自然に娘はそこにあった。
 明眸晧歯。真っ先にそれが浮かぶほど、娘は美しかった。整いすぎた目鼻立ちは人形じみていて、どこか浮世離れしている。絹のようなシルバーブロンドに、アーモンド型の澄んだ目、花開いた唇。透明感のあるすっきりとした指先は、いくつもの商品が詰まった木籠を抱えていた。
 それでこの娘が店員でなく客なのだと理解できた。到底信じられない――それほど、彼女はこの店にしっくりときていた。
 それはどうしてか。甘い香りを吸い込んで、気づいた。娘からは花の匂いがした。花橘のような、そんな香りだった。
 そういったことに頭が向いていたから、答えるのが遅れた。「あぁ、いや……」口ごもり、首の後ろを掻く。タイミングを外してしまった。そんなだからもっといい答えがあるのではと考えてしまい、切り出せない。
 とはいえ、問われたのだから返事をせねばなるまい。風見はひとつ咳払いをした。

「いいや、探し物があるわけではないんだが」

 正直に話すのはプライドが許さなかった。いい歳をして、しかもそれを年下の娘に話すのはどうなのかと思った。

「そう、だな……、飲みやすいものはないかと思って」

 だからこういった具合に取り繕ってしまった。嘘は言っていない。飲みやすいものを求めているのは事実だ。少しばかり隠した部分があるだけで。
 娘は思案げに頬に手を当てた。「飲みやすいもの……」娘の手は籠の中からひとつの商品を抜き出した。

「こちらはどうでしょう?カモミールは有名ですし、レモングラスやオレンジの爽やかさがハーブティの癖を緩和していると思いますけど」

 にっこり。勧められるがまま、風見は娘の手からパックを受け取った。
 娘は名前と名乗った。「よろしければお茶を飲んでいきません?」邪気のない笑顔に、つい頷いてしまった。こう振り返ると風見が女性に弱いようだが、そうではない。本能的に――というと非科学的で風見としては如何なものかと否定したくなるが――なぜか名前には警戒心を持てなかった。
 二階の喫茶店で会話をしているうち、その理由がわかった。
 名前は風見の尊敬する上司に似ているのだ――。
 とはいえどこがと問われたら言葉に詰まる。具体的には説明できないのだ。ただ風見にはそう感じられた。会話の豊富さや言葉選びや仕草や――そういったところに。
 名前との会話は弾んだ。性も歳もまったく異なるというのに、不思議と。世界情勢や経済やといった内容であったから、場に合ってはいなかったが。
 だから1週間後の休日も同じ店に足を運んだ。足が向いた、といった方が正しいか。自然とそちらに向かっていた。着いてから、なんの約束もしていないのに何故――と己を笑ったくらいである。それでも前回名前が美味しいと言っていたお茶でも買って帰るかと考え、軒先をくぐった。
 果たして名前はそこにいた。
 本当に驚いた――名前も同じで、風見を認めるとアッと声をあげた。狐につままれた気分だった、と名前は笑った。
 以来、日曜日の午前10時にはこの店に来るのが習慣となった。

「今日はお休みなんですね。先週はお会いできなかったから気にかかっていたのですけれど」

 盛り上がる夏を感じさせず、名前は髪を揺らした。透き通った髪は差し込む日差しのようだった。
 風見は目を細めた。こういうとき、自分の仕事を改めて誇りに思える。名前のような気のいい人間を守るために東奔西走しているのだ――そう思えば、なおのこと仕事に励まねばと気を引き締められた。

「あぁ……仕事が立て込んでて」

「そう、でしたか……」

 一瞬考え込む動作。「どうかしたかい」そう聞く前に、名前は目元を弛めた。「おつかれさまです」その顔に不自然なところはひとつもない。見間違いだったか、と風見は思い直した。

「いや、俺の仕事など大したことではないさ。あの人――俺の上司なんだが、その人はいつ寝てるんだと心配になるくらい働きづめだからな……」

「そこまでですか……」

「あぁ、そういうところも含めて尊敬しているが……しかし不甲斐ないなと思うよ。俺たちが任せてくれと言えればいいんだが」

 そこで会話は一度途切れた。トレイを持った店員が回ってきたからだ。
 高いところで髪をまとめた店員は二人の前にグラスを置いた。その間にスコーンの山が添えられる。「ご注文は以上でよろしいですか」形式通りの質問に名前は「ありがとう」と笑いかけた。

「……確かに旨いな」

 安易に娘と同じものを頼んだが、これまでと同じく当たりだった。レモンの甘酸っぱさが鼻の奥まで抜けていく。紅茶の味に拘りのない風見でも、これが美味しいものだということはわかる。ベリーとダージリンのスコーンにも舌は喜んだ。

「でしょう?」

 名前は淑やかにグラスを傾けた。がやがやと高い声でざわめく客たち。ガチャガチャと鳴るグラスや皿。その中で名前は白百合のように雅やかにあった。

「……きっと、風見さんの気持ちは伝わってると思います」

 すっ、と空気が変わる。
 なごんだ目元。花開いた唇。騒がしさの中なのに名前の囁きは明瞭に入ってくる。目も耳も名前から逸らせない。

「そうやって風見さんたちが慕ってくれるからその人も頑張ろうと思えるんじゃないでしょうか」

 ここにいるのは高校生の娘ではない。そう、風見は直感した。
 静かに、流れる小川のように、名前の声は紡がれる。

「一人で戦うことなんで誰にもできませんから」

 あまりに穏やかな。穏やかすぎる声音。どこか遠くに馳せた瞳。目の奥がほのかに色づいていた。
 純真無垢な娘に、世を知らぬ少女にこんな表情はできない。今の彼女は多くを悟った貴婦人であった。
 しかしそれはすぐに顔を隠した。ありふれたごく普通の少女のあどけない笑み。「なんて。受け売りなんですけどね」恥じらい、はにかむ姿。それは咲いたばかりの花だった。

「それは例の恋人のことかな」

「……ええ」

 からかうと、名前は笑みを深めた。恋に満ちた乙女の顔は風見には眩しすぎた。恋などいずれ雪のように溶けてしまうというが、彼女は遠く過ぎ去った過去を思い起こさせる。夢見がちだった、子どもの頃を。
 「本当に、素敵な方なんです」うっとりと浮かれ調子で名前は呟く。甘やかに酔いしれた口ぶり。陶然と潤む目。近頃の風見は慣れたものだが、初めて見たときは驚き呆れたものだ。それくらい彼女は男に焦がれていた。
 「へえ」風見は大人であるから名前の言葉を否定しない。けれど内心では彼女の崇拝ぶりに不安があった。名前はすべてを擲ってでも男を愛している。風見にすらそれはありありと伝わってきた。しかし風見は男を知らない。名前が慕うほどの男であるのだろうか。心のうちで彼女の未来に気をもんだ。

「いくら好いているからといっても自分の体は大切にしないといけないよ」

 せいぜい、こう忠告するぐらいしか風見にはできない。名前はわかっていると微笑むが、風見は気が気でない。話の流れでちらりと聞いただけであるが、以前彼女は男がきっかけで怪我をしたことがあるらしい。明確に言ったわけではないが、恐らくはそうなのだろう。彼女の口ぶりと普段の態度から容易に察しがついた。
 いつか名前は男が原因で身を滅ぼすのではないか。風見は案じていたのだけれど、さりとてどうすることもできず。
 楽しげに恋人の話をする名前を、微妙な心境で聞くしかなかった。
 そんな風見であったが、噂の恋人と知り合うのはさして遠い話ではなかった。

「あ……っ、」

 それは名前との出会いと同じく偶然だった。偶然、街中で名前と出くわした。しかも彼女だけではない。名前の隣には、風見のよく知る男性が立っていた。
 お久しぶりです、降谷さん――。その言葉を寸でのところで飲み込む。名前も何かを言いかけて、しかし隣に目をやり、曖昧で中途半端で作りかけの笑顔を見せた。
 そんな不格好な表情をした名前と風見を降谷によく似た男は交互にみやった。そうしてなにもかも諒解したとばかりに、驚いた顔を爽やかな笑みで塗り替えた。

「――はじめまして、安室透です」

 そう、彼は言った。その顔も声も風見の知るものであったが、確かにそう言った。そして彼が言うのだからそれが真実なのだと風見は理解した。

「はじめまして、名前さんにはお世話になって……」

「いえ、こちらこそ……いったいどこで名前と?」

 男の目は三日月に細まっていたけれど、しかし笑っていなかった。つう、と風見の背に汗が落ちる。盛夏だというのにここだけ冷たい風が吹き抜けたようだった。
 風見はしどろもどろに説明した。名前との出会いからこれまでの経緯を。洗いざらい、すべて。
 その間、名前は決まり悪そうに指を遊ばせていた。不自然にさまよう目。そのさまは悪事が見つかったときの子どものようだ。
 「へえ」一通り聞き終えて、最後に彼は風見の肩を叩いた。びくり、と駆け抜ける緊張。立ち昇った香りが名前のそれと同じだと頭の片隅で思う。「まぁ、詳しくは名前から聞きますけど」それから、風見の耳元で一言。

「――本当に、お世話になりました」

 あまりに静かすぎる声が逆に怖かった。二人の姿が見えなくなるまで立ちすくんでいたほどである。刺すように風見に笑いかけて、男は離れていった。彼に引き寄せられて立ち去る名前の姿は連行される大罪人さながらで。何度も風見を振り返り振り返り、結局何一つ声を発せず雑踏に消えていった名前はあのあとどうなったのだろう。
 深入りしないでおくのが懸命だな。風見はそう頷き、忘れることにした。彼は安室透。名前の恋人。それ以上のことなど、風見は知らない。
 ただ男に対するイメージだけは払拭せねばならない。名前が敬愛する恋人。だが二人の未来に不安などあるわけがない。あの人なら安心だ。
 いずれくるかもしれない上司からの嬉しい報告に思いを馳せ、風見は足取り軽く歩み出した。







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お題箱より、降谷さんの部下に幸せを願われる話でした。

風見と知り合ったのは偶然ですが、(純黒後設定なので)主人公は降谷さんの部下と知っていて近づきました。あわよくば自分の知らない降谷さん情報を引き出すつもりで。このあとその計画も含めて洗いざらい吐かされることになります。

あまり主人公を持ち上げるのはどうかなと思いましたが普段そういう描写をすることがないので思いきって書きまくってみました。一応降谷さんの相手役なので主人公は整った顔立ちしてる設定です。普段は全然活かせてないですけど。

それでは、お題ありがとうございました。