tristezza

 ーー遡ること数時間前、ネアポリス某所にて。

「兄貴……ッ、こいつは、いや、この人は……ッ!!」

「……狼狽えるなペッシ」

 カフェのテラス席。ペッシと呼ばれた青年はたった今送られたばかりの顔写真ーーその中の一枚に目を留め、青ざめた。
 頬に落ちる冷や汗。それは怯えや恐怖といった類いのものではない。衝撃。ただそのひとつであり、それが去った後に残ったのは大いなる悲しみであった。

「まさかあの人がギャングだったとはなァ……」

 男の肩越しに覗き込んだパソコン。その画面に浮かぶのは年若い青年たち。だがその中にひとり、娘がいた。
 年は彼らが狙う少女よりも少し上か。清純な顔立ちと、聡明な瞳が印象的な娘であった。黄金の髪に菫色の目。それは彼らにも覚えのある組み合わせだったのだ。

「女のマフィアがいるってのは聞いたことあるよ……。でも『友人の友人』くらいだと思ってた……」

「そうだな、確かに珍しい」

 だがそれ自体は驚くほどのことではない、と男は落ち着き払った様子。青年は畏敬を籠めた視線を向ける。
 男たちはギャングだった。ネアポリスを支配するマフィア、パッショーネ。
 組織は表向き『封土のマフィア』の顔を見せながら、その実『都市マフィア』としての側面も持っていた。旧時代的な地域に根差したマフィア。人々から尊敬を集め、名誉に生きる男たち。そのフリをしながら、パッショーネは新興マフィアと同じく麻薬によって富を求めていた。
 その事実を知る者は少ない。幹部か、或いは暗部を担う者か。男たちは後者であり、以前起こったイタリア史上最大のマフィア裁判すらも躱した組織がいかに強大か理解していた。
 そう、男たちはギャングだ。かの有名なマフィアによる報復事件。ファルコーネとボルセッリーノ、二人の判事を始末したギャングと同じく暗殺を生業としていた。
 彼らは自身を正しく評価していた。証拠の一端すら残されなかったピッショッタ暗殺事件。その犯人にひけを取らないほどの能力を持つと自負していた。
 男は画面の向こうの娘を見つめていた。見覚えのあるリストランテが背景の写真。ピッチョッティーーマフィアの手足となって働く若者たちーーが撮ったもの。客相手にだろう、けれど心の底からとわかる大輪の笑み。

「…………、」

 それらにより改めて思い起こされる記憶。
 ーーいい女だった。賢く、思慮深い。男たちが普通とは違うと勘づいていながら、それを表には出さず。ただの客と従業員として振る舞った。

「……だが、今思うと納得だな」

 あれほど肝の据わった娘も珍しい。しかしギャングだったのなら得心もいく。あの目。真っ直ぐ、揺るがぬ目は男にも覚えのあるものだった。
 そう、男は娘を評価した。が、青年は首を捻る。「そうかなァ……?」青年にとって、娘は優しいばかりの思い出でしかない。

「この人からならトリッシュも奪えそうな気がするけど……」

 それは力ずくでも、説得でもという意味を含んでいた。彼女ならわかってくれるんじゃないか。彼はそう考えたのだ。

「甘ったれたこと言ってんじゃねぇ」

 しかし男は顔を顰めた。

「“こいつ”は何がなんでもボスの娘を守る。……そういう面構えだ」

 男の考えは青年とはまったくの真逆。この女を相手にするのは骨が折れる。そんな予感があった。
 確かに娘の面立ちは柔らかい。戦いよりも話し合いを好みそうだ。しかし男はその目の奥に意思の強さを見た。決して折れない信念。一度守ると決めたからには絶対に守り通す。そんな清々しいほどの輝きがあった。
 それに、と男は思う。ーーそれに、オレのスタンドなら。女には効きが遅れるから、他の男たちが倒れた後も彼女ならば耐え凌ぐことができる。トリッシュと共に。ーー最期まで彼女を守ろうとするだろう。
 男が断言すると、青年もそういうものかと頷いた。青年は男の勘がいつだって正しいことを知っていた。

「そっか……、いい人だと思ってたのに」

 青年は無念そうに目を伏せた。
 それに男は答えず、青年の頭を軽く叩く。
 ーーまた甘ったれたことを言って。そう無言のうちに叱りつけ、それから「行くぞ、ペッシ」と立ち上がる。

「あぁ!待ってよ兄貴ィッ!!」

 慌てて身支度を整える青年は気づかなかった。パソコンを閉じる寸前、ふと。男がその画面を然り気無く指先でなぞったことを。

「……残念だ」

 囁きが写真の中の娘へと向けられたのを。