奴らに深き眠りを


 ーー異変は、突如として現れた。
 急速に老いていく肉体。乾いた肌。軋む骨。時間という無法者の老人が大鎌を振り上げて襲いかかってきたのだ。
 無事なのは女性である名前とトリッシュ、それから直前まで体を冷やしてきたブチャラティとミスタだけだった。
 ーー事は一刻を争う。

「ミスタ、おまえがその氷を持って敵を倒しに行くんだッ!氷が溶けて……『スタンドパワー』と『体力』がなくなる前にッ!」

「待ってブチャラティ、」

 けれど名前には伝えなければならないことがひとつあった。たったひとつ。そう、今だからこそ伝えなければならないことが。
 「名前?」向けられるのは訝しげな眼差し。焦りを含んだものに、名前は体が強張るのを感じる。背中を走るのは緊張。ーーもし、失敗したら。
 何せ長いこと『やったことがない』。およそ十年前、『あの戦い』以来止まった名前の時間。本能的に発動したスタンド能力。それからずっとスタンドを解除したことはない。他の対象に能力を使う時でさえ。一年前、友人を探すために一時的に時間を『進めた』けれど、完全に能力の発動を止めたことは今までなかった。だから止めた時どうなるかーー名前自身にもわからない。止まっていた時間が一気に返ってくるのか、それとも。
 ーーしかし、迷っている時間はなかった。

「私、きっとできるわ。このスタンド……私なら抗えると思う」

「そうか、皆の時間を巻き戻し続けたら……」

 一番に理解したのはやはりジョルノだった。彼は枯れていく瞳に輝きを宿し、名前を見上げている。
 その思いに報いたい。何より彼らを守りたいと、ーー強く思う。

「だができるのか?そんな広範囲に」

「できるわ、きっと。……ううん、絶対に」

 名前の能力はそれ故に範囲が狭い。今まではずっと対象ひとつだけに能力を使ってきた。
 当然の懸念を示すブチャラティに、しかし名前は殊更力強く頷いた。
 できるはずだ。だって、これまでだって名前は少なくとも『ふたつのもの』に同時に能力を使ってきた。自分自身と、それ以外のものに。だから片方の力を解除すればーーその分別のものに使い回せるはず。
 その対象がここにいる全員ーーというのはなかなかに難題。しかし名前には確信があった。スタンド能力とは成長するもの。それを教えてくれた幼馴染みの気高い心は今も名前の中に生きているのだから。

「スタンドは『できる』っていう思い込みが大事だもの。私、やれるわ。ミスタ、あなたが無事帰ってくるまでーー皆を守ってみせるから」

 だから安心して。心置きなく戦ってきてほしい。
 そう言外に籠めて、ミスタを見上げる。翳りなど微塵もない目。希望に溢れた眼差しは未来だけを見つめている。こんな危機的状況の中でも、いつだって彼はーー彼らは真っ直ぐだった。

「ーーあぁ。ここは名前、お前に任せるぜ」

 名前の頭をくしゃりと撫でて、彼は安全な箱庭を飛び出していく。そんな彼を名前は見送ることしかできない。広範囲には効かない能力。それがこんなにも悔しいものだなんて。
 歯噛みし、けれど、と気をとり直す。皆を守ると約束したのだ。約束は、守られなければならない。

「……名前、」

 よし、と。腹を括る名前に伸べられる手。ーートリッシュだ。彼女のしなやかな指先が、冷えきった指先が名前の腕に添えられる。
 彼女は特段動じているようには見えなかった。いつもの落ち着き払った様子。しかしその目の奥には名前を案じる温かな光があった。狙われているのは彼女なのに。怯えて当然の少女は、けれど自身のことより名前を気にかけていた。

「……大丈夫よ、トリッシュ。ミスタはとっても強いんだから」

 だから名前にも恐れはなかった。例えどんな異変がこの身に齎されようとも。それで皆を守れるのならと思った。

「…………、」

 名前は大きく息を吸って、そして。

「あ……ッ」

「体が……元に戻っていく……」

 驚きに目を見開くトリッシュ。その横でブチャラティは己の腕の中、抱えたナランチャの肌が潤いを取り戻していくのを見守った。特別症状の重かった彼。今にも枯れ木のように崩れそうな体は、しかし元の瑞々しい若者のそれに戻っている。

「……はぁっ、」

「大丈夫、ですか……?」

「え、えぇ……少し、息切れしちゃうだけ、だから」

 ずしりと重くなる体。地面へと引き摺られる感覚は疲弊感故のもの。
 気遣わしげに名前を見つめる若草色の瞳。生き生きとした春の眼差しはジョルノのもの。先刻までの翳りは消え、その瞳の中に映る名前自身もまた見慣れた姿のままだった。
 ーーどうやら、止めていた分の時間が一気に返ってくることはないようだ。
 ほっとし、けれどそのまま緩みそうになる気を慌てて引き締める。ここで自分が倒れたら約束を違えたことになる。ミスタが帰ってくるまで、能力は発動し続けなければならない。
 名前は掌を握り締めた。ともすれば反動から遠退きそうになる意識を繋ぎ止めておくために。