ミスタ√【子供の話】


ミスタが父親になったら。息子視点。子供に名前はありません。







 リングの上では一方的とも言える攻撃が続いていた。
 鳴り止まないブーイング。それを挑発するかのように冷笑してみせるレスラー。男に首を締め上げられながらも懸命にもがいている対戦相手。それが余計に哀れを誘い、観客の半分以上がそちらに肩入れしている状況だった。

「ねぇ、このまま決着ついちゃうのかな」

 かく言うぼくもその一人。元から彼は贔屓の選手であったから、彼が痛めつけられるたびにぼくまで顰めっ面になる。
 とにかくそれほどまでに魅力的な選手だったのだ。英雄的な強さと爽やかな性格。彼の試合はとかく気持ちのいい内容だった。
 だから今のぼくは気が気じゃない。せっかく買ってもらったポップコーンはまだ底を見せていないし、コーラだって室内の熱気から温くなっていくばかり。不安でいっぱいといった声で、ぼくは左隣に座したままの父に訊ねた……のだけれど。

「お前はどう思う?ここにいる連中は?」

 返ってきたのはぼくを試すような問い。質問に質問で返すなと常々言う癖、父にはこういうところがあった。
 そう、父は試しているのだ。ぼくが彼、グイード・ミスタの跡を継ぐのに相応しいか。つまりはぼくにギャングの素質があるかどうかってことを。
 察していたから、ぼくは慎重に口を開いた。熱狂する観客とは対照的に、ゆっくりと。

「たぶん……ううん、絶対に納得しないと思う」

「なら結果もわかるだろ?」

 簡単な答えだ。父はそう言って肩を竦める。
 彼にはもう何もかもがわかっているみたいだった。事実次に何が起こるのか。レスラーが拘束からあわやと言うところで抜け出し、体勢を立て直したことも。すべてが想定の範囲内といった顔で落ち着き払っている。
 試合の結末をハラハラと見守る観客席からは遠く隔たったところにいるみたいだ、とぼくは思った。父がいるのはそういうところじゃない。もっと違うところから世界を見ているんだ、と。

「でもそれじゃあ皆を騙しているってこと?」

「騙すか騙さないかはどーだっていいんだ。重要なのは観客を楽しませられるか、それだけだ」

 そしてぼくはそんな父が大好きだった。いや、尊敬しているといった方が正しいか。ぼくはぼくの名付け親へ感じているのと同じだけ、強い尊敬の心を父に抱いていた。

「ちょっと、あんまり夢のないことをこの子に教えちゃダメよ?」

 ……そしてそれは無論母に対しても。
 ぼくと父の視線は揃ってぼくの右隣へ。菫色の瞳を心配性の母親らしく波立たせたその人へと向けられる。
 ぼくの母はあまりイタリア人らしくなかった。それは半分異国の血が混じっているせいなのか、それともこの人特有のものだったのか。とにかくこの国の血というものを重要視するギャングでは珍しい、しかもそうした目をはね除けるだけの実力を持った女性だった。生憎とぼくは母がそういった仕事をしているところは見たことがなかったのだけれど、名付け親も母を信頼していたからこれは確かなことだ。
 しかし父はそんな母にも臆することはない。飄々とした笑み。口角を持ち上げて、ぼくの頭に手を置いた。

「英才教育と言ってくれ。それにこれはこれで夢のある話なんだぜ?この一試合でどれだけの金が動かせるか、ってな」

「もう、」

 父の明け透けな物言いに母は呆れたみたいだ。まだ幼い娘ーー男たちの戦いなんかには興味の欠片もないぼくの妹だーーを抱え直して、ぼくに優しい微笑をくれる。

「あなたは自由に生きていいんですからね」

 それはぼくの名付け親も口癖のように言っていることだった。
 ーー君にはその権利がある。どんな生き方をしようと援助は惜しまない、と。偉大なるボス、ジョルノ・ジョバァーナは、子供のぼくにも一端の男を相手にするような誠実さでもって語りかけてくれるのだった。

「うん。でもぼくはボス……、ぼくのゴッドファーザーの下で働きたいから」

 だからぼくはそんな彼の元で働きたいといつからかーー本当にいつからだろう?ーー思うようになっていた。かの人こそが恐れ敬うべき男。仕えるべき人だと本能的に悟っていた。

「それから勿論父さんみたいな銃の名手にもね」

 付け加えて、冗談っぽく笑う。
 と、振り仰いだ先。

「やれやれ、我が息子ながら口が上手い」

 父はひゅうっと口笛を吹き、ぼくの頭をぐしゃぐしゃに掻き回した。隣で母も「あなたに似たんでしょう」と揶揄い笑う。

「しかし……やれやれ道は厳しいぞ?なんせうちのコンシリエーレは手厳しいからな」

「それこそあなたの出番じゃない。英才教育なんでしょう?ね?」

「うん。頼むよ、父さん」

 ファミリーの顧問役は父よりもいくつか年下の男だった。けれど少年の時から恐ろしいくらいに頭の回転がよく、その切れ味といったらボスにも引けを取らないほどだと言う。
 しかも昔はかなり怒りっぽくて、一度暴れたら手がつけられないほどの狂暴さも持ち合わせていたらしい。まぁこれは父曰くの話で、ぼくにとっては時々勉強を見てくれる、歳の離れた兄のような人であったのだが。
 ともかくぼくがこう頼むと、父は仕方がないといった風に「わかったわかった」と頷いた。

「それより、ほら、ちゃんと試合見とけよ」

 リングでは戦いに決着がつけられようとしていた。結果は父の言った通り。形勢は逆転。今度はヒール役の選手が押さえつけられて、その腕は最早虫の息。レフェリーが様子を伺っても反応はない。二度、三度。それで終わり。
 わっと盛り上がる客席。先ほどまでとは打って変わってみんな笑顔だ。いつだって英雄は持て囃され、悪役は滅びが求められる。
 それは現実でも物語でも同じ。観客はお芝居だろうとそうでなかろうと求めている結末さえ手に入ればそれでいいのだ。この試合の結末が決まりきったものだったとしてもーーみんな気にしないのだろう。

「さて、メシでも食って帰るか」

「そうね、今日はどこに行きましょうか?」

「ここは中華料理……ってのが定説だろうが、まぁここはアメリカじゃあねぇし……、お前は?」

「辛くないのならなんでもいいよ」

 捌けていく人波から掬い上げるようにして父はぼくを抱き上げる。
 温かな声音と眼差し。その首に思い切り抱き着いてみたけれど、そんなことじゃあ父は揺らがない。たぶん母や妹が加わったとしてもおんなじだろう。そう信じられるくらいに力強い腕だった。










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アンケートより。ありがとうございました!
話はギャングスター<下>より。