ジョルノ√【子供の話】


ジョルノとの子供が出ます。名前はありません。







 車を降りると途端に冷え冷えとした風が体を貫く。その冷たさは芯まで凍えそうなほど。ジョルノはマフラーに半ば顔を埋め、振り返る。

「それじゃあミスタ、よい休日を」

「あぁ、お疲れ」

 運転席の彼はジョルノの最も信頼する男だった。最も信頼する部下であり、友である。それはジョルノがパッショーネのボスになって十年以上が経った今でも変わらない。そしてこの先も、ずっと。
 彼は出会った頃から変わらない。にいっと片方の口角を持ち上げて笑うのも。ミスタは気安げに笑いながらジョルノに言った。

「早く帰って家族孝行してやれ。せめて休みくらいはな」

「そうですね」

 それはジョルノが所謂仕事人間であるからこその言葉だった。ミスタなりの気遣いというやつだ。週に二日。その休みは普通の人と同じだけ大切にしなければ。ーー例えジョルノがギャングのボスだろうとも。
 だからジョルノも笑った。彼の言うことは尤もだ。「でないと愛想つかされてしまいますから」冗談めかして言ったけれど、内心では本気。己を卑下するわけではないが、未だにジョルノは普通の家族らしい距離感というものを測りかねている。
 どう接するのが正しいのか。どうすればこの日常を守れるのか。それは余りに難しい問いであった。少なくとも、ジョルノにとっては。
 けれどミスタにとっては違ったらしい。

「ショーでも観て、ディナーでも食べさせとけばアイツは満足だろ。むしろジョルノのすることなら何だって喜ぶさ」

「……参考にさせてもらいます」
 
 確信したような口振り。言い放つミスタにはそれだけを返し、そこで彼とは別れた。

「お帰りなさい、ジョルノ」

 居間には妻がいた。妻がいて、その膝ではまだ幼い息子が眠っていた。
 それで察しがついた。彼女が出迎えなかった理由。いつもならすぐに駆け寄ってくる彼女であったが、さすがに寝ている子供の前では無力。「ただいま、名前」だからジョルノの方から歩み寄り、屈んでその頬に口づけた。

「もう眠ったんですか」

「ええ、泣き疲れちゃったみたい」

 言われ、息子の顔を覗き込む。
 あどけない寝顔。だけれども、その目元には未だ乾ききっていない涙の跡が残されていた。
 「この子の大切にしてたぬいぐるみがあるでしょう?」それがふとした拍子に破れてしまったらしい。確かに彼女の言う通り、その手にはぬいぐるみがあった。が、その一部は裂け、無惨にも中身が零れ出している。それを繕っているところにジョルノが帰宅したのだ。

「それで今の今まで泣いていたんですか」

 大変だったでしょう。そう言外に含み、ジョルノもソファに腰を下ろした。そして労いを籠めて彼女の頭を撫でる。
 と、途端に崩れるのが母親としての彼女の顔。穏やかで凪いだ眼差しは弾け、少女のような恥じらいを見せる。

「あなたこそ。今日も一日お疲れさま」

 今度は、とばかりに伸ばされる手。子供にするように撫でてくる手をジョルノは大人しく受け入れた。
 とはいえ彼女がそれ以上を訊ねることはない。ギャングから足を洗い、家庭に入ったのだ。名前はその辺りのことも弁えていた。だからただジョルノの頬に触れ、微笑むだけに留めた。

「それからごめんなさい、夕食を並べようと思ったんだけど……」

「あぁいえ、大丈夫。わかってますよ、その状態じゃあね」

「ありがとう。良かったら先に食べてて。この子が起きたら私たちも夕食にするから」

 その言葉に少し考え、しかし「いえ、」とジョルノは首を振った。

「待ちますよ、どうせなら家族全員で食べたいですから」

「そう?……ううん、そうね」

 名前は目を瞬かせたが、すぐに納得した風で頷いた。ありがとう、ともう一度言い添えて。
 だが礼を言うのは自分の方だとジョルノは思う。家族。その言葉に特別大きな意味を感じているのは自分なのだから。家族という括りを何より大切にしているのだから、と。
 思いながら、ジョルノは隣に視線を移した。名前はもうぬいぐるみの補修に気がいっている。ジョルノが自分や自分の子供をどんな目で見ているのかなんて無論気づいちゃいない。その眼差しが言葉よりも雄弁に愛しさを語っているかなど。
 名前の指先は淀みなく動いていった。そこには一切の迷いがない。流れるような所作でぬいぐるみは元の形を取り戻していく。

「ロイヤルタッチ……」

「え?」

「……あなたの手は癒しに特化しているんですね」

 かつてイギリスやフランスでは国王が患者に手を触れることで病を治すという儀式が執り行われていた。王の手には奇跡が宿るというのだ。そんな手のことをロイヤルタッチと呼んでいた。
 ……そんな話をふと思い出す。彼女のスタンドも治癒に使われることが多かったし、今では泣く子も彼女の腕の中では安らかな顔。連想するのは無理からぬことだ。とはいえ些か唐突だったのは否めない。
 だが名前が目を丸くしたのはそれだけが理由じゃなかった。

「……昔、おんなじことを言ってくれた人がいたわ」

 それは過去を懐かしむ目だった。だが哀惜の類いではない。純粋な追慕の念だった。

「ふふっ、でもそんな大それたものじゃないわ、私」

「そんなことないですよ」

「本当に?」

 針を置いて、名前は身を乗り出す。
 伸ばされる手。けれど今回は先刻とは違う。躊躇い、試す腕。触れる間際、一瞬だけ止まったのが何よりの証拠。
 しかし名前はジョルノに触れた。その輪郭に指を滑らせ、目線を合わせた。
 交わる瞳。菫色の湖面がゆらゆらと揺れている。奥底に横たわるのは朧気な月光。そして唇が震えた。

「私、ちゃんとできているかしら、あなたの家族として。ちゃんと……役に立てているかしら」

「……ええ」

 その手を、細い手首を、ジョルノは掴んだ。掴み、解き、指先を絡め。その目をしっかりと見つめて、言葉を紡いだ。そう、心からの思いを。

「あなたたちが……、名前、あなたがぼくにとっての癒しです。この上ない幸福なんですよ」

 正しい家族の形なんてものはわからない。そもそもギャングでは成立し得ないのかもしれない。ジョルノにはそれすらも明確に言えやしなかった。
 けれど幸せにしたいと思う。自分の味わった孤独や寂しさなどとは遠いところで息子には生きていってほしかった。そのためならなんだってやれるとさえ思えた。
 そしてそれを叶えられるのは名前しかいない。彼女とでなければ意味がない。彼女が妻であり母である限りーーそこに幸せはあると思った。

「そんな、直球で言われると恥ずかしいわ。……もちろん、嬉しいけど」

「よかった。でも不安にさせたならこれからはもっと口にするようにしますね。ミスタにも家族孝行しろと言われましたし。……そうそう、休みはどこに行きましょうか?」

 はにかむ名前の頭にキスを落とし、その肩を抱き寄せた。はてさて、明日の予定はどうしよう。「無理はしなくていいのよ?せっかくだし休んでくれたって」遠慮がちな言葉は唇で塞ぐに限る。でないと話が進まない。

「まぁ行き先はこの子に決めてもらいましょうか」

 運よくむずがるような声が膝の上から洩れ出す。ゆるゆると持ち上がる瞼の下、そこにあるのは彼女と揃いの瞳。そしてくしゃくしゃになった髪はジョルノと同じ色をしていた。
 ーーあぁなんて幸福な家族の形だろうか。
 幼い頃のジョルノが思い描いていた理想というものがここにはあった。