蛇
「……ジョルノ?」
駐車場の周りは背の低い塀に囲まれていた。しかし歩み寄ってみてもジョルノの影は見当たらない。
ーーどこへ行ったのかしら。
その時点で気づくべきだったのだろう。だが名前はナランチャを信頼しきっていた。その索敵能力の高さを買っていたから、違和感の先へ思い至るのに時間がかかってしまった。何故ジョルノが返事をしないのか。不審に思いつつも、その理由にまでは辿り着くことができなかった。
ーーだから。
「……っ!」
塀を乗り越えた、その瞬間。地に足がつくがつかないかの一瞬、肌に冷たい感触を覚えた。鋭利な風に切り裂かれた、そんな感覚。しかしそれが幻でないことを直に名前も知ることとなる。
バランスを崩し、膝をつく。その視界の隅、迸る鮮血。同時に喉元を掠める影。ーー息が、できない。
名前は目を見開いた。唇からは温かなものが伝い落ち、足首からは夥しい量の血が溢れ出ている。お陰で地面は酷い有り様。昼間だったらとんだ騒ぎになったろう。
しかし今は夜。静まり返った道にはひとつの影もない。誰も、誰ひとりとして気づかなかったのだ。静かなる暗殺者の存在に。
そこで名前はようやく気づく。すぐ近く、塀の影になって見えなかったが、探し人が倒れ伏していることに。身動ぎひとつなく、呼吸ひとつなく。呆然と天を仰ぐ少年の姿に、名前は音にならない悲鳴を上げた。
ーージョルノ。
彼もまた喉を抉り取られていた。それがこの暗殺者の遣り口なのだろう。
ーーそう、暗殺者に。
「……邪魔が入りました、メローネ。名前です。ヤツに気づかれました」
人に近い形。けれど明らかなる異形。スタンドだ、と名前は思った。スタンドーーそれも知性がある。だがその主の姿はどこにも見当たらない。生きている人間、そんなものが近くにいたらとうにナランチャが見つけているはずだ。
なのにここまでの接近を許してしまった。と、いうことはーー
「遠隔自動操縦型……っ」
話には聞いたことがある。だが実物を見るのは初めてだ。
否が応でも高まる緊張。まずはジョルノを治療するのが先決だ。だが敵スタンドはそれを許しはしないだろう。睨み合いは続いている。一歩、名前がジョルノに近づいた瞬間、また体の一部を抉り取られてしまうとわかる。その速さにはどうしたって追いつけない。防御に意識を割くのは無駄としか言いようがない。
ーーならば。
「足と声は奪いました。今からこいつを始末します」
「……それはどうかしら」
名前はゆるりと立ち上がった。
骨が見えるほどに深い傷。しかし既に再生は始まっている。正確には巻き戻しであるが、ともかく名前の体は元通り。肉は盛り上がり、皮膚は繋がり合う。もう自分の足で立つことも、自由に話をすることもできる。
その様に、敵スタンドの顔色も変わった。表情豊かなスタンドだ。まるで人間の子供のよう。しかし逃すつもりはない。
「ご主人様に聞いていないの?私のスタンドがどんなか、……試してみる?」
名前は口角を上げた。嘲笑するように。殊更、煽るように。笑って、名前は地を蹴った。
名前のスタンドに戦う力は殆どない。ブチャラティやジョルノまでもを倒したこのスタンドと戦ったところで勝ち目なんかなかった。消耗戦に持ち込んだところで、無限の力を持つ彼よりも先に名前の方が体力を失ってしまうのは必定。
「……クソッ」
だから名前はただ彼の意識を逸らすことだけに専念した。幾度その身を切り裂かれようと瞬時に再生させ、余裕ぶった笑みを張りつける。肉を食まれようが抉り取られようが表情は変えない。痛みなんて忘れたという風で、狂人の如くナイフを突き立てた。
「こいつ……ッ、キリがねぇ!」
そうすると直ぐにスタンドは身を翻し、バイクに飛び乗った。目的はトリッシュ。だから名前たちのことは捨て置けばいいと考えたのだろう。
しかし、その判断は名前にとっても幸運なことであった。
「人間を『組み替えて』『物質』にするか……。まったく良いヒントをくれたよ、君の能力は……」
ゆらりと立ち上がる影。月光を浴びたその姿は思わず息を呑むほど。言葉を奪い去るくらいに凄まじい存在感。一歩、彼が歩みを進めるたびに空気が張り詰める。
「ジョルノ……!」
彼のスタンドが活動を止めていないのには気づいていた。生命の気配。確かに息づくそれに、名前は賭けることにした。ーーきっと、ジョルノなら。彼には策があるのだと察したから、名前は時間を稼ぐことだけを考えた。仲間を呼ぶよりもそちらを優先した。
ーーその直感は間違っていなかったのだ。
「…………、」
ジョルノが名前を一瞥する。その目はもう案じることはないのだと何より雄弁に語っていた。