幼馴染みと再会する


原作終了後、数年後設定。
主人公が結婚してます。そして主人公も承太郎もある意味酷い(けど、不倫ではありません)。







 空港には多くの人がいた。団体旅行客もいればひとりきりのビジネスマンだって。
 けれどそんな人波の中であっても、承太郎はすぐに幼馴染みの姿を捉えることができた。幼馴染みの少女が待ち人を探し、あちらこちらに首を伸ばすのを。その大きな瞳がある一点で立ち止まり、ひゅうっと息を呑むのを。歓喜に見開かれるのを、余すところなく。

「承太郎っ!!」

 名前は他の出迎え客と一緒になって立っていた。ゲートの側、手を振る彼女に承太郎は歩み寄る。

「会いたかったわ!」

 慣れ親しんだ、けれどどこか懐かしい声。耳元で転がる鈴の音に、知らず緩む頬。とはいえそれはほんのささやかなもの。空港の中、行き交う人々には、無邪気な少女に抱き着かれた厳めしい顔の男としか映っていない。しかし好奇の目も女たちの秋波も承太郎は意に介さない。

「おい、……重い」

 彼自身に映るのは幼馴染みの少女、ただひとり。小さなつむじを見下ろし、承太郎は眉を寄せる。
 そうするとパッと離れる体。承太郎の知らない服を着た幼馴染みは、承太郎のよく知る表情を向けた。

「そういうのは今言うことじゃないでしょう!」

 幼い子供のようにムッと口を尖らし、承太郎の胸を叩く少女。
 ……いや、彼女はもう少女ではない。彼女の薬指には指輪がはまっていた。目映いほどの銀色の鋭い輝き。承太郎は目を逸らした。
 名前は「コーヒーでもどう?」と言った。昼過ぎの空港は立ち話に相応しくない。
 承太郎は頷いて、ラウンジへと入っていった。約束の時間まではまだある。腰を落ち着けるのは目的地に着いてからでもよかったけれど、それ以上のことを考えることはしなかった。
 承太郎はリストレットを頼んだ。対して名前が頼んだのはエスプレッソコーヒー。彼女はそれを単に「カフェ」と呼んだ。そう呼んで、溶けきれないくらいの砂糖を注ぎ込んだ。

「……入れすぎだろ」

「そう?」

 以前の名前ならそうはしなかった。砂糖とミルクを入れるのを好んだ。でも今の名前は違う。彼女は承太郎の指摘にすら不思議そうに首を傾げ、「好みが変わったのかしらねぇ」と呑気に笑った。何故だかその表情に胸が軋んだ。

「それにしても本当に久しぶり。元気にしてた?少し痩せたんじゃない?」

 名前はリコッタチーズのタルトを食べていた。そう言ったのは承太郎が彼女に勧められるがまま注文したスフォリアテッラを一口以上食べようとしなかったからだろう。ナポリのスイーツは今の承太郎には甘すぎた。
 承太郎はデザートの皿を名前の側に寄せた。そうしながらやれやれと首を振る。
 「色々とあったからな」その言葉が真実かどうかは承太郎本人にすらよくわからない。

「お疲れさま。……大変だったのね」

 名前は気の毒げに承太郎を見た。それは家族というには遠い眼差しだった。けれど他人というにはあまりに情がありすぎた。
 名前は笑って、「休暇でも取ったら?」と続けた。「あなたのことだからあんまり家族に構ってあげられてないんでしょう?」それは的確すぎる言葉だった。

「あなたが結婚なんてするくらいなんだから、そりゃあもう大好きなんでしょうけどね。でもやっぱり子供ってのは親に明確な愛情を与えられたいものよ」

 名前は承太郎の幼馴染みだった。家族に限りなく近い存在だった。承太郎のことを本人以上に理解していた。
 承太郎は妻のことを思った。不規則な帰宅。多くを語らない夫。それを不安に思う妻のことを。その感情が不満となり、疑念となり、蟠りとなった我が家のことを。思って、苦い笑みを殺した。

「承太郎?」

「いや、……そうだな、お前の言う通りだ」

 名前は承太郎の変化に気づかない。
 昔なら、と承太郎は思う。昔なら。大人になる前の名前なら、きっと気づいていた。幼馴染みのどんな些細な変化すら敏感に感じ取り、心を寄せてくれていた。
 けれど承太郎にだってわかっていた。正しいのは名前の方だ。彼女が今心を寄せるべき相手は承太郎ではない。正しいのは彼女で、だからつまり、正しくないのは自分ひとりなのだろう。わかっていた。けれど、……あぁ、

「それにしたって随分大人しくなったのねぇ……。あなたがこんなに素直なの、ちょっと怖いくらいよ」

「……失礼なやつだな」

 じとりと視線を投げても名前は動じない。……果たして、妻はどうだったか。承太郎には想像すらできなかった。

「そうそう、その意気よ。あなたはそのくらい尖ってるのが『らしい』わ」

 その言葉が励ましであると承太郎にはわかる。なんだか元気のない幼馴染みへの励まし。だから名前が昔日を惜しんでいるわけではないのだ。過去に囚われていた彼女はもういない。彼女は今、未来を見ている。
 その後も彼女は話し続けた。自分のこと、承太郎のこと。承太郎は話を聞き、相槌を打ってやり、波のように繰り返される質問にもちゃんと答えてやった。
 やがて名前は時計を見て、「そろそろ出なくちゃね」と肩を竦めた。未練がある様子はなかった。承太郎の分のスフォリアテッラまで食べた彼女は立ち上がる。
 その指が、きらりと輝いた。

「……幸せか?」

 知らず、口から溢れる問い。鞄を取ろうと伸ばされた手を掴んだのは無意識のうちだった。
 名前は座ったままの承太郎を見下ろした。ひどく、静かな目だった。何もかもを見透かすような目。その目が承太郎は好きだった。けれど今は憎らしくもある。何もかもを見透かすような目をしているくせ、凪いだままの瞳が。本当はずっとーー

「……ええ」

 名前は微笑んだ。承太郎の心中なんてちらりとも考えず、ただ真っ直ぐに『家族』のことだけを考えて。愛おしくて堪らないのだと口許に滲ませて。

「幸せよ、喪いがたいと願うくらいに」

 ラウンジは静けさに包まれていた。その中に名前の声は痛いほど沁みていった。大きな声ではなかったのに、承太郎の耳からは決して消えてはくれなかった。

「あなたは心配性だから、気にしてるんでしょうけど。……少し、あなたに似てるわ。優しいところ、仲間想いなところ、寡黙なところ……挙げたらきりがないわね」

 名前はそっと承太郎の手をほどいた。そこには欠片の躊躇いもなかった。名前は承太郎の知らない顔で、知らない音で、知っている男のことを想った。その目は目の前の承太郎を映してはいなかった。これから承太郎が会いに行く男のことだけを考えていた。

「……そうか」

 承太郎は顎を引いた。それから、そう、立ち上がらなくてはならない。約束の時間は迫っている。彼とは話さなくてはならないことが幾つもあって、そこには承太郎個人の感情が入り込む余地はなかった。
 ーーそう理解しているというのに、いやに足が重い。

「だからあなたも幸せになって。祈っているわ、この国から。あなたのこと、あなたたちのこと……大好きよ、承太郎」

 承太郎は目を閉じた。それから妻と娘のことを想った。大好きよ。そう言ってくれる彼女たちを想った。
 なのに上手く想像することすらできなかった。大好きよ、承太郎。そう言ってくれるのは、宿敵の息子と結婚した幼馴染みだけだった。








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アンケート一位記念。
幼馴染みは幼馴染みでそれ以外になりはしない主人公と、妻も娘も愛してるけど諸々察してほしがりな承太郎でした。かっこよくなくてすみません……。