この話の続き。
原作完結後数年後設定。
ディアボロ視点→主人公視点。
ある意味ディアボロエンドでありジョルノエンドでもある。
じりじりと焦がされていく。光。目が眩むほどの閃光。果たして自分は太陽に見下ろされているのか。それとも己こそが覗き込んでいるのか。それすらも明瞭としない。ただ確かなのはこの体から流れ出す温かな血。じわりじわりと流れるそれがやがて海になろうということだけだった。
ディアボロは薄れゆく意識の中で天を仰いだ。天使の吹くラッパの音は未だ聞こえない。たぶん生涯それを聞くことは叶わないだろう。そう考え、己の思考に嗤った。何が最後の審判だ。何が世界の終焉だ。ディアボロには終わりというのがどういうものだったかすらも思い出せなかった。
空から降る光の雨はさながら硫黄であった。白く、赤く、燃えるようだった。ガラスの破片が乱反射しているようでもあった。幾重にも連なる刃が天より降り注いでいた。よく晴れた、午後のことだった。
今は夏だろうか、とディアボロは思った。かつては春だった。最後の記憶。──果たして今は?幾度目の夏だろう。
酷く暑かった。頭が割れるようだった。アスピリンが欲しいとも思った。それかせめて大いなる影の元に逃げ込みたかった。夜の眠りが恋しかった。同時に、堪らなく恐ろしくも思えた。
「…………」
ふと、空が翳った。大きな影が横たわっていた。背中を汗が伝うのを感じた。膚が焼けていくように思えた。血管が大きく脈打つのがわかった。
──それは、女だった。
「……哀れなものね」
影は笑っているようだった。それとも?いや、ディアボロにはわかるまい。一歩を踏み出すことは愚か、指を動かすことすらままならない。目の奥がちかちかと明滅する。脳を光の刃が掻き回す。体は強張り、ひゅうっと喉が鳴った。
「今はどんな気持ち?恐れももうないのかしら?それとも感情すらも?いいえ、それではあまりに悲しいわ」
影がぐうっと広がった。覗き込まれているのだと悟ったのはその顔を認めた時だった。
それは女だった。ディアボロもよく知る女だった。かつてこの手で手折り、生と死を思うがままに繰り返してやった女だった。そしてこの幾度目とも知れぬ『死』を、観察者の目で傍観し続ける女だった。彼女は死神であり、罰を齎す唯一の神でもあった。
彼女は飽くことなくディアボロの『死』を見つめた。何度も、何度も。いつの間にか、ディアボロの『死』には必ず彼女が付き纏うことになった。
──この女の名前はなんといったか。
ディアボロにはもう思い出せない。無感情の女。二十世紀のイギリス婦人みたいに無感動な眼。冷徹で、冷酷な眼差し。白磁の膚に色はなく、彼女はただその『死』だけを見守った。幾度も、幾度も。
「『あぁ!あの年寄りがあんなにたくさんの血を持っていると誰が考えたろう……?』」
女は芝居がかった調子で両の手を広げた。眩しすぎるほどの日差しは彼女のために照る照明のようだった。彼女は──(そうだ、名前だ、彼女は名前といった……)笑っていた。血よりも赤い唇が残忍な形に曲がっていた。それは悪魔よりも余程悪魔らしかった。
「ねぇ、あなた。あなたのそれも贖いの血なのよ。キリストが流したあの血……あの十字架の元に広がった赤……そう、あなたは贖い続けるの、その罪のために。私たちの幸福のために。あなたは永遠に──死に続けるの」
女はにこりと笑った。真っ白な顔だった。純粋に無垢。子供のように、──故に残酷。
その時ディアボロを襲ったのは絶望だった。何度目かの絶望。かつて求めていた永遠への途方もない恐怖。恐れにディアボロは戦慄いた。しかし情けなくも震えるその身を見下ろすのは女の冷えきった眼差しのみ。
「ありがとう。あぁ、この瞬間だけは私、あなたを愛おしく思えるわ!」
「…………っ、」
「今のあなたはとても素敵よ。でも私、マクベス夫人には決してならないわ。だから安心して死んでいってね」
女の吐く呪いが音として届くことは最早ない。けれど恐るべき言葉だというのだけはディアボロにもわかっていた。──あぁ、なんと恐ろしい!これぞ悪魔!悪魔とはそう、とても美しい顔をしているものだ。それにもっと早く気づけばよかった。そうすればきっと──
「また会いましょう、──」
──そこで、名前は目を覚ました。
「あ、あぁ……」
唇から零れ出るのは意味のなさない音。獣のような呻き声。恐れと忌まわしさ。負の感情だけが入り交じった嗚咽。唇を戦慄かせ、名前は己の顔を覆った。いやに寒くて、凍えそうだった。
「大丈夫、大丈夫ですよ、名前──」
ベッドの上で身を震わす名前。その体を抱き締めるのはジョルノだった。彼のしなやかでありながら強靭な腕は名前をしっかりと抱き止めていた。戦く背を優しく撫で擦ってくれていた。
しかし、それでもなお恐怖は引かなかった。名前の足元から立ち上ぼり、その臓腑から指の先まで纏わりついていた。かつては春だった。そして今は夏。だというのに悪夢から覚めたばかりの名前には冬のように思えてならなかった。
「また、また死んでいったわ……私の前で……私はただ見ているだけで……」
「ええ、」
「ううん、そうじゃないの、私はっきりと……笑っていたわ。その死を喜んでいたわ。苦痛に歪む顔を心地いいとすら思っていたわ」
なんと恐ろしいことだろう!
名前は夢の中の自分を恐れ、ジョルノに縋った。その背は出会ったばかりの頃とは違う。パッショーネのボスとなったジョルノ。数年が経った今、彼はそれに相応しい風格を持ち合わせていた。
力強い体だった。何者も敵わないほどに頼りがいのある温かさだった。名前の支えであり、導となる光であった。
──それでもなお、足許に広がる穴は名前を喰らおうと口を開いたままだった。
「でもその罰を与えたのはぼくです。あなたじゃない。あなただけの罪じゃないんですよ──」
優しい彼はそう言って、にこりと笑った。夢の中の名前がしたように。けれどそれとは違い、残虐性は微塵も感じられなかった。春の日差しに似た柔らかさだった。
「だから安心して。ぼくもあなたも……何も変わらない」
そこでやっと名前はほっと息をつくことができた。
「あぁ、ジョルノ……」名前は喘ぐように呟いて、その胸に顔を埋めた。その腕の中だけが名前の安寧だった。ともするとあの湿気た……埃と鉄の匂いの入り交じる地下室に意識を引っ張られてしまう名前にとって、唯一心安らげる場所だった。
「また見つけてね、何度私があの暗闇に引きずり込まれようと……きっと見つけてね、」
「はい、約束します」
幾度もの死を繰り返し、己というものさえも見失いそうになる日々。ディアボロに囚われ、実験のように痛みばかりを与えられていた時間。名前が死ぬことは決してなかったが──しかし傷痕というものは確かにその身に刻まれていた。
だから名前は悪夢のたびにジョルノの救いを求めた。あの虜囚の日々の終わり、彼が自身を見つけ出してくれた時から。きっと名前が本当の死を迎えるその日まで。
きっと生涯この手を離すことはできないだろう──
予感に胸が痛まないかといえば嘘になる。ジョルノはいつだって優しく微笑みかけてくれたけれど、名前の心は罪悪感に軋んでいた。それでも手離せないのだから、これはもう呪いと言うより他にない。
人を呪わば穴二つ。ディアボロを呪った名前もまた、永遠の痛みに苛まれ続けるのだろう。
目が眩むほどの陽光に、名前は目を伏せた。太陽がこんなにも眩しいなんて知らなかった。──知らないままで、いたかった。
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シェイクスピア『マクベス』より引用。