ジョルノ√【後日談】起


原作終了後、数年後設定。恋人同士。






 窓を開けると爽やかな風が車内に吹き込んできた。
 乾いた土と瑞々しい緑の香り。名前は乱れる髪を押さえながら、しかし目を輝かせて後ろへと飛び去っていく景色を眺めた。
 稜線は遠く、緩く起伏する山々は青く煙っている。そして足元に広がるのは草原の緑。辺りはすっかり静まり返り、鳥の羽ばたきすら聞こえそうなほど。都会化の進む世界からは切り離された土地。現在と過去の間に置き去りにされた時間。

「本当に良かったの?」

「え?なんですって?」

「こんななんにもないところで本当に良かったのかって聞いたの!」

 風に負けないように声を張る。と、ハンドルを握るジョルノもまた口を開こうとして……(…………)けれど止めた。
 彼は名前を一瞥した。そしてささやかな笑みを口許に滲ませた。それはこの平穏な景色に相応しいものだった。静謐で、厳かな微笑。
 それだけで名前はすべてを(──そう、まるで神にでもなったみたいに、)諒解し、微笑んだ。
 形容しがたい感情が胸には溢れていた。しかし頭に浮かぶのは使い古された陳腐な言葉。それを音にして舌に乗せたら途端に何か大切な──輝かしい何かが喪われてしまいそうで、やっぱり名前も口を噤むことにした。
 名前はまた視線を外に投げた。変わらぬ景色がそこにはあった。永遠かのように続く道があった。
 山々の天辺にかかる雲は薄く、日差しを遮るほどではない。この日の空の青さといったらあんまりにも澄んでいて、名前はなんだか泣きたくなった。
 ──季節は夏、世間はヴァカンスのシーズンを迎えていた。



「さて、今年のヴァカンスはどうしましょうか」

 リゾート地で羽を休めるもよし、海外の夏を満喫するもよし。普通の人ならば故郷の町に帰るのもありだろう。
 去年もその前も、街から遠く離れることはしなかった。海の近くに部屋を借りても、いつ電話が鳴ってもいいようにしていた。意識の片隅には必ず横たわるものがあって、それはジョルノも名前も同じことだった。
 それでも名前はそんな生活に満足していた。少なくとも、不満を覚えることはなかった。誇りにすら思っていた。だから今年も今まで通りに過ごしたって別に構いやしなかった。
 けれどジョルノに訊ねられ、名前はふと思い出してしまった。

「そういえば、親戚のご夫婦が留守を守ってくれる人を探していたわ」

 それは軽い世間話のつもりだった。ヴァカンスの話が出たから、その期間家のことを任せられる人を探している親戚の話を思い出した。ただそれだけで、その時は確かに何かを求めていたわけではなかった。
 けれど何故か。ジョルノは興味を惹かれた様子で質問を重ねた。つまりはその屋敷がどこにあって、具体的にどういうことを望んでいるのか、という点について。
 知る限りのことを語った名前の前で、ジョルノは考え込む仕草をした。その姿は何世紀も前の彫刻のようで、薔薇色の頬も繊細な輪郭も何もかもが永遠の美を顕していた。彼を見ていると名前はいつだって『美とは永遠の約束なのね』と思い知らされるのだった。
 そんな具合であったから、彼が「うん、それがいい」と言った時、名前は「なんのことかしら」と目を瞬かせた。

「それって?」

 首を傾げる名前に、ジョルノは天使もかくやといった微笑を浮かべた。

「ふたりっきり、この世の果てに行くのも悪くないなって」



 ──結論から言えば、そこは『この世の果て』というほどの僻地ではなかった。
 とはいえ隣家とは一マイルほど離れているのは間違いなかったし、やたら厳めしい造りの古風な館は時代に取り残されていると言ってもいいだろう。
 屋敷から更に山の方へ。小道を少し行くと牧場地や狩猟場まである。その反対、町へ下りていっても出会すのは農園であったり家畜の群れであったり。医者がいるのが驚きなくらいにこの町は『田舎』であった。

「どう?やっぱり帰りたくなった?」

 未舗装の道を抜け、ジョルノは屋敷の前に車を停めた。そして二人揃ってこれから暫くの間暮らすことになる家を見上げた。
 白い漆喰塗りの壁は長い間風雨に曝されたことで薄ぼんやりとした印象を与えた。だがしっかりとした造りなのは間違いなく、名前は「悪くない」と思っていた。鼻に刺さる湿気た匂いだとか埃の被った木材の匂いだとか、名前はそういうのが嫌いではなかった。
 でも名前は名前で、ジョルノじゃない。彼がどう感じたのかが気にかかるのは確かで、自然声も窺うものになった。そうしながら「彼も同じ気持ちだといいな」と名前は思っていた。そうであったらいいと願っていた。たぶん、ずっと前から。これ以外にも幾つかの事柄において──例えばそう、未来に関することだとか──そうであったらいいと願っていた。

「…………」

 ジョルノは名前を見た。真っ直ぐに名前を見つめた。そうするために彼は少しだけ顔を傾けていた。そうしないとしっかり視線を合わせられないくらいには二人の距離は広がっていた。ジョルノはもうとっくに成人していたし、それに伴って背丈もずっと大きく育っていた。
 「あなたは?」ジョルノはそっと唇を開いた。

「名前はどう思いました?」

 彼は他人行儀な話し方をした。それは出会ったばかりの頃と同じ空気だった。
 ──けれど変わらないものも確かにある。あの頃とは関係性も容貌もすっかり変わっているけれど、それでもその瞳の温かさは揺るぎのないものだった。
 名前はほっと息を吐いて、──笑った。
 それから、ジョルノの手を取った。そっと、静かに。まるでそうするのが当たり前のように。手を取って、ちいさく指を絡ませた。
 指先はしんと冷たかった。本物の彫像みたいだった。代わりに名前の膚は熟れた果実のようだった。熱を持った指を、けれどジョルノは受け入れた。
 それは名前のとは全然違っていた。いつの間にか名前のよりずっと大きくなって、筋だとか節だとかが目立つようになっていた。それが名前の指に重なっているのが不思議で、そうしたことに名前は満ち足りたものを感じていた。
 ──たぶん、彼も同じだったのだろう。
 ジョルノも微笑んで、扉を開けた。ドアの軋む音すら今は愛おしく思えた。