ナランチャ√【後日談】前


完結後、数年後。恋人設定。





 その晩ナランチャが居たのは自宅ではなく、とある地区の路地だった。そこは街の中でもとりわけ治安が悪く、だからこそ成り上がるためにマフィアの道を選ぶ若者の多い土地であった。だから夜とはいえ屯する者は多く、しかし教会のある通りに出るとそれも疎らになった。
 今ナランチャの前方にあるのは同じ方角へと向かって歩く二つの人影。それが突如足を速めたのを切欠に、ナランチャはエアロスミスのレーダーを出現させた。
 呼吸するのは『彼ら』と『彼ら』の向かう先にいる『もう一人』。その『もう一人』は『彼ら』の内の一人が前に立ちはだかったことで足止めを食らっていた。
 しかし二組の間に親しげな様子はない。明らかに異様な空気。しかしナランチャは臆することも焦ることもなくレーダーを見つめた。
 周りに真実人がいないことを確認。しかしナランチャがそうしているその間にも事態は進展していく。
 一人の男を前後で挟み撃ちにした男たち。前にいる男が何事か言い、背後の男が懐に手を入れる。
 出てきたのは一丁の拳銃。月明かりを浴びて黒光りするそれに、ナランチャはにやりと笑う。

 ──ビンゴだ。

 笑みを舌の上で溶かし、今度はエアロスミス本体を男たちの方へ走らせる。
 彼らは誰も気づかない。三人の内の一人も、エアロスミスの唸り声に反応を示さない。──やはりスタンド使いではないのだ。
 となるともう後は単純なことで、エアロスミスの弾丸はまず銃を構える男を一息で蜂の巣にした。
 しかし彼らもプロ。男の一人が倒れたことで、前方にいた男の方もすぐに拳銃を構える。
 それに応えようとして──そんなナランチャよりも早く、一発の銃声が響く。

「……くっ、ぅ」

 蛙の潰れたような声と息を呑む音。それらがして、立っているのは二人の殺し屋に命を狙われていた男だけになる。
 地に崩れ落ちる体。そしてその向こうから覗いた顔。見慣れたそれに、ナランチャは笑いかける。
 「最高だったぜ、名前」と。

「タイミング良すぎ。ま、オレ一人でも充分だったけど」

 そう言うと、三十八口径を仕舞いながら歩み寄った名前に小突かれる。

「そうかもしれないけど、そうじゃないでしょう?」

 「私にも仕事をさせてよ」そう、口を尖らせる表情は無垢。子供のそれであったけれど、紫の瞳は誰よりも大人びていた。
 そしてナランチャにはそんな彼女の考えていることが手に取るようにわかった。それはつまり彼女も同じで、ナランチャができるだけ彼女の心を守りたいと思っていることも──名前には筒抜けだった。
 それは些細なことだった。日常にありふれたことで、今ではもう当たり前のように隣にあるものだった。
 けれどナランチャは笑みを深めた。

「そうだね」

 目の前で倒れている二人の殺し屋のことなんてもう目に入らなかった。今一番にしたいのは名前を抱き締めることで、彼女の願いもまた同じだった。それはその目を見れば明らかなことだった。
 しかし名前は分別のつく大人だったので、一人生き残った男に振り返った。
 男──この街の浄化を目指し、マフィアと対立する道を選んだ司祭へと。目を向け、優しくその名を呼んだ。

「司祭、あなたの命を救ったのは福音書ではないわ」

 質素な服を着た司祭はビクリと体を震わした。本日誕生日を迎えたばかりの信仰心厚い司祭は目にも明らかな怯えを纏って名前を見ていた。
 その様子をナランチャは注意深く見守った。エアロスミスはまだ出現させたままだったし、レーダーは今も周囲を探っていた。
 名前はそれも承知の上で司祭へと微笑を向けた。

「でも、それでもあなたが困難な道を歩むというのなら、私たちは決してその邪魔はしない。私たちの名前にかけて誓いましょう」

 名前は決してパッショーネの名を出さなかった。しかし司祭には察しがついたらしい。
 彼はハッと驚きに目を見開くと、そこから一筋の涙を溢した。
 その時彼が呟いたことをナランチャは知らない。けれどきっとそれは神の名だった。或いは聖母のものか。ともかく司祭は泣き崩れた。
 その手を支え、助け起こしながら名前は言った。

「あなたの勇気ある行動に敬意を表します」



 ──この国は腐りきっている。
 一時よりは鳴りを潜めたといっても、マフィアの大ボスを側近の一人にしていた首相がこの国にいたのは確かなことで、国内のどこにでもマフィアの支部が置かれているのもまた揺るぎのない真実だった。

「けどさ、やっちゃいけないことってやっぱあるよな。『アイツら』はなんもわかっちゃいねー」

 ナランチャは朝食のビスケットを砕きながら憤慨を露にした。
 原因は先日の司祭を狙った殺人未遂事件。司祭は反マフィアの意思を示しただけでマフィアに死刑宣告をされた。
 それを下したのはナポリを拠点にするパッショーネではない。過去パッショーネに属し、今は袂を分かったグループ。麻薬──ヘロインやコカインが基本だ──を扱うことになんの躊躇いもないマフィアだった。
 当然パッショーネは『彼ら』に宣戦布告を行った。シチリアにある加工工場を破壊し、ボスの側近の一人を殺した。以来抗争は続いており、司祭が狙われたのもそんな状況にボスが苛立っていたためであろう。
 だからこそナランチャは許しがたいと思った。司祭はなんの罪も犯していない。どころか、貧しい若者たちにとっては希望ですらあった。そんな司祭の命を私情で奪おうとするなんてとんでもないことだ、とナランチャは思ったのだった。

「彼らも焦っているのよ」

 そんなナランチャを宥めるように、名前は笑う。その手にあるのはチーズを乗せたパン。小さな口でそれを頬張って、名前は口許を拭った。

「今じゃ側近も数えるほどになってるはず。それでも力を誇示したくてああいったことを命令したんでしょうね」

「でも弱者を守るのが『名誉ある男』のはずだろ?」

「そうね、その通りだわ」

 名前は敵対するマフィアに理解を示した。
 麻薬が生む富は莫大だ。過去麻薬で年間八十億ユーロを儲けたという記録も残っているくらいにその額は途方もない。それだけのものをパッショーネに根こそぎ奪われたのだ。躍起になるのも当然だろう──というように。
 けれど同時に彼女がナランチャを否定することもなかった。理解はしていたが、名前だってやっぱりその行いを受け入れてはいない。むしろ司祭が狙われていると知った時、護衛に名乗りを上げたのは彼女の方が早かった。
 それは名前の根底に司祭と共通するものが流れていたからだ。神への信仰。そうしたものを彼女は飽きもせずに抱き続けていた。

「さすがにもう司祭を狙うことはないよな」

 それは確信というより願いに似ていた。そうであったらいいという願い。
 しかし名前は「どうかしら」と困ったように眉を下げた。

「逆に余計執拗になるかも。矜持を傷つけられたって」

「でも邪魔したのはパッショーネだ。なら狙いもこっちに集中するんじゃない?」

「……そうだといいけどね」

 名前は目を伏せた。それは憂いを帯びたものだった。そうしたって朝の輝きのただ中にある彼女は美しかったけれど、ナランチャは敵対するマフィアへの苛立ちを募らせた。

 ──名前にこんな顔をさせるなんて!

 歯痒くて仕方がない、とナランチャは密かに唇を噛む。
 最初は司祭を特別に保護する案もあった。けれどそれは司祭の今後を考えればあまりいいとはいえない提案だった。マフィアと繋がりがある。それが例え麻薬撲滅を掲げるパッショーネとはいえ──聖職者としては具合のよくない噂だ。そんなもののために司祭の人生を潰したくはない。
 だから今も司祭はあの古ぼけた教会で暮らしている。今もパッショーネの誰かが近くに張りついていることだろう。ナランチャと名前は二人の殺し屋を始末して、代わりに今日は休日を貰っていた。
 しかしこうして家にいても考えるのは抗争のこと。奪われた罪なき命を名前は毎日のように数える。そしてそのたびに後悔に苛まれるのだ。
 そんな彼女を嘲笑うように敵は殺戮を繰り返す。先日はただの一般人数名が銃の乱射で殺された。無論、パッショーネの『ボス』は即座に反撃を行い、翌日には十数名の男の死体が見つかった。彼らは自宅にいたが、そんなものスタンド使いには関係のない話だった。

「名前、今日は海に行こうぜ」

 緊迫した状況。だからこそナランチャは殊更明るく笑った。

「今日は天気がいい。モーターボートにでも乗ったらすっごくいい感じになるんじゃないかな」

「……そうね、」

 名前はぎこちなく笑った。「そうね、それが一番だわ」その言葉は言い聞かせるような響きを持っていた。その力は絶大で、言い終えた頃には名前の笑みも自然なものになっていた。
 しかしその瞬間、ナランチャの中ではある懸念が首をもたげていた。その問いは喉元までせり上がり、とうとう口をついて出るというところでようやく躊躇いを見せた。

「楽しみね。そういえばここのところ慌ただしかったもの、たまにはゆっくりしたいわ。ね、ナランチャ?」

「あ、あぁ、うん、そうだよな!ったく、ジョルノのヤツ人使いが荒いんだから」

 一度迷うとダメだった。しこりは胸中にこびりついているというのに、決して形にすることはできなかった。
 怖かったのだ。明確な言葉にしてしまうこと、答えを求める問いにしてしまうことを──何より恐れた。

 ──後悔してない?

 そう訊ねて、彼女が少しでも肯定してしまったら。
 そうなったらどうすればいいのだろう?ナランチャにはわからなかったし、これ以上考えたくもなかった。







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司祭のモデルはピーノ・プリージ司祭です。残念ながらこの方は亡くなっていますが……。