良き旅人への助言


 結論から言えば『やはり』飛行機は墜ちた。本体が死ぬことで発動するスタンドによってすっかり食い荒らされた飛行機は高度を保つこともできずティレニア海に沈んだ、らしい。ちなみに伝聞なのは名前もスタンド攻撃を食らい、瀕死状態だったからだ。

「もう絶対、絶対飛行機には乗らないわ……」

 事の顛末をトリッシュから聞き──なんと彼女もスタンド能力に目覚めたというのだ!──名前は深々と溜め息を吐いた。『絶対に』『もう二度と』そう念押しして肩を落とす。
 組んだ手に伏せた額。その頭に去来するのは十年ほど前の記憶。あの時も、あの時もそうだった。飛行機に乗るとすぐにスタンド攻撃を受ける。そしてそれは大体容易な敵ではなくて、結果として待ち受けるのは墜落という現実。
 以前はそれをジョセフ・ジョースターの運のなさのせいにしていた。だが今、ここに彼はいない。どころか遠く離れた異国、アメリカで悠々自適の生活を送っていることだろう。だからつまり今回の件は彼のせいではない。
 となると、やはり……

「私、飛行機に嫌われてるんだわ。きっとそう、そうに違いないわ……」

「まさか」

 沈み込む名前に答えたのは現実主義のトリッシュだ。
 すっかり慣れ親しんだカメの中、ソファに座る彼女の目にいつかの影は見受けられない。飛行機での戦いですっかり吹っ切ることができたみたいだ。
 どことなく頼もしさすら窺える横顔に、名前はぼんやりと思う。女の子の成長って本当に早いのね、と。

「そんな非科学的なことあるはずないでしょう?」

「でも三度よ、三度。これだけ重なるなんて何かあるわ、きっと」

「何かも何も、全部スタンド使いのせいじゃない」

 トリッシュは『そんなこともわからないの?』といった具合に呆れ顔。

「飛行機って密室でしょ。おまけに地上を離れたら早々邪魔も入らない。となれば狙われやすいのも納得できるわ、そうでしょ?」

「そう、かもしれないけど……」

 諭され続けるうち、名前の反論も頼りないものになっていく。
 冷静なトリッシュを見ていると落ち込んでいる自分がバカみたいだ。トリッシュの方がよほど年下で、ちょっと前までは普通の女の子だったのに。
 そう考え、今度は自己嫌悪に陥りそうになった時だ。

「……あなたは今まで沢山のスタンド使いと戦ってきたんですね」

 それまで沈黙を守っていた──何やら思案している様子だった──ジョルノが不意に口を開いた。
 そこにあるのは穏やかな微笑。見る者の心を落ち着かせる空気。例えるならそう、精神科医。そうでなければ慈悲深き聖母の肖像だ、と名前は思う。
 トリッシュは『何を今さら』という風にジョルノを見た。けれど名前は違う。面には出さなかったけれど、ジョルノの言わんとすることを察し、受け入れた。
 たぶんジョルノは名前の情報を知りたいのだ。過去名前が出会ったスタンド使い。その情報を聞き出すことで今後の戦いに活かしたい。そう考えるのはごく自然なことで得策と言えた。
 だから名前は「戦ったのは私じゃないんだけどね」と前置いた。

「私のはほら……こんなだから。戦いでも後衛が基本だし、殆どが伝え聞いたことなのは承知しておいてほしいんだけど、」

 自然浮かぶのは苦笑で、懐かしい面影だった。
 今ではもう遠く隔たってしまった人。幼馴染みは元気にやっているだろうか?旧友は今もまだ無事でいるだろうか?……そうであってほしいと、切実に願う。

「そうね、色々な能力の人がいたわ。ミスタと似たような──でも彼の場合は銃自体がスタンドだったけど──スタンド使いだとか、鏡から鏡に飛び移ったりするスタンドだとか」

「鏡から?それはぼくらがポンペイで戦ったようなのですか?」

 少し身を乗り出すようにして食いつくジョルノ。興味深げに輝く目はわかりやすく、そして彼らしくない。
 その様子に、そういえばジョルノは能力が発現して間もないのだった──と今さらながらに思い出す。その事実をすっかり忘れ去るほどにジョルノの戦いは板についている。凄みがあるというのか、生まれてこの方ずっとゴールド・エクスペリエンスと付き合い続けていると言われても誰も不審には思わないだろう。
 生来の才能か。それともたゆまぬ努力故か。或いはそのどちらもか──名前は内心感嘆しながら、「ううん、そのスタンドとはやっぱり少し違うと思う」と首を振った。

「私が見たのは鏡から攻撃する……ように見えて、その実鏡の反射を利用したスタンドだったから。ポンペイのスタンドはまさに鏡って感じだけど、こちらは光のスタンドね」

「なるほど、そういうのもあるんですね」

 ジョルノは深く頷くが、トリッシュは「なんでもありじゃないの」と溜め息を吐いた。
 たぶん彼女は今後の戦いを憂いているのだろう。しかしそう、先入観というのはスタンドに対して抱いてはいけないものだ。『なんでもあり』だと身構えておいた方が彼女のためにもなる。
 そう考え、名前は「そうよ、スタンドって単純なのから複雑なのまで色々あるんだから」と訳知り顔で続けた。

「例えば私の友人なんかはレイピアを武器とした騎士のスタンドなんだけど、敵の中にはわざわざゲームをさせて敗者の魂を捕らえるスタンド使いもいたし……」

 そう、本当に色々なスタンド使いと出会った。その中には敵であっても敬意を表すことのできる者もいたし、吐き気を催すほどの悪もいた。

 ──でも何より恐ろしかったのは、

「……やっぱり、時間を止めるスタンドが一番厄介だったわ」

 なんでもないことのように言った。そのつもりだ。でも吐き出すだけで痛みが走る。胸に、頭に、いや、……心に? 
 けれど以前よりは余程マシになっている、……と、思いたい。『彼ら』を想うと悲しみが沸き上がる。それに変わりはない。が、しかし、だからといって帰りたいとは思わない。願いはもう変わった。名前の今の願いは──

「時間を止める……」

「それって、」

「そうね、ボスのと似てるわ、感覚としては」

 何か言いたげな二人を制して、名前は言う。
 これは必要なことだ。昔を懐かしむのではない。そのためではなく、これから先の未来のために名前は記憶を辿った。十数年ほど前、エジプトでの戦いを。

「あの時はそう、本当に危なかったわ。仲間の一人が同じ能力に目覚めなければ……時間を止めるという同じ次元に立たなくては……勝てなかったと思う」

 正直に、思ったがままを告げる。その内容にジョルノもトリッシュも口を噤んでしまったとしても。その言葉がボスとの戦いに繋がるのだとしても。

「同じ次元に立つ……」

 ジョルノは繰り返し、──物言いたげに名前を見た。それに名前も眼差しだけで応える。
 名前の能力もまた時間を操るものだ。それはあの忌まわしき敵や尊敬する幼馴染みほどに使い勝手のいいものではない。きっとボスには敵わないだろう。──そう、一人であったら。
 しかしきっと役に立つはずだ。いや、そうでなくてはならない。そうでなくてはきっと自分自身を許せないだろう。かつてのようにただ己を責めるだけで終わってしまう。その確信があったから、名前は今もここにいるのだ。