生存IF友情√【原作後W】


 S市杜王町──幼馴染みの叔父が住む町はネアポリスとは比べ物にならないほど穏やかな土地だった。ポケットに財布を入れていてもスられることは滅多になかったし、不良はいても麻薬が蔓延することはない。この町がほんの数年前まで多数の行方不明者を出していたとは俄には信じがたかった。
 が、すべては過去のこと。家族との『いざこざ』から逃れた名前にとって、この杜王町はとても好ましい空間だった。何より空気は澄んでいるし、北にある海岸線からの景色もなかなかだ。かといって田舎すぎるほど不便でもない。静かに暮らすのにこれ以上うってつけの町はないだろう。

「おッ!名前さんじゃないっスか!」

 駅前の喫茶店、広々としたオープンテラスが特徴的なこのお店は小休憩にはもってこい。お陰で入店するたび顔馴染みと出会すことになる。
 そしてこの日も例に漏れず。席を探して視線を巡らす名前に声がひとつ。快活な青年のそれに、名前は頬を緩めた。

「仗助くんに億泰くん、」

「どーも、」

「奇遇ゥ〜!」

 軽く頭を下げてみせたのが東方仗助で、無邪気に笑うのが虹村億泰だ。
 高校生からの付き合いらしい二人は、仗助が警察学校の寮に入った後もこうして休日のたびに遊んでいるのだという。いつもはここにもう一人、友人の少年がいるのだが……今日は生憎と欠席のようだ。仲睦まじい恋人と過ごしているのかもしれない。
 二人の座ったテーブルにはまだ余りの椅子があった。そのひとつを億泰が引いてみせるものだから、名前はちらりと仗助を見やる。
 「相席、いいのかしら?」訊ねると、返されたのは気安げな笑み。「断ったら億泰がかわいそうっスよ」ひょいと肩を竦める仕草。それひとつとっても絵になるのだから、ジョースター家の血筋というものはげに恐ろしい。ジョセフとも承太郎とも、もちろんジョルノともまったく性質は異なるが──見ていて飽きないなと名前は思う。好ましいな、とも。

「今日は何してたの?ゲーセン?パチンコ?」

「その二択っスか」

 仗助は微妙な顔をしたが、億泰は気にしない。彼は得意げな顔で「ほらッ!」と足元に置いた紙袋の中身を見せてくれた。

「わっ!これ全部取ってきたの?」

 そこにはお菓子やらぬいぐるみやらが詰まっていた。クレーンゲームでもやってきたのだろう。だがそれにしたって量が多すぎる。第一ぬいぐるみなんて仗助の柄じゃないはずだ。
 その考えは間違っていなかったらしく、言われた仗助は困ったように頬を掻いた。

「いやぁ……なんか白熱しちまって」

「こーいうの、うちの猫草なら気に入るかと思ってよォ〜……」

「あぁ、なるほど」

 猫草、というのは億泰の家族だ。数年前の戦いの後に虹村家に引き取られた元野良猫、……らしい。が、名前が見た時にはもう完全に植物と一体化していて、猫だった頃の面影はその性質しか窺い知れない。
 でも仲間がいるのは猫草にとってもいいことだろう。優しい子だなと思いながら、名前は袋に入った猫のぬいぐるみを眺めた。猫草と仲良くしているなら、億泰の父も案外この手のものが好きかもしれない。
 そんなことを考えていると、仗助が「そうだ!」と声を上げた。

「ついでだし名前さんも貰ってってくださいよ!うちにゃあ用ないんで」

「あ、ありがとう……」

 半ば押しつけられる格好。でも手触りは悪くない。ぬいぐるみなんて久しく抱いてこなかったけれど、不思議と手に馴染むのは幼少期の記憶が残っているからか。
 昔は承太郎も──、と。幼馴染みとの思い出を辿りかけ、名前はなんともいえない気持ちになる。

 ──昔は承太郎も可愛かったのに。

 なのに今鮮やかに思い返されるのはこの国に帰ってきたばかりの頃。両親たちと一緒になって『面倒な話』を持ちかけてきた、憎たらしいほどの鉄面皮。口を開けば親のような物言い。──まったく、全然可愛くない。

「そーいや承太郎さんから電話があったんスけど……」

 その思考を見透かしたように。仗助は気まずげに視線を逸らしながら、名前に打ち明けた。

「……なんて?」

「いやまぁ……元気か?とか……そーいうんですよ」

「…………」

 ──『そういうの』は直接言えばいいのに!

 名前は運ばれてきたばかりのカフェに砂糖を注ぎ込んだ。どさりと、思い切り。それは一本とか二本とかの話じゃない。既に心得た店員は名前のために必要な分だけの砂糖を用意してくれていた。

「……入れすぎじゃないっスか?」

「このくらいがちょうどいいのよ」

 溶けきらない砂糖の食感がたまらないのだ。そう言うと、仗助は曖昧に頷いた。どうやら彼とは好みが合わないらしい。承太郎もコーヒーは濃いのが好きだったから……なるほど、納得だ。
 でも億泰の方は違った。彼は「わかるなァ〜」と名前に同意を示した。

「オレもよォ〜……ガキっぽいかと思うが……やっぱウマイもんはウマイよなァ〜〜!」

 彼が頼んだのはイチゴのケーキだった。それを頬ばりながら、億泰は「ンマあ〜い!」と声を上げる。
 あまりに無邪気な姿。厳つい外見に反してのその様子に、さしもの名前も思わず笑ってしまった。

「そうよね、その通りだわ」

 誰に何を言われようとも、それが名前だ。今さら変えようもないし、変える必要もない。そう慰められた気がして、ホッとした。例え不毛でも──名前は名前のキズを抱えて生きていく。

「……承太郎さんと仲直りする気は?」

 そう覚悟していたから、仗助に問われても首を振った。

「いいえ、帰らないわ。……帰りたくない。私は、このままで……ううん、このままがいいの」

 名前の両親が久方ぶりに会った娘に対して要求したのは女としての幸福というものだった。彼らは名前が身を固めるのを望み、名前がそれで救われるのだと信じて疑わなかった。
 ……その心情は、名前とて理解できる。好き勝手生きてきたのだ。心配ばかりかけてきた両親を安心させてやりたい気持ちも無論ある。

 ──ただ許せないのは、それに幼馴染みまでもが乗ってきたことだ。

「だって信じられる?承太郎ったら私の結婚相手を見定める気なのよ?朋子さんだってそんなことあなたに言わないでしょう?」

「いやまぁ……確かに……承太郎さんのそれは過保護っつーかなんつーか……」

「そうっ!過保護なのよあの人は!!」

 声を荒げてから、名前はハッと我に返る。それからこほんと咳払いをひとつ。取り繕うように一拍おいてから、「だから当分帰る気はないわ」と仗助に宣言した。深い事情は知らない億泰も「それがいいよ」と肯定してくれた。
 そして続けて彼は「結婚しなきゃなんねーなら、露伴先生を貰ってやったらどう?」と笑った。
 億泰としては冗談のつもりだったろう。この町に住む知り合いで、それも名前と歳の近い男。それを考えれば漫画家岸辺露伴の名前が出てくるのもおかしな話ではない。

「露伴ンン〜〜〜?そりゃないぜ億泰……」

 だが仗助としては冗談だとしても聞き流せなかったらしい。何せ露伴には前科がある。この町に来たばかりの名前にスタンドを使おうとしたという前科が。
 だからこその『否』であり、それでなくとも仲が良いとは言いがたい男の名に仗助は顔を顰めた。

「でもよォ〜結構気が合うんだろ?露伴先生も楽しそうだしよォ〜」

「だからってよ、そりゃ名前さんがかわいそうってもんだぜ」

 名前は彼の吐いた数々の悪態を思い出した。その皮肉っぽい口許や人を小バカにしたような目、そうしたものを思い出し、「彼の方こそ願い下げでしょうけどね」と笑った。

「私もさすがに毎日はむり。いつ何時本にされるかってビクついてるのは、ね」

「だよなァ〜〜〜!」

 我が意を得たりと仗助は目を輝かす。億泰も億泰で「ま、確かにね」と一人納得する始末。今ここに露伴の友人はおらず、彼の肩を持つ者も同じく存在しなかった。
 その後も一頻り盛り上がる会話。仗助の学校のことだとか、億泰の家のことだとか、最近買ったゲームの話なんかをしていたら時間なんてあっという間だった。

「そんじゃあ、また」

「ええ。学校、頑張ってね」

 暮れ方の道を歩く二人の影を見送り、名前も席を立つ。

 ──次会えるのはいつだろう?

 今度は新作ゲームで対戦する約束をしたから楽しみだ。漫画はあまり読まないが、昔の友人の影響で『その手』のゲームに関しては多少なりとも覚えがある。
 名前は穏やかな気持ちで店を出、紅の空を見上げた。落日の輝き、天翔る影はいったいどこへ向かうのだろう?彼らにも安全なねぐらがあるのだ。でも名前にそれはない。失われてしまったのだ、永遠に。

「…………」

 手放すと決めたのは名前自身だった。それでもこんな日には少しだけ寂しくなる。日常が余りに穏やかで、余りに親切であるからこそ、一人になると切なさが波のように押し寄せた。
 ──S市杜王町。この町ほど平穏で静かに暮らせる土地を、名前は他に知らない。ポケットに財布を入れていてもスられることは滅多になかったし、不良はいても麻薬が蔓延することはない。ネアポリスとは何もかもが違っていた。ネアポリスよりもずっと安心できた。杜王町はとても好ましい空間だった。

「……でも、帰りたいのはあの街なんだわ」

 諦めたはずなのに、心は泣いていた。心も体もささくれだち、痛みが染み渡った。とうに受け入れたはずなのに、未だその身は夢想から醒めきらない。彼のことが──忘れられない。
 名前は自嘲し、首を振った。──考えるのはよそう。どの道もう叶わぬ恋なのだから。

「…………?」

 そう言い聞かせる名前の前で一台、タクシーが止まった。