狼たちの午後


「……というわけで私もコロッセオに向かったのよ」

 ローマに至るまでの旅路を語り終え、名前は息を吐いた。
 長い月日がかかった。本当に……どれだけの時間が経ったろう。
 姿を消した友人を追い、この石畳の街、ネアポリスまで。そうして名前はナランチャと出会い、ブチャラティたちの仲間となり、──コロッセオでボスとの決着をつけた。何もかもが鮮やかで、なのにとても遠いことのように思えた。そう思えるだけの時間が過ぎ去っていた。
 名前は改めて深い感慨を覚え、目の前に座る友人をためつすがめつ眺めた。

「本当によかった。またあなたに会えて」

 しみじみ呟くと、ポルナレフは笑った。「大袈裟だなぁ」そう言う口許には細かな皺が刻まれていた。流れた月日の証がそこには存在していた。

「しかしまたこうして三人……残念なことにジョースターさんだけはいないが……集まれて、……ま、悪くはないな」

 ポルナレフは噛み締めるように言って、目を細めた。名前を、そして承太郎を。見やる彼は壮年期の男性らしい落ち着きがあった。

「ん?どうした?」

 まじまじと見つめると、訝しげに首を傾げるポルナレフ。その声もかつて名前が知っていたものとは微かに違う。彼の声は記憶よりも深みが増しているように思われた。

「ううん、ただ……」

 名前は答えあぐね、カップに口をつけた。
 名前たちのいるカフェには多くの人がいた。プレビシート広場の近く、広々としたオープンテラス。頭上に咲いた大きなパラソル越しには爽やかな日差しが透けていた。春の終わりと夏の始まりを予感させる、穏やかな風が名前の頬を撫でていった。

「ただね、あなたってだいぶ変わったなぁって」

「……そうか?」

 承太郎が頼んだのはカフェ・アメリカーノだった。一緒に運ばれてきたババには手をつけず、彼は疑わしげに片眉を上げた。名前の言葉を信じてないって風だった。
 だがポルナレフは都合のいいことだけしか気にしなかった。彼は名前の台詞をいい意味として捉え、にやりと口角を持ち上げた。

「そりゃオメー……惚れ直したかァ?」

「え?……ええ、そうね。そういうことになるわね」

 名前は一瞬目を瞬かせたが、すぐに彼の期待に応えて笑った。笑いながら、ポルナレフの肩を叩く。流れた月日の隔たりを感じさせない、ひどく親しげな所作で。

「あなた、かなりカッコよくなってるわ。ええ、すっごくイイ感じよ」

「そお?……そうかァ〜〜〜?」

 「よくわかってるじゃねーか」とポルナレフも名前の肩に気安く触れた。その口許はすっかり緩み、笑顔は名前の記憶ととても近しいものだった。まるで少年のような無邪気さでポルナレフは笑い、「さすが名前は人を見る目があるな」とご機嫌に言った。

「しかしお前は変わんねーな。いや、若返ったか?」

「そう?これでも結構変わったのよ、私」

 名前が勿体ぶった風に言うと、承太郎は鼻で笑った。──どこが?お前は相変わらず子供っぽいままじゃないか。……つまりはそう言いたいのだろう。
 だから名前は口を尖らせ、承太郎を睨めつけた。

「……鈍感節穴唐変木」

「オイ、」

「わかった!髪切ったんだろッ!?」

 ポルナレフの答えに、名前はにっこりと笑う。
 「正解」名前はご褒美とばかりにババのひとつをポルナレフにあげた。「さすがねポルナレフ、やっぱりあなたのがずっとカッコいいわ」承太郎に視線をやると、彼は『やれやれ』とばかりに帽子のつばを下ろした。

「思いきって二ミリも切ったのよ」

「二ミリなんざ変わりねぇだろ」

「承太郎は黙ってて。……ね、どう?」

「ああ、すっごくイイ感じだ」

 ポルナレフの言葉に、名前は満足げに頷いた。
 これまで名前はずっと同じ時間を生きてきた。それは肉体のすべてが対象で、髪ももちろん同様だった。名前の髪は伸びることも切られることもなかった。

 ──でもそれももう過去のことだ。

「そう言う承太郎は老けたわよね。昔より更に無口になってるし」

「……ほっとけ」

「いやでもオレは承太郎の気持ちもわかるぜ。そんだけ色々ありゃあ老け込むのも無理ないさ」

 ポルナレフは慰めるように承太郎の肩に手をやった。それを見て、名前も先刻聞いたばかりの話を思い出した。なんでもジョセフ・ジョースターに隠し子がいたとのこと。その青年もまたスタンド使いで、数年前には大変な戦いがあったということを。
 承太郎から聞き出すまでは知る由もなかったことだった。ポルナレフはディアボロから身を隠していた頃であるし、名前はそんな彼を探しにこの地を目指していた。
 まさか母国の片隅、穏やかな町でそんな事件があっただなんて。それに何より衝撃だったのはジョセフの件だ。名前は幼い頃からジョースター夫妻を知っていた。彼らは来日するたび名前にも構ってくれた。優しい彼らが名前は大好きだった。……仄かな憧れを彼らに抱いていたのだ。
 それがまさか……まさかそんなことになっていただなんて!

「まぁそうね。その……お疲れさま。何か食べる?奢るわよ」

「……いや、いい」

 しかしそれも過ぎたこと。当人たち以外が口を挟むものではない。疲れた風に溜め息を吐く承太郎に、名前もまた気遣わしげな目をやる。だが承太郎がそれ以上を語ることはなかった。

「ま、こっちのことなら心配ないからよ、お前は家族のとこにでも帰ってやんな」

 そう承太郎に言ったポルナレフは既に一線からは退いた身。だがしばらくは矢の新たなる所有者であるジョルノを見守ることにするらしい。それはまだ火種の残る組織にとっては有り難いことであったし、彼らと共に生きると決めた名前にとっても喜ばしいことだった。

「そうね、それがいいわ。しばらくはあなたもお休みってことで。またバカンスになったらいらっしゃいよ、今度は娘さんたちも連れて」

「……そうだな、」

 平穏を取り戻したばかりの街は、しかし一見するとなんの変わりもない。相変わらず雑多な街並み、下町の風情が残っていた。
 だが確かに変わり始めている。少しずつ、けれど確実に。この街は新たなボスの元、生まれ変わろうとしていた。その手助けがしたいと名前は思った。その果てにあるものをこの幼馴染みにも見せてあげたいと思った。
 笑いかけると、承太郎は目をすがめた。まるで眩しいものでも見たようだった。太陽にあてられた時みたいな表情で、承太郎がその口許に描いたのは、滲むような微笑だった。