沈みがちな気持ちの
──承太郎の通う学校で爆発騒ぎがあったらしい。
それを名前が知ったのは昼過ぎのこと。職員室での噂話を偶然にも拾い上げたためである。しかも彼らの会話は殆どが疑問系で、明らかな原因というものはまだわかっていないらしかった。
お陰で午後の授業はすっかり上の空。指名されて戸惑うこと数度。友人に呼び掛けられて聞き返したのは片手では足りず。
帰宅してすぐ隣家へと飛び込み、幼馴染みの無事を確かめるまでは──気が気ではなかった。
「あぁ承太郎!あなたは巻き込まれなかったのね!!私ほんとうに心配したのよ……。だって、ねぇ?不良の何人かが救急車で運ばれていったって言うじゃない?私てっきりあなただとばかり……ううん、別に侮ってるってわけじゃあないの。でもさすがのあなただって爆発には敵わないでしょう?あぁ、本当によかった……」
古き良き日本家屋。その大きな門を開け、訪問者である名前を招き入れたのは承太郎だ。
なのに彼は名前が口を開くや否や、「やれやれ」というように帽子の鍔を下ろした。──やれやれ、面倒なことになった。そう言いたげなのは名前にも伝わったけれど……でも今さら気にすることはない。
好きなだけ言葉を連ね、それから名前は「それで結局何があったの?」と訊ねた。
それは空条家の玄関を潜り、長い廊下を歩いている時だった。もうすぐ客間のある一角に着く、そんな頃合いになってようやく名前の口は落ち着きを取り戻し、本題に入ったのだった。
「…………、」
承太郎は足を止めた。不意に、そしておもむろに。振り返り、視線を落とす。
その目は落ち葉の赤銅色。落日の輝き。心境はスプリーン……といったところか。脾臓の辺りが刺激されたんだわ、と名前はぼんやりと思う。不機嫌だとか憤怒だとかいうのはそういったところから生まれてくるものなのだ。
そんなことを考える名前の前。眼差し静かに承太郎は重々しく口を開く。
「スタンド使いだ」
それはまだ耳に馴染みのない単語であった。故に名前は目を瞬かせ、幾ばくかの沈黙が二人の間に生まれた。
その果てに名前が思うこと。
「あら、それじゃあ私たちとおんなじね」
「……あぁ、そうだな」
それはごく単純で、至極能天気な返し。子供らしい無邪気さで名前は承太郎の言葉を受け止め、目を輝かせた。何があったのかと訊ねたのは名前自身で、承太郎の台詞はそれへの答えであったにも関わらず。
そんなことは名前の頭からすっぽり抜け落ち、「『そういう人』って案外たくさんいるのかしら」などといったことを呑気に考えていた。
その思考を察しているからこその承太郎の返事。淡々とした、けれど呆れた風な視線。それを受けて、名前もはたと思い至る。
「……待って。ええっと、つまりその……それが件の爆発騒ぎと何か関係があるってことなのかしら」
「……どうやら本気でおれたちを殺すつもりらしい」
だから常以上に口が重たげで、どことなく疲労感を窺わせる表情をしているのか。
得心がいき、──しかしその台詞の非現実感といったら!殺すも殺されるも名前にとってはフィクションの世界。途端幼馴染みがスクリーン越しの登場人物に思えて、名前は大きな溜め息を吐いた。
「よく無事だったわねぇ……」
それは感嘆の色。承太郎の全身をためつすがめつ眺め、名前は笑う。
「そんなに元気なら怪我のひとつもないんじゃない?今のあなたなら私がいなくても平気そうね、あぁ、残念」
昔は──それこそ本当に幼い頃は──承太郎が傷のひとつでもこさえたら大騒ぎするのが常だった。そしてそのたびに名前が治療してきた。それが『スタンド』という名だと知る前から、ずっと。
でももう承太郎ときたらすっかり大人。名前よりもずっと強く、大きく成長した彼に、わざわざスタンドを使ってやる機会はそうそう思いつかなかった。
──けれど。
「……いや、」
承太郎は立ち止まり、僅かに首を振った。
それはとある客間の前だった。閉ざされた襖。その目前で立ち止まり、それから承太郎は扉を開け放った。
「ついでだ、治してやってくれ」
そこはごくありふれた和室の一間だった。床に敷き詰められた畳。その上に広げられているのは敷布団や掛布団といった寝具の一式で、さらにそこに身を横たえているのは──名前の知らぬ少年だった。
「えっ?」
驚いた声を上げたのは名前か、少年か、はたまた両方だったか。ともかく名前の前には目を見開いた少年がいたし、慌てて体を起こしたらしい彼の方もまた名前を凝視していた。
「誰?誰なの承太郎?紹介してちょうだいよ、ねぇ」
少年に目を向けたまま。承太郎の袖を引く名前の声はひどく弾んだもの。興味津々といった気持ちを隠そうともせず名前は言葉を続けた。
「お友達?私知らないわ、あなたがお家に呼ぶほど……そんなに気安い仲のお友達がいるだなんて!どうして教えてくれなかったの?秘密なんてひどいわ」
「やれやれ、だから言いたくなかったんだけどな」
さすがは幼馴染み。名前の反応も想定の範囲内。だから名前が訪問した時からめんどうくさそうな空気を醸し出していたのか。
納得はした。承太郎の気持ちもわかる。でも己の欲求を抑える気など名前にはさらさらなかった。
承太郎が答えてくれないなら自分で聞き出すまで。そう考え、名前はまだぽかんとした顔の少年の元へと駆け寄り、膝を折った。
「ねぇあなたお名前は?承太郎とはよく遊ぶの?つまんなくない?この人ってほらこんなだから……」
少年の手を取り、浮かべるのは満面の笑み。「でもこれで結構優しいとこあるのよ」そして連ねるのは口煩い親戚のおばさんじみた台詞だった。
「あぁ、そうだ。いけないわね、自己紹介がまだだったわ……。私は名前よ、あなたは?」
問いかけると、瞬きひとつ。少年の深い色をしたそれがふと我に返ったように焦点を結び、名前を見つめた。
「花京院、花京院典明です……」
少年がまともに口を開いたのはこの時が初めてだった。名前は初めて彼の声を聞いた。けれどそうとは思えぬほどに心地のいい音だった。清浄さと荘厳さ。その二つを兼ね備えたのが彼の声だった。
少年は名前と同じくらいの齢に見えた。顔つきには生硬さがあり、一筋通った鼻梁は花の蕾を思わせた。髪色も相まって、咲きそめの薔薇のようだった。
彼は「よろしく」と握られた手を戸惑いがちに見下ろした。
……応えるべきか、それとも。
そう考えているのは明らか。しかし彼もまた心優しい性根らしく。「……よろしく、」髪の一房を揺らし、おずおずと名前のそれを握り返した。
その手には未だ躊躇いが残っていた。が、そんなこと名前はお構い無し。
「花京院くん、……それとも典明くん?承太郎はなんて呼んでるのかしら」
笑みを深め、距離を詰める。
対して花京院はといえば困惑しきり。「ええっと、」視線をさ迷わせ、やがて救いを求めるようにその目は名前の先、名前をすり抜け、その背後に立つ承太郎へと。
「おい、それくらいにしといてやれ。相手は怪我人だ」
それに応えるため、というわけではないだろう。機を窺い始めたのは恐らく名前が喋り出してから、ずっと。承太郎は名前の口が一息つくのを認めるとその肩に手を置いた。
「承太郎、」振り仰ぎ、そこで名前も思い出す。承太郎の台詞。この部屋に入る直前に彼が言ったことを。
「わっ、……傷だらけじゃない。もうっ、早く言ってよね」
「おれは言ったぜ。聞いてねぇのはおまえだ」
「あら、そうだったかしら。……そうだったわね、ごめんなさい。痛かったわよね、私ったらほんと……ごめんね、花京院くん」
承太郎の家に見知らぬ顔がいる。そのことに気を取られ今の今まで名前の意識になかったが、よく見ればこの花京院という少年、体のあちこちに包帯を巻いているではないか!
名前はすっかり眉を下げ、花京院が否定のために首を振るのすら押し留めた。
「動かないで、じっとしてなきゃダメよ。一応治せるには治せるけど、私自身もよくわかっていないから」
布団の中へと半ば無理矢理戻し、それから名前は彼の額やら胸やらに向けてスタンドを発動させた。
名前の望み通り、結果が満足のいくものであったのは、包帯をほどいた花京院が「すごいな」と呟くので明らかであった。
驚きと感嘆、それから賞賛に溢れた声。それはまともに浴びた名前が面映ゆさに目を逸らすほど。
「ありがとう、……でもそんなに使い勝手のいいものじゃないから」
気恥ずかしさに口走り、名前は目を伏せた。
……なんだか調子が狂う。
寡黙な幼馴染みに慣れすぎたせいか。真っ直ぐな言葉に、らしくもなく狼狽える名前。その頭からは爆発騒ぎのことなどすっかり消え去っていたのだった。