この話の余談であり蛇足。
亀の中でブチャラティの魂だけを延命させる主人公と、対峙するジョルノの話。
ジョルノエンドっぽい。
男は目を伏せた。「かわいそうに」と。
女は涙を流した。「なんてこと」と。
青年は唇を噛んだ。「見ていられない」と。
それは黄金の真昼のことだった。ジョルノは自室にいて、名前はその前に腰かけていた。彼女の膝の上には亀がいて、彼女はその背を愛おしげに撫でていた。
「Humpty Dumpty sat on a wall Humpty Dumpty had a great fall……」
そうしながら口ずさむは昔懐かしい童謡。ハンプティ・ダンプティ。危うげに、しかし身軽に、無邪気に。歌う少女は何を思うのか。
ジョルノはティーカップを置いた。
「いつまで続けるつもりですか?」
そう訊ねた。
すると名前は答えた。
「いつまででも」
と。
「この世に永遠なんてものはないんですよ」
ジョルノの言葉は夢見がちな子供を揺り起こすものだった。言い聞かせる響きで、嗜めるようでもあった。
しかし少女はくすくすと笑うばかり。
「いやね、それは百年も前の話よ」
はて、百年前に何があったろうか?
「ネバーランドの話。永遠の男の子のこと」
名前は歌うように言った。それでジョルノも諒解した。ピーターパン。永遠の少年。でも本当は?──永遠とは祝福だけではないのだ。代償があり、彼もまたそれからは逃れられなかった。
──だからきっと、彼女も。
ジョルノは名前を見返した。成長という道を代償に払った少女は、しかし悠然と口角を持ち上げた。
「リーインカネイションなんてごめんだわ。一巡後?それになんの価値があると言うのかしら?」
「だからって無限の永遠なんて……不可能です」
首を振ると、名前の頬が怒りに沸き立った。
「アリストテレスは生きてるわ。今このときも!」
「永遠を定義するということはその終わりをも内包するということでしょう?」
「私たちの外側には誰もいないわ!私たちは内側にしかいない!」
言い切り、名前は肩で息をした。
その手が抱くのは微睡みの中にある亀。彼女は縋るようにしてそれを抱いた。
壺中の天。そんな言葉がジョルノの頭には浮かんでいた。彼女にとって別世界とは今ここで、真実は壺の中にしか存在しないのだろう。或いはそう言い聞かせているのか。
「……私が彼を八代目の人にするわ」
名前の目は爛々と輝いていた。鋭く、熱く。ナイフの切っ先のようだった。
しかしジョルノは怯まない。
「彼は彼です。ブローノ・ブチャラティ、それ以外の何者でもない」
「いいえ!いいえ!」
名前は立ち上がった。長い髪が風に広がり、怒りに燃えているかに見えた。
「なんにだってなれるわ!メトセラにだって、アスランにだって、なんだって!」
胸に手をやり、少女は高々と宣言する。
それをジョルノは痛ましげに見つめた。「かわいそうに」──是。「なんてこと」──是。「見ていられない」──是。ああその通り、まったくもって哀れなもの!少女の願いのまま死ぬことすらできない青年も。願いに振り回され、溺れる少女も。
「……でも、ブチャラティはそんなの望みません」
しかしジョルノにできるのは真実を突きつけることだけ。少女の曇った瞳やより一層薄くなった体に胸を痛めながらジョルノは言葉を続ける。
「どうか、新たな生を」
「…………」
ジョルノが訴えかけると、名前は立ち竦んだ。言葉を失い、茫洋と立ち尽くした。その目には何も映らず、何も映さず。ぼんやりと宙を仰ぎ、ぼんやりと口を開く。
「そんなの、ずっと前からわかっていたわ……。私だって、本当はこうなりたかったわけじゃないわ……」
名前の頬には涙が伝っていた。静かに泣きながら、彼女は亀をぎゅっと抱き締めた。藁にも縋る思いのようだった。啜り泣き、少女は「でもね、」とぎこちなく笑った。
「もうわからないの、私。もう立ち止まれないのよ」
言って、名前は頽れるようにして長椅子に座り込んだ。深い深い息を吐き、それからまた亀の背を愛おしげに撫でた。これまでの会話をすべて忘却し、彼女は再度夢へとかえっていった。
「Humpty Dumpty sat on a wall Humpty Dumpty had a great fall.……」
囀りを聞きながら、ジョルノにはそれが彼女自身を指すように思えてならなかった。
──Humpty Dumpty sat on a wall Humpty Dumpty had a great fall.
All the king's horses, And all the king's men,
Couldn't put Humpty together again.
愛した人の死を受け入れられず、その魂だけを亀の中に捕らえた少女。過ちと知りながら、叶わぬと理解しながら、それでも永遠を願い続ける少女。割れた卵を元には戻せないように、砕け散った少女の心もまた取り戻すことはできないのだろうか。
──そんなことはない、と信じたい。
「大丈夫、大丈夫ですよ、名前……」
ジョルノは少女の隣に身を移し、その体を抱き締めた。記憶よりも随分と細く頼りないものとなったそれ。肉の感じられない肩口に顔を埋め、ジョルノは囁いた。
「いつまででも待ちますから……」
そんなジョルノを不思議そうに見て、しかし少女もまたその背に手を回した。