ジョルノの妹になるV
町の東に位置するナポリ中央駅。その目前、タクシー乗り場に車を横づけしても誰も文句は言わない。それは警察だって同じだ。ぼくを見て、「やぁこんにちは」とでも言うみたいに手を揉んだ。
そんな彼らには微笑のひとつでもくれてやればいい。そして着いていこうかという素振りを見せたミスタには手を振って制止の意を示す。さすがに車を無人にするわけにはいかない。
ぼくはひとり、駅の構内へと向かった。
駅には沢山の人影があった。中には近頃増えてきた観光客の姿も多く見受けられる。
「名前!」
でもぼくにはすぐ見つけられた。彼女──ぼくの妹であり姉であるその人。名前はぼくの言いつけ通りバールにいた。入り口の近く、ガラスに面したテーブル。そこに座る彼女を見つけ、ぼくは考えるより先に声をかけていた。
名前はカフェを飲んでいたらしかった。でもぼくの声にパッと顔を上げ、人混みの中でも迷うことなく一直線にぼくを見つめた。
この時ぼくたちは確かに繋がっていた。ぼくたちは正しく兄妹なのだ。瞬間、ぼくは痛感した。血の繋がり、それを意識したことはなかったけれど、彼女と出会ってその尊さを理解できた。
「よかった、何も問題はありませんでしたか?」
「まさか!こんな短時間で何も起こるわけないよ」
入店し、向かいに腰を下ろしながら、ぼくは注意深く彼女を見つめた。
人のことは言えないが、彼女もまた人目を惹く容貌をしていた。大方『父親』の遺伝だろう。以前彼女は複雑そうな顔で言っていた。この金の髪もスタンドも、忌まわしい血でできている。
でもぼくは、そんな名前が好きだ。ぼくと同じ『家族』だから好きだと思う。『家族』だから過剰にも心配になるのだ。
そんなぼくを、名前は笑う。「私の方が先輩なんだから」彼女は店員を呼び止め、ぼくの分のコーヒーを頼んだ。
「それにしても早かったね、バールなんて他にもあるのに」
「そりゃあ……兄妹だからじゃないですか」
「なにそれ」
ぼくとしては冗談を言ったつもりはない。ここに向かうまでも確信はあったし、見つけた瞬間に迷いもなかった。でも名前はおかしそうに目を細めた。それから「あぁ、でも」と頬に落ちる髪を耳にかけた。
「あながち間違いでもないのかも。そういった勘?みたいなの、承太郎さんにもあったらしいし」
「へぇ……」
「ジョルノくん?」
「いえ、」
ぼくは短く否定して、微笑んだ。
空条承太郎。ぼくよりもずっと年上の大人。寡黙な横顔と屈強な体。数度しか会ったことのないその人を脳裏に浮かべ、ぼくは胃の辺りにむかつきを覚えた。あまりいい気分ではなかった。彼のことは嫌いではなかったけど、隣に立つ名前のことまでは好きじゃなかった。
ぼくは「それより」と机上のシュガーポットを引き寄せた。視界の隅で店員が近づいてくるのがわかった。
「どうしてあんな嘘ついたんです?ローマにいる、なんて……」
「うっ」
名前は顰めっ面で呻いた。でもそうしてもその容貌は一切衰えなかった。ぼくは初めて周りの視線というのが気になった。不躾な目が不快だった。
「だって……最初はちょっと様子を見るだけのつもりだったんだもん」
名前がそう言っている間に店員はやって来た。ぼくの側にひとつと、彼女の側にひとつ。カップを置いて、すぐに下がっていった。
「ジョルノくんだって忙しいだろうし、邪魔はしたくなかったし……」でもそのすべてが名前の視界には入っていないようだった。彼女は言葉を続けながら目を伏せた。長い睫毛が印象的だった。
名前は砂糖をひとつ入れた。それが彼女の常だった。でもそれで止まらなかった。ふたつ、みっつ。無意識の様子だった。ぼくがそうするのに釣られたみたいに、名前は溶けきらないほどの砂糖をカップに注ぎ、口をつけてから咳き込んだ。
「甘い……」
でも名前は放り出したりしなかった。眉間に皺を作ったままコーヒーを呷った。それから「まぁ悪くはないかもね」と肩を竦めた。ぼくはそれが嬉しくて頬を緩めた。
「それは余計な気遣いというものです。それとも……ぼくに会えて嬉しくないんですか」
溜めを作って、声音を落として。真っ直ぐに問うと、名前は怯んだ。
「も〜!」眦を釣り上げるのも愛おしい。頬をつねられたって痛みは湧かない。家族だからなんだって許せる。
「そういう言い方って卑怯だと思うな」
一頻り詰ってから、その手は優しくぼくの輪郭を撫でた。
「ただでさえきれいな顔してるんだから」
じとり、睨み据える名前は『お互い様』という言葉を知らないらしい。兄妹なんだから似てるに決まってるのに。彼女がぼくを気遣うのと同じだけ、ぼくだって名前を想っている。それがよくわかったから、睨まれているにも関わらずぼくの笑みは深まるばかり。
「じゃあ約束、次来る時は事前に言ってくださいね、正直に」
「はぁい」
名前は気のない返事をする。やれやれって感じだ。でも彼女はもう嘘を吐こうとは思わないだろう。ぼくは穏やかな気持ちでティーカップを傾けた。その甘さすら心地よかった。
「それで、どうします、この後」
「うーん、実のところなんにも考えてなかったんだよね」
名前は「あはは」と頭を掻いた。気の抜けた表情だ。それこそ普通の女の子みたいな。ぼくにはできない顔だった。
「じゃあもう少し駅の中見ていきましょうか、どうせだし」
「うん、任せた」
ぼくらは揃ってコーヒーを飲み干した。
構内にはタバッキの他に食料品店や服屋、雑貨屋まで入っていた。どこも顔馴染みの店ばかりだった。ここではもうぼくのことを知らない人はいなくて、だから隣を歩く名前に否が応でも注目が集まった。
「あっ、これが噂のヌテッラ?へぇ、ホントに色んな種類があるんだね」
でも名前は気にしてない風だった。気づいているのかいないのか。いや、単に慣れているのだろう。ぼくと同じだ。
ストレーガに入った名前は物珍しげに辺りを見回した。何もかもが新鮮って感じだった。ヌテッラの塗られたワッフルや、ビスケットとセットになったヌテッラ、名前はそれらを手に取りしげしげと眺めた。
「買おうかな、興味あるし」
「うちにもありますよ?良ければ明日の朝食に出しましょうか」
「わっ、ホント?ラッキー!」
そういえば明日の予定は聞いていない。ホテルを決めてあるのかも。
でもこれで朝食の約束はできた。となれば滞在も我が家になるだろう。家族なのだから当然だ。目を輝かせる名前に満ち足りた気持ちになる。
一通り構内を見て回った後で、ぼくらは駅を出た。相変わらず並んでいるタクシー。その隅に見慣れた黒の車が停まっていた。寄りかかって欠伸をしているのはミスタだ。
長々と付き合わせてしまって申し訳ないことをした。名前も「待たせてるなら先に言ってよ」と袖を引く。
「怒られるかな」
「ミスタはそんなことじゃ怒りませんよ、それも女の子が相手なら」
たぶん文句は言われるだろう。羨ましいとかなんとか小突かれるのは間違いない。でも悪い気はしないから、向かう足取りは軽かった。
──と、
ぼくたちの横をすうっと車が通った。四つのドアがついた、真っ黒な車だった。中には男が三人いた。男たちは皆一様に前を向いていた。それが逆に違和感を掻き立てた。車は歩く早さと同じくらいで、やがてゆっくりと制止した。
その時の感覚をなんと表現したらいいのだろう。ぴりぴりとしたものが肌に張りついた。
ぼくは名前を見た。彼女はコートを抱え、バッグを手にしていた。なんてことない風を装っていた。そこには笑みすらあった。「大丈夫だよ」名前は唇だけで囁いた。だからぼくも笑った。
遠くでミスタが身を起こしていた。彼は鋭い目をして、でもにやりと口角を持ち上げた。ここはもう彼の射程範囲内だった。
ぼくたちが追いつくと、車のドアが開いて、男のひとりが姿を現した。その手には銃が握られて、撃鉄ももう起こされていた。でも何もかもが遅かった。男は引き金を引く前に呻き声を上げて蹲った。その周りでピストルズが歓声を上げている。
けれどミスタは叫んだ。「ジョルノッ!!」後ろだ、と声がする。ぼくは名前を庇うために前に出ていた。だからぼくの後ろにいるのはひとりしかいない。
「名前ッ」
銃声がした。名前の両手は塞がっていて、スタンドも出していなかった。彼女に防げるはずもない。そのように思われた。
──けれど。
「あぁ、びっくりした」
立っていたのは名前の方だった。倒れたのはそれより後ろにいた男。その手からは拳銃が溢れ落ちていた。そして名前の右手、コートの下に隠されたその中には婦人用の護身銃が一丁。先ほど乾いた音を上げたのがそれであるのは自明の白である。
「私、射撃に関してはちょっと自信があるんだよね」
名前は得意気に「ふふん」と鼻を鳴らした。一発、撃ち終え役目を果たしたそれにふぅと息を吐く姿。確かに手慣れていたし、様にもなっている。
「やるじゃねーか」
駆け寄ったミスタは何だか嬉しそうだ。射撃、という共通点が見つかったからだろうか。
「今度撃ち合いしようぜ!」
「いいけど……スタンドは抜きだからね?」
「わかったわかった」
ぼくは楽しげに会話する二人を眺めた。ミスタの目は親しげで、以前のような遠慮はなかった。彼にとっての名前が、『ジョルノの妹』ではなくなったのだとぼくにも伝わってきた。
ぼくにはそれが嬉しかった。家族と友人、そのどちらもがかけがえのない存在であった。