ジョルノの妹になるW
結局名前のイタリア滞在は一週間で終わりらしい。
「どうせならひと月くらい休めばいいのに」
口をついて出る不満。思わず独りごちると、試着室のカーテンがばさりと開く。
「バカンスのシーズンでもないのにそんなことできるわけないでしょ」
出てきた名前は六十年代のワンピースを着ていた。濃い草の色に小花柄。トレド通りの一角、ヴィンテージ品を身につけた名前はいつもより大人びた感じがする。
そんな名前はスカートの裾を持ち上げて「どう?」と首を傾げた。どう?似合う?、と。訊ねられ、ぼくは顎に手をやり考える。
名前に似合わないものはない、と思う。どんなものだって彼女は自分のものに変えられる。それが名前で、それがぼくだ。ぼくらは同じだ。
──でも、
「……もう少し明るい色の方が好きだな」
「そう?……へぇ、そうなんだ」
正直な感想を打ち明ける。
と、名前は一度目を瞬かせた後で、にんまりと口角を持ち上げた。それからぼくの顔を覗き込んで、「君の目とおんなじ色がお好みかな?」と冗談っぽい調子で言った。
でも、冗談なんかじゃない。
「うん、ぼくの目と同じ……揃いのものを身につけてほしい。君には、」
手を取ると、名前は虚を突かれたように目を丸くした。彼女にしては珍しく、間の抜けた顔。それを堪能するのもよかったけれど、今は他にやるべきことがある。
ぼくは店内を見渡した。淡い色の壁。煌々と照る灯り。色味ごとに分けられた商品を吟味し、そのうちのひとつを手に取った。
「これなんかどうです?」
選んだのは若草色のスカーフ。それを彼女の髪に当て、頷きひとつ。
「あぁやっぱり、よく似合う」
ぼくは目を細めた。若葉の色、そして波打つ金の髪は夏の明るいひと日。或いは実りきった麦畑、陽気な音色さえ聞こえてくるほど。ぼくは自分のより淡くほの白いブロンドを愛おしいと思った。
それはぼくの本心で、なのに名前は「もうっ!」と頬を膨らませた。
「なんでも言いなりになると思わないでよね!」
捨て台詞みたいだ。ぼんやりと思う間に試着室のカーテンは閉められ、でも次に出てきた時名前の手にはぼくの選んだスカーフが握られていた。
「それ、買うんですか」
「買うよ。……別にジョルノ君が選んでくれたからとか、そういうんじゃないから。私も『いいな』って思っただけだから」
名前はぼくと目を合わせようとしなかった。気まずげに目を逸らし、口早に言い募る彼女。
……こういうのをなんと言うのだったか。素直になれない様子を表すのに適切な語があったような気がするが、思い出せない。
ぼくが「へぇ?」と意地悪く片眉を持ち上げると、じろりと一睨み。
「……何かな、その目は」
「いえ、別に?」
「〜〜〜っ、もうっ!お姉ちゃんを揶揄うもんじゃありませんっ!」
紅潮した頬。固く引き結ばれた唇。頃合いかな、と思い、ぼくは素直に「すみません」と頭を下げた。
「姉さんの反応が可愛らしくて」
「……全然悪いと思ってないでしょ」
「えぇ、まぁ」
姉だなんだと言っているが、そもそも正確なところはわからない。ぼくも彼女も実の家族とは疎遠だ。正しく出生届が出されたかも疑わしい。
だがぼくたちが家族であるのは間違いのないこと。それは他でもないぼく自身が確信している。そう、ぼくの中を流れる血、この血がそう言っている。だから彼女が姉であろうと妹であろうとどうだっていい。ただ彼女が姉であることを望むならそれに従うまでである。
「……生意気」
「すみません」
口を尖らす姉を宥めながら、ぼくらは店内を見て回った。
「このジャケットはさっきのと合わせられるんじゃないですか」「こっちのワンピースも女性的で君にはよく似合いそうです」そんなことを言い連ねるうち、名前の機嫌は端からもわかるほど好転していくのが面白い。素直なのはいいことだ。姉でも妹でも可愛らしい。
「さっきの話だけど」
勧められるがままに。ジャケット付きワンピースを試着して、名前は頬に落ちた髪を耳にかける。
「そりゃあ私だってもっといたいよ。当たり前じゃない、家族なんだから」
家族、と。何気なく紡がれるその言葉。その響きに温かなものが込み上げる。幾度となく、何度だって。
「いればいいでしょう、一ヶ月でも二ヶ月でも」
「簡単に言うなぁ……」
「どう?」と両手を広げる名前に「いいですよ、とても」と微笑む。本当に、心から。ぼくにはどうして家族が引き離されなければならないのか、心底わからない。誰にそんな権限があるというのだろう?
家族は共にあるべきだ、それがこの国の『当たり前』なのだ。ぼくはずっとこの国では異端だった。別にそれを気にしているわけじゃない。でもそれが『普通』だと言うのなら、ぼくだって望んでいいはずじゃないのか?家族だから離れがたいと思うのだって、
「前にも言ったでしょ、あんまり休暇取ると怪しまれるって」
なのに名前はやれやれと肩を竦めた。仕方のないことなのよ。物分かりのいい風を装って、名前は笑った。
彼女が気にするのは財団のこと、ぼくたちの『父親』のこと、──それを今も恐れる、誰かのことだ。
ぼくらは多くを望んだわけじゃない。なのに周りはぼくたちを通して『父親』をみる。幻想でしかないのに、そんなものに怯えている。
いや、だからといって彼らを責めるのは筋違いだ。理解はしている。納得も、また。受け入れている、そのつもりだ。そのつもりだったけど、ぼくは子供のように食い下がる。
「言わせとけばいいじゃないですか」
「私がイヤなの。財団の迷惑になりたくないし、……承太郎さんだって、」
名前は大人びた顔で大人びた眼差しで、ぼくを見る。ぼくではない誰かを見る。ぼく越しに、誰か、遠くへと目を馳せる。
──不毛だな、とぼくは思う。
よせばいいのに。諦めたらいいのに。忘れたらいいのに。
そう思うだけで、ぼくの口は動かない。決定的な言葉にされることを恐れ、ぼくはたたらを踏んだ。ぼくは弟で、兄で、でもそれだけなんだと思い知らされた。ぼくは空条承太郎にはなれない。名前の願いを叶えてやれない。
──それがとても、悔しくてたまらない。
「……わかりました。でもこの一週間は付き合ってもらいますからね」
「うん、もちろん」
「それから夏期休暇も。絶対、どんな手を使ってでももぎ取ってくること、……いいですね?」
小指を差し出すと、名前は「しょうがないなぁ」と笑った。
それは姉らしい笑い方だった。とても自然で、そういえば彼女には本当に弟がいたな、ということを今更ながら思い出した。ぼくとは血の繋がらない、彼女自身関わりの薄い弟。資料上でしかぼくは知らないが、彼女の母親と再婚相手の間には子供が生まれていた。だから彼女は弟という存在に固執するのだろうか。
「甘えん坊の弟を持つと大変だ」
「嫌なら言ってください」
「まさか!嬉しいよ、うん、……すっごく嬉しい」
彼女にとってのぼくは誰かの替わりなのかもしれない。それは弟かもしれないし、空条承太郎なのかもしれない。或いはその両方か。
だとしても今隣にいるのはぼくだ。ぼくは名前の手を取って、心からの笑みを贈った。
「ぼくもです」
例え始まりが偽りであったとしても構わない。ぼくらが家族であるのは揺るぎのない真実だ。だからそこに付随するものが偽りであったとしても──やがては真実となる。
この世に残るのは真実だけなのだから、焦る必要はない。名前が諦められるその日まで、ぼくは待ち続ける。それだけだ。