ジョルノに甘えられる


恋人同士、同棲してる設定。






 十月、収穫祭が終わると途端に冬の訪れを感じさせる季節。長雨が続くことも相まって、風景すらも灰色。曇りがちな天気とあってはこの国の人々もさすがにどこか大人しい。輝いた目をしているのはオペラの開幕を楽しみにしている人たちくらいなものだ。

「……あぁ、もうハロウィンの季節なのね」

「なにそれ?」

 そう、この時期イタリアで大きなイベントはない。だから名前の呟きにナランチャが首を傾げるのも納得といえる。ハロウィンが盛んな国といったらアメリカが代表的で、祖国の日本だってまだまだ発展途上のお祭りだ。イタリアでの十月三十一日、といったら死者の日の前夜祭といった認識が強い。
 それを改めて実感し、名前はナランチャに笑みかけた。

「仮装をした子供たちにお菓子を配る日よ、アメリカやアイルランドのお祭りね」

「へぇ?カルネヴァーレとエピファニアを混ぜたみたいだ」

 「変な日」と言うナランチャに、名前は「そうね」と答える。異国の文化というのはえてしてそんなものだ。この国に定着するとしてもまた違った形のハロウィンになるだろう。

「でもせっかくだし買ってこうかしら」

 名前は輸入品の並ぶ棚に手を伸ばす。
 スーペルメルカート。食料品店の片隅、カボチャのパッケージが目立つお菓子をカゴに入れる。チョコレートやグミ、アメリカじゃありふれたお菓子だが、こうして包装されるだけでなんだか新鮮だ。製菓会社の陰謀?……だとしてもお祭りには乗っかりたくなるのが人情というもの。

「ナランチャも何か買う?付き合ってくれたお礼とお祭りも兼ねて……」

 一人きりでの買い物は味気ない。そんな思いの元誘ったところ、快諾してくれるのはナランチャの優しさゆえだ。そんな彼に報いたいと思うのは当然のことだろう。
 ……というのは理由のひとつに過ぎない。

「やった!」

 「ありがとう、名前っ!」歓声を上げて飛びつくナランチャ。その満面の笑みといったらどんなお菓子でも敵わない。極上の喜び、温かなものが名前の胸中に広がる。
 これほどの純粋さ、清らかな心。それは何物にも変えがたいもの。尊く、愛おしい。自分とそう変わらぬ体躯を抱き止め、名前は頬を緩めるのを抑えられなかった。




「だからね、つい買いすぎちゃって」

 名前はスティラーレ──アイロンかけを行いながら、肩越しに今日の出来事を語った。
 台の上に広げられたのは白のワイシャツ。その持ち主は名前の後ろ、ソファに座って書類に目を通している。黄金の髪に翡翠の瞳。ジョルノ・ジョバァーナ。ギャング組織、パッショーネの若きボスである。
 そんな彼は名前のつまらない話にも穏やかな微笑を崩さない。

「相変わらず仲がいいですね」

「あら、あなたたちも……あなたとナランチャも兄弟みたいで素敵よ」

 どちらが兄で弟かは微妙なところだが。しかし仲がいい、良好な関係なのはジョルノとナランチャも同じだ。名前のそれとはまた違う空気。それは名前にとって少しばかり羨ましいもの。嫉妬とは異なるが、憧れるものはある。
 そう言うと、ジョルノは「してくれてもいいのに」と目を細める。

「嫉妬、……ぼくはしましたけど」

 居間にはテレビがあった。数多あるチャンネルの中、映るのは多くのイタリア家庭と同じくソープオペラ。病院で働く主人公が結ばれたり離れたりを繰り返すストーリー。代わり映えのしない展開が続くが、作業中には最適だ。それに近隣の人々との会話のためにも必要不可欠。
 しかし名前の目はワイシャツもテレビも映していなかった。襟の裏をプレスしたところで手は止まり、口はぽかんと開いたまま。見つめても、ジョルノの唇が否定の語を紡ぐことはない。

「……そういうのとは無縁だと思ってた」

 驚きの冷めやらぬ声。呆気に取られた、そんな具合で呟くと、ジョルノは「まさか」と肩を竦める。

「ノ・ネ・アモーレ・センツァ・ジェロジーア……それは愛する証拠でしょう?」

 ──嫉妬のない愛は存在しない。
 古い映画に登場する台詞だ。そんなものを引用してみせるジョルノに羞恥や躊躇いはない。実に堂々としたもの、言い放たれ、頬を赤らめるのはいつだって名前の方。

「イタリア人みたいなこと言うのね」

「そうですね、あなたに関しては」

 「だからあなたも妬いてくれていいんですよ」とにっこり。
 微笑む姿は荘厳なる絵画さながら。まるで神話の世界の一場面。そんな彼に惹かれる者は後を絶たない。当然だ。美しいものには神が宿る。心惹かれるなという方が難しい。
 ──そう、わかっているから名前だって気にしないようにしているのに。

「名前、」

 呼びかけに導かれる。名前、ただ名を呼ばれただけ。それだけなのに空間を支配されてしまう。体の自由がきかない。アイロンは立てかけられたまま、テレビは垂れ流されたまま。名前はふわふわとした心地のまま伸ばされた手を取った。
 引き寄せられたのは彼の膝の上。横抱きにされる、その距離ときたら相手の息遣いさえも鮮明。なのにジョルノはさらに詰める。抱いた名前の肩口に顔を埋め、「ぼくじゃ満足できませんか」と囁いた。

「確かにぼくは純粋とは程遠い。けどあなたが望むなら変わります。こんな風に……頼られたいと名前が言うなら、」

 「努力します」とジョルノは言う。
 ギャング組織、パッショーネのボス。人々から尊敬を集める『名誉ある男』。そんな彼が、まるで普通の青年のように取り縋る。いつだって凛としていて、恐れなどないといった風であるのに。独りでだって歩いていけるって顔をしてるのに。
 なのにそんなジョルノが名前を抱き締めている。弱さをさらけ出し、名前を求めている。

「……これ以上の望みなんてないと思ってたんだけど、」

 名前は言って、ジョルノの背に手を回した。

「あなたに甘えられるのも、……うん、癖になりそう」

 しなやかな体。まだ少年らしさの残る体躯。それはナランチャのものと似ていて、でも同じなのは表層だけ。今の名前が感じるのはナランチャへ抱いたような無垢なものではない。
 美しいと思う。彼の清らかな魂を守りたいとも。でも同時に抱くのは醜く利己的な激情。その優しさの一片すらも独占したいと願う心。その眼差しを己だけに向けてほしいと思ってしまう。それはナランチャには抱かなかった感情だ。
 でも努めて名前はそうした面を抑えてきた。ジョルノはドンで、ひとりのものじゃない。そうであるべきだし、そうであってほしいと思う。その気持ちだって本当だ。

 ──そんな葛藤を、ジョルノも感じていたのなら。

「私も、少しだけ。あなたが許してくれるなら……甘えてみてもいいかしら」

「──ええ、もちろん」

 抱き寄せる腕が力を増す。

「愛しい名前。君が与えてくれるものなら、なんだって」

 ジョルノが名前の頬に手を添える。名前はごく自然に目を閉じる。

 ソープオペラの二人は今どうしているだろう?──私だったら到底離れることなんてできやしないわ。

 この温もりを手放すなんて一時だって不可能だ。だからソープオペラにも熱心になれない。
 そう思う名前の唇を塞いだのは砂糖菓子よりも甘いジョルノの口づけだった。