アバッキオの妹になるY
暗殺チームに新入りが入ったのはペッシ以来、およそ三年ぶりのことだ。そしてその哀れな新入りのお目付け役、もとい指導役にオレが指名されたのは……まぁ、納得の人選ではある。
あのツラで存外世話焼きなプロシュートはペッシの面倒を見るのでいっぱいだし、メローネやギアッチョは論外だ。イルーゾォ?……勿論却下だ。あんな陰険が相手じゃさすがに可哀想だろう。それくらいの良心はオレにだって残っている。新入りが年若い娘だというのなら尚更。
──そう、新しく入ったメンバーは成人もまだな小娘だったのだ。
「おはようございます!ホルマジオ先輩っ!」
「おーおー…、朝から元気だなぁ〜」
「はいッ!取り柄といえばそのくらいなもので!」
敬礼のポーズを取って畏まる無邪気な少女。そう、自然な笑みを顔いっぱいに浮かべるこの娘こそが我が暗殺チームの新入りなのである。いったい何をしでかしたんだか。
──よりによってどうして暗殺チームなんかに配属されたのか?
それはオレも含めた全員が疑問に思ったことだろう。なんでもポルポの試験を受けたらしいこの娘──名前。だがボスの命令だか気紛れだかで、現在微妙な立場に置かれるここ暗殺チームに配属される運びとなった。リーダーのリゾットも真相はわからないらしい。
だから最初、誰もが新入りを監視者と睨んだ。裏切り者の出た暗殺チーム。繋がれた首輪を補強するための部品、それが新入りであろう、と。
誰もがそう思って彼女を迎えたのだが。
「さぁさぁ!朝食の用意はできていますよ。席に着いてください」
「だからよォ〜…朝食は食わねぇ主義だって言ったろォ?」
イタリア人は大概早起きだ。でもそれにしたって名前は元気が過ぎる。テーブルに着かせようとオレの背中を押すその力の強さといったらそんじゃそこらの女とはわけが違う。そういうスタンドなのかと思ったがこれは元かららしい。なんでもかつては警官を志していたんだとか。
……だからこんなところまで島流しに遭ったのかもしれない。
そんなことをぼんやりと考えるオレの思考はどうやらまだ醒めきってはいないらしい。アルコールもまだ残っているんだろう。
「エスプレッソで十分だって」抵抗するオレだが、名前は笑顔のまま。
「まぁまぁそう言わずに」
「せめてコルネットくらいはつまんでくださいよ」そう名前は言うが、テーブルに広げられた皿はコルネットの分だけではない。ブリオッシュに数枚のビスケット、そしてミルクとジュース。そこまではいい。そこまでならまだごく一般的な家庭の朝食だ。
だが名前はこれに加えて各種チーズやハム、サラミ、フルーツの盛り合わせを用意していた。……いくらなんでも多すぎだろう。
「あはは、大丈夫ですよ。もちろん先輩の分だけじゃあないですからね。私もこれから食べるところですし」
「つってもよォ〜…、他のヤツらがまともに食うとは思えねぇけどな」
仕方なしに席に着き、エスプレッソを受け取り。コルネットを千切りながら、オレは呆れ顔を正面に座った名前に向ける。
ここは暗殺チームのアジトだ。だがだからといってここに必ず帰らなければならないわけじゃない。仲良しクラブなんかじゃないのだ。メンバーはクセが強いヤツばかりだし、全員が揃うのなんてリーダーから招集がかかった時か報酬の話の時くらいなもの。
──それにそもそも、名前の用意した食事を受け入れるかという問題が第一にある。
それを言外に含めたのは……まぁオレなりの優しさというやつだ。直接言うのは可哀想だし、現実に目を向けさせないのは傷を深くするだけだと考えた。
オレはちらりと視線を上げた。名前はお行儀よくサラミを口に運んでいるところだった。ゆっくりと咀嚼し、嚥下し、そして──。
「ええ。ですからこれは私の自己満足です」
名前はにっこり笑って、なんてことないように続けた。
「やっぱり朝食っていうのは大事だと思うんです。それに……ね、気が変わるということもあるでしょう?そしたら私としては万々歳、もしもなんの変化もなかったとしてもマイナスにはなりません」
「だからこれでいいんです」と名前は言って、エスプレッソを飲んだ。
あどけなさの残る容貌だった。黙っていれば鋭さのある目をしていたが、それ以外は全くの子供であった。
オレは家族のことを思い出した。今ではもう殆ど思い返すこともなかった過去の幻影。すっかり疎遠となった親兄弟のことを考えた。オレにも年の離れた妹がいたことを、名前を眺めることで思い出した。
「……って、なんですか?もしかして寝惚けてます?」
「あ?何ってそりゃあ…可愛がってやってんだろ?」
「ええ〜…お陰でぐしゃぐしゃなんですけど」
手を伸ばし、頭を撫でる。それは何となくの思いつき。これといった特別な理由などない。そうしたくなった、ただそれだけ。
乱暴に髪をかき混ぜると、名前は口を尖らせた。生意気な口から溢れるのは不平と不満。だが本当に嫌なら振り払っていただろう。そういうことで遠慮するような質ではないはずだ。
だからそう、名前の口許が緩んでいるように見えたのも決して気のせいではない。
「オイオイなんだこれは。なんの祝いだ?」
そこでやって来たのはプロシュートとペッシだった。プロシュートは開口一番、怪訝に首を傾げ、名前とホルマジオを交互に見やった。その後ろでペッシも同じ動きをしている。いや、弟分だからってそこまで真似しなくてもいいだろう。
「あー……」
そんな二人分の視線を受け、オレは首の後ろを掻いた。こういうのはらしくないが、……まぁ仕方がない。オレはこいつの世話係なわけなんだから。
「ちょっとな、こいつが張り切り過ぎちまった」
「あ?そいつはお前んとこのやつだろ。責任持てよ」
「だからこうして食ってんだろーが」
既にバールにでも寄ってきたのかもしれない。そういえば昨晩のプロシュートには仕事が入っていた。だからこれから仮眠を取るつもりなのだろう。
だがそんなのはオレたちには関係のないこと。
「ほれ、おめーらもどうだ?おい、ペッシ?」
「え、ええっと……」
だからオレは気弱なペッシに水を向けた。
すると予想通り。はっきりと断れない様子からするに朝食はまだのはず。口ごもり、ペッシは助けを求めるように兄貴分を見上げた。
──しかし、プロシュートが何を言うよりも早く。
「…………」
その音が腹の虫の鳴らすものだと誰もが気づいた。オレも名前も、プロシュートも。だから張本人のペッシは当然赤面する。だが慌てて腹を押さえたって後の祭り。というかそんなことしたって空腹を宥めることはできっこない。
「はぁ……」
「す、すいません兄貴ッ!」
やれやれと溜め息を吐くプロシュートはいったいどんな気持ちなのやら。頭が痛いといった様子で額に手をやっている。しかし手が出ることもペッシに指導が入ることもなかった。
オレは名前を見た。名前もオレを見た。それで十分だった。
「よかったらどうですか?毒なんて入ってないのはホルマジオ先輩が保証してくれていますので」
オレが視線で促したのを名前は諒解し、柔らかな笑みを二人に向ける。
そんな彼女に「オレを毒味役みてーに言うなっての」と文句をつけるが、……実のところはそんなに悪くない気分だった。いいことをした、とまでの自惚れはないが、……うん、悪くない。
「……わかった。ほらペッシ、さっさと席に着け」
「は、はいッ!」
二人のためにエスプレッソを淹れようと名前は席を立った。その背中にプロシュートは声をかける。
「ひとつはミルクにしてくれ。……オレじゃあねぇ、ペッシの分だ」
「……はいッ!」
注文に目を輝かせる名前。そして恥ずかしそうに身を縮こまらせるペッシ。それらを眺めながらオレはニヤリと笑う。
「お優しいことで」
「おい、足を蹴るんじゃねぇ」
揶揄うと、プロシュートは眉を顰めた。