アバッキオの妹になる\


 日暮れ前のバールには疎らな人影しかなかった。溜まり場にしている近所の住人に長いコーヒータイムを取る郵便局員、あとは暇な学生くらいなもの。平日のこの時間ならそれも当然だ。
 だからオレはカウンターの前に立ちながら『さて他のやつらにはどう映っているんだろうか?』と思った。他のやつらにオレたちはどう映っているんだろう。オレと、それから名前は。
 兄妹だろうか、恋人同士だろうか。そのどちらでもいいし、どちらでもなかったとしてもそれはそれで面白い。何に例えられたとしても名前ならきっと愉快な反応を返してくれるだろう。
 そんなことを考えながら隣にある横顔を見下ろす。女にしては高い背に少年のように鮮明な輪郭、対照的に浮き出た静脈の青さがいやに目につく。そんな彼女は『さて何を注文しようか』と頭を悩ませていた。

「うーん……ここは無難にパニーノにいくべきでしょうか……、ですが甘いものも食べたい気分ですし、あっ、ジェラティーナもいいですね……しかしパイも捨てがたい……」

「なんでもいいから早くしなよ。決めないならオレが適当に選んじゃうから」

 せっつくと、名前は勢いよく顔を上げる。「それはダメです!」別にバールなんて珍しくもないのに変なの。そんなに必死になるほどオレは食に対して関心がない。
 でも名前は違うみたいだ。腹を鳴らしながらうんと悩んで、それからやっと「ではコンパンナとトルタ・ザッハーを」と無愛想な店主に注文した。さっきまで悩んでたのとは全然違うものを。

「そんだけでいいの?すごい腹鳴ってるけど」

 オレは気をきかせてやった。任務帰りで気分がよかったのもあるけど、何よりオレはこの新入りを気に入っていた。だから腹を空かせてるっていう名前を連れてわざわざ楽しくもないバールなんかに寄ってあげた。しかもオレの奢りっていうおまけ付き。
 なのに名前は「やれやれ」とこれ見よがしに首を振った。

「メローネ先輩は乙女心というのがわかっていませんね」

「乙女心ねぇ……」

「む、文句あるなら買いますよ」

 しみじみ呟くと、ファイティングポーズで返された。
 でも生憎とオレにそういう趣味はない。ホルマジオとかプロシュートならノリノリで乗ってくれるだろうが、その手のことに関しちゃオレはまったくの門外漢。たぶん名前相手でも数分ともたない。スタンドが使えりゃ話は別だけど。
 オレは「そんなつまらないもの売ってないよ」と肩を竦め、ワインとジェラティーナ、それからハムとチーズとトマトのパニーノを頼んだ。
 名前は目を丸くしていた。間の抜けた顔だった。そうしていると年相応って感じがした。オレは「子どもが変な気を回すもんじゃない」と笑ってやった。
 そうすると名前は少しだけ困ったような顔をして、でも最後には礼儀正しく頭を下げた。

「ありがとうございます」

「どういたしまして」

 彼女のつむじを見下ろしてオレは思う。そういう反応がほしかったわけじゃないんだけどな、と。なかなか上手くいかないものだ。子どもの扱いには自信があったんだけどなぁ。
 オレたちはテーブル席に着いた。名前はカフェ・コンパンナを飲んで、パニーノを頬張った。小動物みたいだ。オレは安物のワインを飲みながら後輩の女の子を眺めた。
 オレが選んだものを食べる名前。オレの選択が彼女の血となり肉となるのだ。それはベイビィを育てるのとはまた別の喜びをオレに与えてくれた。人の親っていうのはみんなこんなものなんだろうか。オレにはわからないけど、でもそれだったら世の母親っていうのはすごく楽しい人生を送ってるんだなって思う。子を溺愛する親が増えてるのも納得だ。

「どうしたんですか、先輩。ぼうっとしちゃって」

 ひとり頷いていると怪訝な目とかち合った。しまった。「君に見惚れてたんだよ」女たちに言うみたいな台詞を吐くと、名前は「はぁ」と気のない返事をひとつ。何言ってるんだろうって冷たい目にちょっとだけドキドキした。

「先輩が見惚れるなら……ほら、ああいった方ではないですか?」

「ん?……あぁ、」

 名前が目線で指し示したのは壁に近いテーブル席だった。男二人と女一人の三人組。うち二人は若く、残る一人は結構いい年だ。大学教授とその教え子といったところか。
 確かに名前の言う通り年齢的にその女性は『いい女』だった。つまりは妊娠適齢期ってやつだ。この国では高齢出産が普通だけど、でもオレとしちゃあやっぱり適した時期っていうのが人にはあると思う。

「まぁそうだな、うん、いい具合だ。健康そうだし細すぎない体もいい。中身は知らないが…外見だけなら立派な子どもが作れそうだな」

「うわぁ……」

 話を振ったのは名前の方だ。なのにそのくせ名前は顰めっ面で仰け反るポーズを取った。ドン引きだって顔。でもそんなのは慣れっこだから気にしない。むしろその嫌悪の表情こそが高得点。「いい顔をするな」と褒めてやる。

「全然嬉しくないです。というか食事の最中に不味くなるような話をしないでください。不潔です、不純です、女の敵です」

「ははは、何を今さら」

「そうですね、そうでした。私が悪かったです」

 名前はあっさりと降参の意を示した。そして大仰な溜め息を吐いて『やれやれ』って顔。やけに芝居がかった仕草だ。

「私が警官だったら真っ先にあなたを牢屋へぶち込んでたんですけどね」

「君が警官ならそれも悪くないな」

「……物好きですね」

 にっこり笑うと名前は口許を引き攣らせた。
 でもそんな名前だって真っ当な人間とは言いがたい。じゃなきゃ暗殺チームになんか加入させられてないだろう。いったい何をやらかしたんだか。
 まぁ何にせよお陰でオレは退屈しないで済んでるし、ホルマジオもすっかり兄貴分を楽しんでる。ペッシも後輩ができたのがいい影響になっているようだし、イルーゾォが陰険なのは……元からだったな。

「っていうかそんなオレに付き合う名前もよっぽど物好きだよね」

 ともかくそんな中でもやっていけてるんだから名前だって人のことは言えないはず。自分だけが正常だって思ってるんならそれこそどうかしてる。
 そう言うと、名前はぱちりと目を瞬かせる。

「いやだってあなたは同じチームの一員でしょう?」

 それだけがこの世の真実だって調子。言い方で、名前は小首を傾げた。オレの方がおかしなことを言ってるんじゃないかって気にさせられる。
 名前はパニーノとトルタ・ザッハーをぺろりと平らげ、ホイップの乗っかったカフェを口に運んだ。こんだけ甘いのをこうもあっさり食べ終えてしまうなんてオレには無理だ。けど名前がおかしいのはそんなつまらない理由からじゃない。

「あなたの趣味嗜好は最低の部類だと思ってますが、それとこれとは別ですし、それに……」

「それに?」

「こういうことでもない限り、あなたみたいな人種と腹を割って話すこともなかったでしょうから、……良い経験になったと思ってますよ、私は」

 名前は「とっても美味しかったです」と無邪気に笑った。彼女曰く『最低な』男と同じテーブルについてるくせに。

「ふーん……?」

 でもそういうところが気に入ってる。高潔なだけでも汚れきっているわけでもない、でも世間から爪弾きにされた変わり者。
 オレもグラスを空にした。安物のワインだけど悪くない気分だった。

「なんですか?その意味深な目つきは」

「べっつに〜」

 不信感たっぷりな名前を見て、オレの顔はついつい緩んでしまう。

「ただね、君にはそのままでいてほしいなぁって」

 「母親にはならないでね」と言うと、頭の心配をされた。そっちの問題はないけど珍しく酔っ払っているのかも。父親ってこんな気分なのかな。ベイビィを育てたことはあるけど初めての感覚だ。父親で母親ってのもおかしな話だけどね。