アバッキオの妹になる]


 アジトへ戻ると見慣れた顔が応接間のソファで眠っていた。

「なんでギアッチョのやつこんなとこで寝てんだ?」

 疑問を口にしながらオレはギアッチョの顔を覗き込んだ。
 折り畳まれた厚い体。ソファに縮こまって眠る姿はどう見たって窮屈そうだ。でも普段ぎゃあぎゃあ喧しい口からは寝息だけしか聞こえてこない。よっぽど深い眠りに落ちているんだろう。
 珍しいことだ。というより初めて見た。まぁ当たり前だ。男の寝姿なんぞに興味はない。ただこんなとこで眠るなんてオレには考えられないってだけの話。
 そう思うのは何もオレだけというわけじゃない。ペッシだってオレの後ろで首を捻っている。さすがのこいつも他人のいるところで寝こけたりなんぞはしなかった。

「あっ、プロシュート先輩にペッシ先輩。おつかれさまです」

 でも一番年下の新入りはまったく違う感想を持ったようだ。
 パッと立ち上がり、折り目正しくオレたち二人を出迎えた名前。そのきびきびとした態度は「おかえり〜」と間延びした声を隣で上げるメローネとはまったくの正反対。これで近頃はよくつるんでいるっていうんだから正直なところ名前は男の趣味が悪いと思う。可哀想に。
 しかも呑気なギアッチョを相手にして「可愛らしいですよね」と宣う始末。可愛いってのは女子どもに使う言葉だって知らないのか、それともやっぱり趣味が悪いのか。

「え〜、どこが?」

「や、だってギアッチョ先輩っていつも怖い顔してるじゃないですか。そんな人がこう…なんと言うんでしょうか?小動物のように小さくなっているのが可愛らしいのでは、と……」

 「そう思いませんか?」と名前は同意を求めてくるが、オレたちは首を振った。全然理解できない。質問したメローネだって「名前ってやっぱり物好きだ」と笑っている。こいつに言われるなんて相当だ。ちなみにオレの中で変人といったら即ちメローネを指し示している。

「で?いったいどういう風の吹き回しだ?」

 改めて訊ねると、名前とメローネは揃って顔を見合わせた。合図もしてないのに随分と息の合った仕草だ。ホルマジオが『娘の巣立ちってやつだな』と寂しそうにしていたのはこのことかとオレは内心で理解した。

「どうやらギアッチョ先輩は騒音に悩まれているそうで」

「こいつんち、つい最近上の階に新しく人が越してきたらしいんだけどな。そいつが結構大掛かりな改築を始めやがったんだとさ」

 名前の後を引き継いでメローネが語る。その内容といえばこの国ではごくありふれた隣人騒動。音を原因とするいさかいはあちこちで起きているし、民事訴訟の大半が近隣住民との争いに端を発していると聞く。ギアッチョもまたごくありふれた一般人と同じ悩みを抱えたというわけだ。

「それで眠れないからここで、って?」

「そのようです」

 黙って聞いていたペッシは同情の目を向ける。そしてそれは名前も同じだ。でもメローネの口はにやにやと笑っていた。にやにや笑いながら、「かわいそうにね」と言った。……こいつはこういうやつだ。ギアッチョもなんでまたこいつに餌を与えるんだか。

「そんなのよぉ、話つけてくりゃあいいだけのことだろうが」

 簡単な話だ。オレはそう言って、ソファに腰を下ろした。そうするとすぐに名前は立ち上がり、カフェの用意に向かった。オレのためのカフェと、それからペッシの分のミルクを。
 よく動く新入りとは対照的に、メローネは頬杖をついて片方の口角だけを持ち上げる。

「あぁ、拳で?」

「は?」

「ダメだよプロシュート、そうやってすぐ暴力に訴えるのは」

 最初は『なに言ってんだ?』と思った。わけのわからないことを言うのがメローネの常だから、今のもその手の話だと考えた。だが二言目では十分に伝わった。
 そして伝わったのはオレだけじゃない。

「えっ!暴力沙汰はいけませんよ先輩!」

「んなこと言ってねぇだろ!」

 二組のティーセットを手にした名前の耳にも届いてしまったらしく、彼女は血相を変えて戻ってきた。なんだこいつらは。オレのことをいったい全体どう思ってるんだ?
 青筋を立てると、隣でペッシが「落ち着いてください兄貴!」と慌てる。が、オレとしちゃお前の方こそ落ち着けと言いたい。別にマジでこいつらをぶん殴りたいわけではないのだ。それにそんなことをしたらむしろメローネの思う壺。『ほれ見たことか』と今後ずっと言われ続けることになるだろう。
 わかっているからオレは深い息を吐き、名前の淹れてきたカフェを口に運んだ。体内に広がるのはちょうどいい温かさ。ここのところはめっきり冷え込むようになってきたからカフェが一層美味しく感じられた。

「だからオレが言いたいのはだな……煩くすんなってギアッチョのやつが一言言えばいいだけだろってことだ」

「簡単に言うけどねぇ……」

 メローネは意味深にそこで言葉を止めた。目線で続きを促しても無駄。メローネときたら肩を竦めてみせるだけ。
 代わりに今度は名前の方が口を開く。

「それも難しいみたいです。お相手の方、どうもこの国の人ではないようで。しかも先輩のこと怖がっているみたいでまともに話もできない状況らしいです」

「自業自得じゃねーか」

 詳細を聞いてみれば同情心なんて跡形もなく消え去る。ギアッチョのことだ、持ち前の剣呑な顔つきでガン飛ばしたかなんかしたんだろう。その光景が目に浮かぶようだ。さもありなんといったところである。

「こいつだってもういい大人だ。そのくらい自分でなんとかするさ」

「そうだねぇ。まぁオレとしちゃあどう転んでも面白いけど」

 そう言ったメローネは「意地悪言っちゃダメですよ」と名前に叱られている。小さな子どもを相手にしているみたいな言い方だ。
 だがそんなのでもメローネには効くらしい。大人しく「はぁい」と答えている。それが逆に気味の悪いことだとオレは思う。素直なメローネなんて気持ち悪い。

「しかし騒音問題って本当に多いんですね。私の……ええっと、友人にも一人いますよ。隣から聴こえるギターの音が喧しいって」

「友人?まさか彼氏じゃあないよな」

 耳聡いやつだな。
 すかさず追及するメローネに、代わりにオレが答えてやる。「だったらなんだよ」と。お前は名前の父親か?
 でもメローネは「そりゃあ認めるわけにはいかないな」と真顔で答えた。聞いたオレがおかしいみたいじゃないか。思わずオレはペッシを見るが、ペッシは素早く頷いてくれた。「兄貴は間違っちゃいませんぜ」お陰でホッとした。メローネの常識が世界の常識と繋がったなら死んだ方がマシだ。

「あはは、まさか。残念ながらそこまで親しくはないので」

「そうかそうか、そいつはよかった」

 笑って否定する名前と、満足げな笑みを浮かべるメローネ。面構えだけは好青年だが言ってることは意味不明だ。こいつは本気で名前の父親にでもなる気だろうか。これ以上おかしな趣味を開花させるつもりなら付き合い方を考えなきゃならないかもしれない。

「ですがこのままというのは可哀想です」

 名前は言って、またギアッチョに目をやった。
 オレたちがこうしてやり取りをしている間も身動ぎひとつしない。それほどに眠りが深いのだ。かなり重度の睡眠不足。だから最近いつも以上にイライラしてたのか。よく見れば目の下には濃い隈があった。

「やっぱり私、代わりにお話ししてきましょうか?」

「ええ〜…、危ないって。知らない男と一対一なんて。そんならオレも行くよ」

「いえ、だからそれは遠慮すると言ったでしょう?メローネ先輩が来たら話せるものも話せなくなります」

「なにそれ、差別だ」

 名前とメローネの会話を聞きながらオレは思案する。
 確かにこの手の問題を収めるのに人好きする性格の名前は適任だ。ついでに言うなら言動に怪しさしかないメローネは論外である。この点に関しちゃ名前と同意見。それに名前自身そこらの男にやられるほどやわではない。メローネは心配しすぎなんだ。
 そんなことを考えているオレの隣、「あのう、」そろりと上がる声がひとつ。

「どうした、ペッシ?」

「いや、そんならオレが着いていこうか、と思いまして……」

 ペッシはそう言って、その後で「オレじゃあ役に立たねーかもしれませんが」と言い添える。声に滲むのは自信のなさであり、目許には恥じらいの赤色。そんな後輩をオレは信じられない思いで見つめた。
 まさかこいつが自分から率先して行動を起こそうとするとは。それも他人のためにだ。
 虚を突かれたオレは「そうだな」と言うことしかできない。そうだな、それがいいんじゃないか。他人事のようにオレが言うと、名前は「ありがとうございます!」と目を輝かせた。

「先輩なら安心です!心強いです!」

「えぇ〜!オレより!?」

「ええ、メローネ先輩より」

 追い縋るメローネを一蹴し、名前は立ち上がる。
 「善は急げです!」宣言し、ペッシを連れて部屋を出ていく。家主のギアッチョは置き去りだ。でも当人がいない方が上手く事が運ぶかもしれない。

「あーあ、フラれちゃった」

 メローネは嘆息し、つまらなそうに背凭れに身を投げた。その体はすっかり脱力しきっている。こいつも随分変わったものだ。以前は一人でだって楽しみを見つける性格だったのに。
 たった一人、新入りが入っただけでメローネもホルマジオも変わっていった。特に顕著なのはペッシで、『先輩』と慕われるのがいい方向に作用しているらしい。オレとしては嬉しい限りである。口にはしないが成長を楽しみにしている。
 それはペッシだけではない。もちろん名前のことも、だ。