メローネを振る


メローネ→夢主→←誰かの話。
時間軸不明。たぶん全員生きてる。





 メローネの口説き文句はいつも同じだった。

「なぁ、オレの子供を産んでくれないか?」

 それは本心からだった。名前に望むのはただその一点のみで、だから口説き文句だって毎日変わることがなかった。
 でも彼女は顔を顰めた。「お断りよ」それだっていつもと変わらない。名前は昨日と同じ答えを返して、メローネの手をぴしゃりと払った。ここでの彼女はリストランテの従業員で、メローネは客のひとりに過ぎなかった。
 名前は冷たい眼差しでメローネを見下ろした。

「ご注文は?」

 その目は置かれたグラスの水よりもずっと冷ややかだった。でもその温度のなさがメローネには心地よかった。
 「そうだな……」メローネはメニューを眺めた。とはいえ内容は記憶してある。見る必要はなかったけれどポーズは必要だった。
 でも時間をかけすぎるのもダメだ。そうすると終いに名前はやれやれと立ち去ってしまう。『決まったらまた呼んで』その時の言い方もそれはそれでよかったけれど、引き際が肝心だとメローネは学んだ。
 だから彼女が口を開きかけた頃合いを見計らってメニューを指差した。

「カフェとパニーノを」

「わかったわ。ミルクはなしね、……そうでしょう?」

「あぁ」

 メローネは笑みを深めた。やはり彼女の子供が欲しいと思った。他のベイビィより優れているとは思わない。でも彼女の子供が必要なのだという確信はあった。彼女は母親になるべきなのだとも。
 テーブルを離れる名前の背を、メローネは目で追った。スカートの裾から覗く脹ら脛の白が目に眩しい。メローネは人知れず目を細めた。なのに何故か彼女には睨まれてしまった。メローネは肩を竦めた。
 注文を待っている間も名前は忙しなく動いていた。花から花へと飛び移る蝶のようだと思った。メローネは子供の頃見た標本を思い出した。広げられた羽根。透き通った白や金、紫の色。子供心にきれいだと思ったものだった。

「お待たせ」

 やがて名前がテーブルに戻ってきた。ティーカップとパニーノの乗った白い皿。彼女はそれらをメローネの前に置いた。待つのは嫌いじゃなかったけれど、ひどく待ちわびた気持ちだった。

「……なに?」

 メローネは名前の手首を掴んでいた。それはメローネの手にすっぽり包み隠されていた。それくらいに細いのだと実感した。
 たぶんきっと、自分になら彼女の首に手をかけることも容易いのだろう。メローネは頭の中でぼんやりと彼女を組み敷いた。悶える彼女は空想の中でも美しかった。やっぱり食べさせてしまうのは惜しいなとも思った。
 メローネは名前を見上げた。名前は訝しげにメローネを見ていた。膚の強ばりから身構えられているということが伝わってきた。その反応も『いいな』と思った。

「どうしてもダメか?いったいどうして?」

 その心のままに訴えかけた。なのに彼女は「わからないの?」と溜め息を吐いた。その目は哀れむようなものに変わっていた。彼女のそういう顔だけはあまり好きではなかった。

「あぁ、まったくわからない。見当もつかないな」

 名前は「離して」と言った。メローネはそれには答えなかった。隣のテーブルで男が物言いたげにこちらを見ていた。でもメローネは気にしなかった。知らない男だ。どうということもない。
 メローネは「座りなよ」と自分の向かいを指した。このテーブルは一人で座るには些か広かった。
 「君の分もオレが頼むよ」でもメローネには名前が何を求めているのかわからなかった。彼女はいつも何を飲み、何を食べているのだろう?メローネが知っているのは彼女の誕生日や血液型、そうしたものだけだった。
 メローネはふと以前見かけた彼女の姿を思い出した。彼女と、その隣を歩いていた男のことを。彼女は男の腕に手を回していた。ごく親しげな様子だった。あの時見た男なら彼女が何を求めているのかわかるのだろうか。それはあまり気持ちのいい想像ではなかった。
 名前は「必要ないわ」と首を振った。私には必要のないものなのよ。「じゃあオレはどうすりゃいいんだ?」メローネは途方に暮れた。

「赤ん坊が産まれた後のことを心配しているなら杞憂だって言ったろ?別にどうしても母体が欲しいってわけじゃあないんだ。それにこれは実際成功してる。それなのに何がダメなんだ?」

「わからないって言うならやっぱりダメなのよ、私たち」

 名前はふうっと息を吐いた。それからほんの僅かに微笑んで、メローネを見下ろした。嗜めるような、呆れたような、そんな表情だった。その顔は嫌いじゃないなと思った。背筋がぞくぞくした。彼女はやっぱり母親になるべき女なのだ。

「最大限譲歩してるつもりなんだけどなぁ。現に君に年下の彼がいることだって容認してるじゃないか」

「メローネ、」

 名前は呼んだ。メローネ、と。ただそれだけだった。それだけだったけれど、メローネの口はぴたりと止まった。それほどの力が彼女の声音にはあった。

「そういうことじゃないのよ、私が言ってるのは」

 メローネは名前を見た。そこにあるのは見慣れた顔だった。見慣れた顔のはずだった。なのに彼女が今どんな表情をしているのかメローネにはわからなかった。
 「名前、」メローネは彼女の名前を呼んだ。たぶんそのつもりだった。でも本当のところはどうだろう?彼女はメローネの母親かもしれなかった。少なくとも、メローネにとっては。

「ねぇメローネ、……私じゃあなたたちの母親にはなれないのよ」

 でも彼女は否定した。その眼差しは悲しげで、口許には諦念が滲んでいた。彼女は微笑みながら、そして優しくメローネの手をほどいた。
 何もかもが掌から零れ落ちていく錯覚だった。コーヒーは温もりを失い、パニーノからは新鮮さが薄れていった。二人の間に繋ぐものはなく、深い深い隔たりだけが存在していた。それがメローネには酷く耐え難いことのように思われた。
 「そうだとしても、」メローネは言った。

「オレは君の子供が欲しいんだ」

 それは幾度となく繰り返された言葉だった。それに対する名前の答えも、また。