ジョルノ√【クリスマス】
数年後、恋人設定。
立ち並ぶ屋台。きらびやかな電飾。道行く人々の、華やいだ顔。十二月二十四日、クリスマスイブ。一年で最も盛大に祝われるこの日をジョルノもまた待ち望んでいた。世界で一番大切にしたい人、──名前と過ごす、はじめてのクリスマスを。
しかしその彼女も今はジョルノの隣で溜め息を吐いている。
「もうっ、どうしてこうなるのかしら!せっかくのクリスマス、もう少し空気を読んでくれたっていいじゃない……」
普段はどこか達観したところのある目が悔しげに歪められる。その表情は子供のように愛らしい。白く滑らかな輪郭も相まって尚更そのように思われる。
いつもだったらその頬に触れていただろう。でもこの時のジョルノはそうしなかった。空いたままの左手を握り締め、微笑みを作った。
「すみません、巻き込んでしまって」
「いっ、いいのよ!それに今のはジョルノに言ったんじゃあないわ!というかあなたに巻き込まれるなら大歓迎よ」
謝ると、名前は慌てた。両手を振って、「気にしないで」と言い募る。
優しいな、とジョルノは思う。名前はいつだって優しい。我が儘を言わないのは彼女の美点であり、同時にもどかしさを生む原因でもあった。
いっそわかりやすく詰ってくれたらよかった。怒って、拗ねて、そうしてくれれば罪滅ぼしもできただろう。でも名前は責めなかった。ギャングなんかを恋人に選んだことを悔いている様子もなかった。それが嬉しくて、申し訳なかった。
「でも夕食まで食いっぱぐれてしまいました。一応予約、してたんですけど」
今日はクリスマスなのだ。ジョルノだって人並みに浮かれていた。これまではただの休日でしかなかったこの日を大事にしたいと思うようになった。
なのに予定が狂ってしまった。祝い事の日はどうしたって普段より隙が生まれるものだ。そこを敵対組織に突かれた。襲撃を受け、その後始末に追われいつの間にか夜も更けていた。
リストランテに取りつけた約束の時間はとうに過ぎ、家路につくしか他に道はなく。そんな自分に失望し、ジョルノは肩を落とす。
──どうしてこう上手くいかないのだろう。
それなりに器用なつもりだった。パッショーネのボスになったって変わるつもりはなかった。怖じ気づくことはなかったし、不安も感じていなかった。
「だからいいって!私はこうしてあなたが無事で、それだけで嬉しいんだから」
「……ありがとう」
──なのに実際はどうだ?
気遣われ、慰められている。
名前が笑顔を作れば作るほど胸が軋んだ。鼻の奥がつんとして、上手く笑うことができなかった。
街には笑顔が溢れていた。男も女も、老いも若いも関係ない。建物すらも色鮮やかにライトアップされている。真昼の古びた街並みとはまったくの正反対。だって今夜は祝祭だ。湿っぽいのは似合わない。
名前にだってそうだ。なんの気兼ねもない笑顔が一番似合う。本当は、彼女の心からの笑顔が見たかった。ジョルノの望みはただそれだけで、それすらも叶えられなかった。
──情けなさに、自分を殴ってしまいたい。
「……ジョルノ、見て!」
不意に名前が声を上げる。指差す先は道の向こう、目を馳せると飾り立てられたクリスマスツリーが見えた。
「とってもきれい。ね、近くに行ってみましょう?」
「ですが、」
「ほらっ」
少し強引に名前がジョルノの手を引く。ジョルノからは触れられなかったのに、隔たりを彼女は容易く飛び越える。
そうされるともうどうしようもない。ジョルノは名前に手を引かれるまま、まろぶように駆けていく。逆らう気はそもそも念頭になかった。彼女の後ろ姿、キラキラと波打つ髪に目を奪われた。
「せっかくだし滑っていきましょ」
クリスマスツリーのある広場は冬季限定のスケートリンクとなっていた。若者たちが楽しげに滑っているのを指差し、名前は振り返る。
「……いきなりできるもんでしょうか。経験、ないんですけど」
「あら、大丈夫よ」
名前は「ジョルノにも初めてのことってあるのね」と笑う。「でもあなたならすぐ慣れるわ」
そんなことない、とジョルノは思う。名前はぼくを過大評価している。何もかも、初めてのことばかりだ。名前と知り合ってから、ずっと。ままならないことも多くて、なのに何故だか離れがたい。
スケート靴に履き替え、氷上に足を下ろす。なんとも心許ない感覚だ。手摺に掴まったままでもそう感じる。恐れはないが、しかし一抹の不安は拭えない。
すると、目の前に手が差し出された。
「手を出して。掴まってて、……離さないで」
穏やかな声だった。でも不思議と力強さがあった。
眼差しに促されるままジョルノは名前の手をとった。なんだかいやに心が浮わついている。自分のものではないみたいだった。例えるなら目覚めたばかりのあの感覚。気づけば名前と手を取り合って氷上を滑っていた。
「ほら!やっぱり私が言った通り!」
名前は声を立てて笑った。
氷上は四方からの照明で青く燃えるようだった。名前のブロンドも光を帯びていた。ジョルノには何か神聖なもののように映った。
「そりゃあ君が手を引いててくれてるからですよ」
「それでもいいじゃない、楽しいなら!」
真珠の歯がきらりと光る。風と氷の間ではためくスカートの裾、その下で際立つ脛の白さ。弾む息は熱を帯び、蒸気する頬は剥き出しの果実だった。
「私も同じ、……今が楽しいから、それでいいの」
クリスマスツリーの前で名前は足を止めた。ジョルノを見上げ、微笑んだ。天使のそれのように朗らかで、澄み切った微笑だった。
「……欲がないですね」
「そんなことないわ、これってとっても難しいことだもの」
名前はくすくすと笑い、目を細める。
「予定が変わったのは本当に残念。だって楽しみにしてたんだもの、悔しくて当然だわ。でも今は楽しいの、悲しいのなんてどこかに行っちゃった。私はね、ジョルノ、大切なのはそういうことだと思うのよ」
名前は「上手く言えないんだけど」と言い添えて、ジョルノの手を握った。そうしなくたって彼女なら一人で歩いていくことができるのに。それでもなお名前はジョルノの手を離さなかった。
そんな彼女が愛おしく、途方もない幸福感が胸に溢れた。
「……どうか君も、名前。掴まっていて、──離さないで」
「──うん、」
囁くと、名前ははにかんで頷いた。
でもそれからすぐ悪戯っぽく笑みを深めて、「じゃなきゃジョルノ、転んじゃうものね」と揶揄った。
「そうかな、結構コツを掴めてきた気がするんだけど」
「本当?それってすっごく天才的って感じじゃない?」
「じゃあ一人でも平気だって言ったらぼくの手を離しますか?」
然り気無く訊ねると、名前は目を瞬かせた。
「そうね、……」小首を傾げ、暫しの逡巡。けれどすぐに「やっぱりダメ」と口角を持ち上げる。
「離してなんかあげないわ。だってこんなジョルノ、滅多に見られないもの」
「……君って結構意地悪だ」
「そうよ、そりゃあ当然。好きな子には意地悪したくなるのが人の常って言うの、知らなかった?」
「生憎と。でも案外悪くないもんですね」
意味のない冗談の応酬。だが無駄だとは思わない。名前と交わす言葉のひとつひとつがイルミネーションと同じ、或いはそれ以上の輝きを放っていた。
自然と緩む頬を抑えることもせず、ジョルノは名前の頬に軽い口づけを落とした。罪悪感は癒され、己へ抱いた失望はそのまま彼女への愛情へと変わっていた。
大切なのはそういうことだとジョルノも思った。上手く言葉に表すことはジョルノにもできなかったけれど。