暗殺チーム√【日常】


もしも暗殺チームに拾われていたらでもいいし、
リゾット√の前日譚でも。





 プロシュートが猫のような足取りで帰ってきたのは、丁度名前が夕食の準備にいざ取り掛かろうかという時であった。
 彼はジャケットを脱ぐと当たり前の顔をして台所に立った。名前はセロリやトマトなんかを洗っているところで、その横でプロシュートは包丁を手に取った。彼は何を質問するのでもなく、また名前が何かを伝えるということもしなかった。無言の内にプロシュートは理解し、了承していた。名前と並んで牛テールを調理できるのは、このチームで彼ぐらいなものだったのだ。
 そしてリゾットはといえば空の客間(といってもそれが本来の用途で使われたことなどは今の一度もなかったのだが)にひとりいた。
 別段火急の用件はなかった。ただ定期的に訪れる勘定書の類いに頭を悩ませていた。組織からの褒賞金は少ないというのに、かかる経費といったらバカにならない。同じような名前でも、報償金の方が余程近しいのがこの暗殺チームというものだった。
 恐らくは、とリゾットは思った。幾度となく考えた答えだった。恐らく『ボス』は我々を警戒しているのだろう。だから決して自由になる金などは寄越さない。裏切りや復讐、つまりは革命に類するものを排除するのがボスの目的だ。だがそう何時までも大人しく飼われていると思うなよ──と。
 そう考えるリゾットの耳には名前の呑気な声が漏れ聞こえていた。彼女は今日出会ったダックスフントがいかに友好的であったかというのを熱っぽく語っていた。

「私、ああいう子って好きよ。勿論上品なのも悪くないけどね、でも一緒に暮らすんなら愉快な方がいいと思うの──」

 それに対してプロシュートは同意を示したらしかった。彼は笑い、ドイツ犬は優秀だという旨を名前に聞かせた。それから、「飼うならドーベルマンかシェパードがいいだろう」と言った。「お前にはぴったりだ」それは揶揄う語調だった。要するに、世話されるのは名前の方だと言いたいのだろう。

「もうっ!」

 暫くは言い合う声が聞こえたが、じきにそれも収まり、また名前は楽しげに話を始めた。彼女の声は春に囀ずる小夜啼鳥のようなものだった。なんだか懐かしい響き。平和な田舎町を思わせる音色だった。
 リゾットはふと故郷を思った。少年時代に時を止めたままの町。包丁の規則的な音。台所から聞こえてくる鼻歌。暮れなずむ町。遠くで鳴り響く教会の鐘。夕食はなんだろうかと胸を弾ませた帰り道。かつては存在したもの、そして今では遠ざかってしまったもの。そうしたものを睡りに落ちる直前の心地で思い出していた。
 ギアッチョが帰ってきたのは名前たちがすっかり支度を調えた後だった。
 見計らったかのようにして帰ってきた彼は、つまらなそうな顔をしてテレビの電源を入れた。丁度地元チームがキックオフのところで、彼がそれに合わせて帰宅したのは自明の白だった。
 その時リゾットは「おや?」と思ったのだが、口にはしなかった。別にわざわざ聞くほどのことではないだろう。それは元来の性格故であり、言葉少ななのが常であった。
 その代わりと言ってはなんだが、このチームには揶揄いたがりが幾らでもいた。それはホルマジオであったりメローネであったりしたのだが、この時その役目を担ったのはプロシュートだった。
 プロシュートは「なんだギアッチョ、」と笑いながら彼の前に料理を置いた。

「お前、今日は外で食べるんじゃなかったのか?」

 第二の皿に当たるのは温かな湯気の立つ牛テールの煮込みであったのだけれど、笑い方ときたらそれとは正反対であった。ギアッチョを見る目は揶揄いにチカチカと瞬き、彼が餌に食いつくのをじぃっと待っていた。

「……別に、そういう気分じゃなかっただけだ」

 目論み通りに飛びかかろうとして──けれどギアッチョは直前で我に返った。激昂しやすい彼にしては珍しいことだった。決まり悪げに目を逸らし、口許だけで罵声を抑え込んだ。……それでも耳のいいリゾットには彼が「クソジジイ」と言うのが聞こえていたのだが。
 しかしそんなギアッチョを嘲笑うかのように。

「…………」

 クスクスと忍び笑ったのは名前だった。彼女は堪えきれないと無邪気に肩を揺らし、視線を集めた。

「……何がおかしい」

「だって、……ねぇ?」

 低く唸るような声だった。喉の奥で雷鳴が轟いていた。そんな具合であるのに、名前はちっとも気にしていなかった。
 彼女は訳知り顔でギアッチョを見返し、それから隣のプロシュートに耳打ちした。彼は彼で名前がそうしやすいように軽く身を屈めていて、それはもう見事な連携としかいいようがなかった。まるで事前に打ち合わせていたみたいだ。やはりこの二人と、それからペッシを組ませたのは正解だったなとリゾットはぼんやりと思った。今は『マンモーニ』と笑われる彼だが、きっと大成するだろう。
 そんな思考の外で、打ち明け話を聞かされたプロシュートは、繊細な顔立ちに相応しくない笑い声を立てた。豪快に、腹を抱えて。大笑いし、嫌な予感に顔を顰めるギアッチョを見た。

「お前……もう賭け事は止めた方がいいぜ。向いてねぇよ」

「なッ……テメェっ!!」

「あぁ!殴るのはよしてちょうだい、せっかくのご飯をひっくり返されたら堪んないわ!」

 ──せっかく堪えていたというのに。
 緒を切られたギアッチョは青筋を立てた。そして彼は直接の言葉を吐いたプロシュートではなく、恐らくは隠していたことを詳らかにした(らしい)名前に怒りを向けた。いや、向けようとしたのだが──その拳が届くことはなかった。
 名前の言葉にギアッチョはぴくりと拳を止め、苦虫を噛み潰しきった顔で「クソッ」と唾を吐いた。それでも意識はテレビの向こうにあって、彼はナイフとフォークを使いながら苛立たしげにコーダ・アッラ・ヴァッキナーラを貪った。

「……可哀想に」

「うっせぇ!!」

 プロシュートは青年を哀れみ、それから名前と顔を見合わせ肩を竦めた。

「まったく、うちのペッシだって今日は外で楽しんでるってのにな」

「あの子は賭けに負けたからって『おいた』をするような子じゃないもの」

 大のサッカー好きであるホルマジオは勿論のこと、年若い彼もこういう日ばかりは兄の元を離れ、同じ年頃の若者とスタジアムだかスポーツ観戦できるバーだかに足を運んでいる。
 だからきっとギアッチョだって本当はそうしたいところなのだろう。けれどその思い通りにはならない退っ引きならぬ事情が彼にはあるらしい。
 ──きっと賭けに負けてどこぞで喧嘩でもしたんだな。
 リゾットは彼らの会話からそう見当をつけた。周知の通り、ギアッチョはキレやすい。おまけに話題がサッカーときたら手がつけられない騒ぎになることは必至。一般人だって勝敗によっては暴動を起こすくらいだ。そこに金の問題まで絡んできたらどうなるか。たぶん騒ぎのせいで出禁を食らったか、負け分の金を滞納しているか、……あるいはその両方か。
 ──それにしたって情報の早いことだ。
 外野のリゾットは感心するが、当事者のギアッチョとしてはたまったものではない。「なんでテメェが知ってんだ」威嚇するような声で呟く彼に、名前は「あら」と片眉を上げた。

「私の交遊関係の広さを知らないの?」

 その声はどこか得意気だった。
 事実『その手』のことに関しては名前以上の女はいないだろう。彼女は意識的か或いは無意識的にか、人の心を籠絡するのに必要なものをすべて兼ね備えていた。名前の前ではどんな偏屈な老人も口を開かずにはいられなかった。
 それから名前は指折り数えた。売れない文学青年。噂好きの有閑婦人。公園に屯する画家崩れ。昼間から酒を飲んでいる不良警官。庭師や精神科医、教師に弁護士、果ては信託会社のお偉方まで。向かいに住む男女の喧嘩の原因から、この町から選出された議員が最近首ったけになっている娘のことまで、この町で名前の知らない話題はひとつもなかった。
 それは時間を持て余す老婦人たちに似ていて、ギアッチョは「暇人が」と小さく毒づいた。それは思わずといった風であったけれど、地獄耳が逃すことは万にひとつもない。
 名前は「へえ?」と意地悪く口角を上げると、彼の前に置かれた皿を自分の方へと引き寄せた。それは牛テールの煮込みで、半分以上はギアッチョの腹に入っていたけれど、年頃の青年にとってその減給は辛いものだった。

「オイッ!」

「嫌よ、返さない。だってこれは『お話を聞いてくれたから』って、お礼にお肉屋さんから貰ったものだもの。……そう、『暇人の』私がね」

 だから反抗的な者には施しなどくれてやらない。名前は言外にそう言って、ギアッチョは言葉に詰まった。そして不承不承ながら彼女の功績を讃えた。悪かった、お前には助けられてる。そうした言葉を戸口が擦れるような具合でギアッチョは口にした。
 けれど名前にはそれで充分。「最初からそう言えばいいのよ」にっこりと笑って、その上ギアッチョの皿にはおかわりを装ってやった。

「本当に頼りになるのよ、オールド・パシーズ──老猫たちっていうのは」

 名前は意味ありげに言ったけれど、当のギアッチョには通じなかったらしい。ついでにプロシュートも。彼ら二人は何を言っているのかという顔である。
 だがリゾットには彼女の言いたいことがなんとなくわかった。というより、ぼんやりと思い出していた。オールド・パシーズ。そう呼ばれた女探偵がいたことを。そういった女たちだからこそ知っている情報だってあるのだと名前は言いたいのだ。
 けれどリゾットがそれを口にすることはなかった。リゾットはトマトとモッツァレラチーズのサラダを食してから、名前の名を呼んだ。

「明日はメランザーネ・チャールストンが食べたい」

 リゾットへと集まる視線。三人は呆気に取られた顔をしていた。しかしいち早く立ち直った名前はやはりはにかみを含んだ微笑を浮かべた。それでリゾットはすっかり満足して、勘定書の束を一時忘れることができた。