追憶1


 スコッチの遺体は内々で処理された。だから彼の身体が海にあるのか地にあるのかも僕は知らない。彼の部屋も早々に引き払われた。形見分けなどもちろんなく、彼はその身の一片に至るまで殺されてしまった。残ったのは記憶だけ。それもいずれ遠ざかっていくのだろう。
 感傷に浸る暇はなかった。スコッチが公安のスパイと知れて、組織内はピリピリとしていた。薄氷。小さなミスすら命に関わる、そんな時期だった。僕はスコッチの遺志を継がねばならない。二人分の思いが支えだった。だからライ――赤井秀一への憎しみは当たり前のものであったし、必要なものでもあった。そうやって、僕はバーボンであり続けた。
 スコッチが亡くなった後もバーボンとしての仕事はひっきりなしにやってくる。その内の一つに名前と二人きりの任務があった。それを知らされた時、一番に思い浮かんだのはスコッチのこと。彼女は、名前はスコッチを随分と慕っていた。その彼がスパイだと知って、名前は何を思ったのだろう。スコッチ亡き後、彼女とは会っていなかったから、僕はいくつかの想像をした。スパイに心許したことをどの位悔やんでいるかとか、スコッチへの憎しみはいかほどなのかとか。つまるところ僕は彼女が憎悪を抱いていることを前提としていた。
 だから、驚いた。

「あなたはスコッチがどこにいるか知ってる?」

 名前は以前と変わらぬように見受けられた。相変わらずの無表情。ベルモットより淡いプラチナブロンドを風に靡かせ、琥珀色の瞳を揺らすことなく任務を遂行した。
 その帰路で、名前は不意に訊ねてきた。スコッチの居場所を知ってるか、と。
 「彼は死んだじゃないですか」彼女は一件を知らないのか。はたまた精神に異常をきたしたか。その疑念は直後に否定された。「そういう意味じゃない」名前は景色から僕に視線を移した。その瞳はやっぱりさざ波一つ立っていなかった。

「彼の体がどこにあるかという話をしているの」

「さぁね、海の中か土の下か、はたまたコンクリート基盤になってるか」

 努めて軽薄に振る舞った。痛む胸は無視した。想像したくはなかったから、頭では別のことを考えた。今夜の夕食はどうしようか。肉か魚か、そう考えて、吐きそうになった。
 そんな僕を現実に引き戻したのは名前だった。「じゃあ日本には帰せないんだね」今日初めて、彼女は表情を変えた。落胆。肩を落とし、眉尻を下げていた。

「スコッチがよく聞かせてくれたの。日本の話、仕事で行った時は見れなかったけど、桜がとてもきれいだって。忍者の話もしてくれた。今度日本に行くことがあったら会わせてくれるって。だから私、彼を日本に帰してあげたくて」

 名前は遠くに目を馳せる。だから僕は言ってやった。「……彼は、裏切り者だ」けれど彼女は首を振る。

「彼が私に多くのものを与えてくれたのは真実だから」

 名前は続けた。「私にとって彼は父であり兄であり師であり友だった」唯一の存在だった、と彼女は言う。
 僕は「そう」とだけ返した。ハイウェイのずっと先だけを見ていた。
 言うべきことはいくつもあった。彼女を注意することもできたし、脅すことだってできた。しかし僕はそのいずれもしなかった。僕にはもう、助手席に座る彼女が組織の犬には思えなかったのだ。
 だから日本に行く機会を得た時、名前を連れていくことにした。彼女を利用するために。スコッチが人間にした彼女なら、と僕は期待したのだ。