ギアッチョ√【ありえない話】


原作後。暗殺チームでギアッチョと夢主だけ生き残っていたら。
ギアッチョは新パッショーネで働いています。





 名前の手首に軽く触れ、それからジョルノは口を開く。

「ああ、これは折れてますね。病院に行った方がいいでしょう」

 セミの鳴き声の煩わしい、夏のある日のことだった。
 ボスの事務室を訪った名前に、開口一番、ジョルノは「どうしたんです?」と訊ねた。名前が右手首を庇っていることなど、すっかりお見通しだったのだ。痛みの原因が骨折によるものだというのも、彼には少し触れただけでわかってしまった。

「いったい何があったんです?家庭内暴力ですか?」

「いえ、そういうのではないのだけど……」

 冗談とも本気ともつかない問いに、しかし名前は言葉を濁す。
 もちろん、家庭内暴力などというのは独り暮らしの名前にとって可能性のひとつもない。真実を明かすのに躊躇いを覚えたのは、怪我の原因があまりに下らない──恥ずかしいものだからである。
 ただそれだけの理由で、名前は目を泳がせた。

「あの、本当になんでもない……事故だったの。私の不注意で、ちょっとバタバタしてて、それで……」

「──なるほど」

 けれど、ジョルノにはそれだけで見抜かれてしまう。

「税務警官の抜き打ち調査に巻き込まれましたね」

「どうしてわかるの!?」

「あなたがいつも使う道は知っていましたから」

 にっこり。微笑むジョルノは完璧だ。完璧な、一枚の絵画。超然とした、神々の世界。そんな風に思われて、些か強引な理由にも納得できてしまう。アルファであり、オメガである。そんなジョルノなら世界の終末まで見透かせるのかもしれない。
 なんて空想に逃げてみるが、つまるところは。……恥ずかしいからと言葉を濁したが、そんな抵抗は無意味だったというわけか。
 そこまで考えて、名前は「あはは……」と乾いた笑い声を洩らす。どうせバレてしまうなら、最初から正直に話していた方がよかったかもしれない。
 そう思い、口を開く。

「そうなの。ほら、物売りの人たちって逃げ足が速いでしょう?おまけにあの通りは道幅も狭いし、それで騒ぎに驚いた旅行客の人が転びそうになって……」

「で、助けようとしてあなたの方が転んだ、と」

「……自分を過信しすぎたみたい」

 もう笑うしかない。こんなことで骨折までしてしまうなんて。
 苦笑すると、ジョルノは優しく笑んだ。

「しばらく安静にしてください。治るまでは仕事もおやすみということで」

「そんな……」

 ……そこまでの気遣いを、以前のボスならしてくれただろうか?
 ──否。絶対に、一顧だにしなかった。ジョルノの優しさはこちらが申し訳なくなるくらいである。単に仕事の効率を考えているだけかもしれないが、休みを設けてくれたのは事実だ。
 だから名前は背筋を伸ばし、「ありがとうございます」と頭を下げた。すぐさま「そんな畏まることじゃない」と顔を上げさせられてしまったが。

「ともかく氷で冷やして、病院へ……」

 ジョルノがそこまで言った時だった。

「オイッ!ケガしたってのはホントかッ!!?」

 破りかねない勢いで開く扉。足音荒く室内に踏み込んだのはギアッチョだった。
 彼は名前が呆気に取られているうちに距離を詰め、その顔をグッと持ち上げた。ジョルノはいつの間にか窓際まで避難している。「氷係が来ましたね」なんていう、淡々とした呟きを残して。

「あの、ギアッチョ……?」

 困惑を露にするのは彼の怒声に怯んだからではない。どちらかというと短気な質の彼が怒鳴り声を上げるのはしょっちゅうだ。今さら、そんなことで驚いちゃいられない。
 名前が気になったのは彼の顔色。赤とも青ともつかないその色と、自分の体をためつすがめつ眺める視線に、戸惑いを感じていた。

 ……ギアッチョのこの反応は、まるで私が全身を複雑骨折でもしたみたい。

「私が骨を折ったのは手首だけなんだけど……」

「手首を折ったァッ!?」

「う、うん……?」

 安心させようと。そんなつもりで真実を口にした。
 だというのにギアッチョはますます顔を歪める。ちょっと、大袈裟すぎないだろうか。元々は下らない──ただの不注意からくる怪我だというのに。

「でもそんな……、酷く痛むわけでもないし、私がドジ踏んだだけだし、」

「そんなの関係ねぇだろ!」

 ギアッチョが怒鳴るたび、窓ガラスがピリピリ震えている気さえする。いや、もしかすると実際その通りなのかも。
 名前の視界の隅で、ジョルノが窓を気にするのが見えた。……なんだか、すごく申し訳なく思えてくる。

「早いとこ病院に連れていってさしあげたらどうですか」

 そんな助け船にも呆れが滲んでいる、ような……。

「わかってるわ、そんくらいよォ!」

 なのにギアッチョは相変わらずだし、それどころかジョルノに対しては睨みさえ添えている。噛みつかんばかりの張りつめた空気だ。それはもう、肌が痛むくらい。

「ぎっ、ギアッチョ!」

 名前は慌てて、彼の袖を引いた。
 仲間の死に関して、ジョルノたちへわだかまりが残るのはわかる。名前自身、折り合いをつけるのには結構骨が折れた。
 でももう言っても栓のないことだ。ジョルノを責めたって、仲間たちは帰ってこない。だから彼らとも上手く付き合っていく必要がある。ここで問題を起こすわけにはいかない。

「やっぱり病院行きたいから、付き添ってくれると嬉しいなぁ、なんて」

 そんな思いで、ギアッチョを見つめる。

「……チッ」

 すると、願いが通じたのか。
 舌打ちをしながらではあったが、ジョルノを睨むのはやめてくれた。尤も、不承不承というのを隠しもしないが。
 ……ジョルノはどうだろう。気分を害してはいないだろうか?
 気にかかり、様子を窺う。

「…………、」

 しかしジョルノは何やら物思いに耽っている。だが名前の視線に気づくと、すぐに目元を和らげた。

「お大事に。……くれぐれも、お気をつけて」

「……?はい、お気遣いありがとうございます」

 言い含めるような、そんな物言い。ジョルノの言い方が気にならなかったといえば嘘になる。
 けれどギアッチョに「早く行くぞ」と急かされ、訊ねることは憚られた。
 ……今度、また。機会があれば、ジョルノに聞いてみよう。どうしてそんなに気にかけてくれるのか、って。

 ──そういえば、怪我のことをギアッチョはどこで知ったのかしら?





「ありがとう、本当に助かったわ。買い物まで手伝ってもらっちゃって……」

 名前が現在住む、独り暮らし用のアパートメント。送り届けると、彼女は寛いだ表情で笑う。だからこそ白々と光るギプスがなおのこと痛々しく映った。
 なのに名前は忙しなく働こうとする。

「あなたが来るんならもっとちゃんと掃除しておけばよかった」

 なんて、照れ臭そうに言って。テーブルに置かれたままの本なんかを片付けようとするから、ギアッチョはすぐさま止めに入らなければならなかった。
 これでは本末転倒だ。だがイタリア人の多くは掃除好きである。例に漏れず名前もそういった性格だから、客人の目が気になったのだろう。わからなくはない。ギアッチョも、室内が片付いていないと落ち着かないタイプではある。
 が、それはそれ。怪我が治るまでの間くらいは大人しくしているべきだ。

「いいか?絶対掃除なんか始めるなよ?おめーはじっとして、ベッドで寝てりゃあいいんだ」

「それってどんな重病人?だいいち、ご飯は作らなくちゃ飢え死にしちゃうわ」

「出来合いのもんくらいあるだろうがよォ〜!」

 なのに名前ときたら!ちっとも言うことを聞いちゃくれない。どれほど心配したか──ジョルノ・ジョバァーナとの会話に肝が冷えたことか!懇々と言って聞かせたいところだが、ギアッチョは寸でのところで飲み込んだ。
 ……盗み聞いていたとバレたらバレたで面倒だ。名前は何も知らず、呑気に笑っていればいい。気の抜けた顔を眺めて、ギアッチョは思う。──たぶん、幸福とはこういうことを言うのだ。

「チッ、仕方ねぇからオレが作ってやる」

「そんな、悪いわ」

「悪いと思ってんなら早く治せ」

「……はーい」

 名前の肩を掴み、半ば無理やりソファに座らせる。少し、不満げな顔。手を離す時、指先がブロンドを掠めた。南ではあまり見かけない、純正の金。それがすり抜け、首筋に落ちる。
 きれいだ、と思った。手が届かないからこそ美しい。空が蒼いのと同じで、だから遠くから見守ることができればそれでよかった。
 でも、それは間違っていたのかもしれない。
 日常の、こんな些細な出来事にだって、危険性は孕んでいる。いつ何時、命が奪われるか。……考えると、臓腑が冷える。同時に、恐ろしく固い棺の中、横たわる彼女を想像した。──もう、葬式はごめんだ。

「でもこんなに至れり尽くせりだと、独り暮らしに戻れなくなりそうね」

 そんな考えを後押しするみたいに名前が言う。
 ギアッチョは「そうかもな」と答え、背を向ける。……戻れなくなればいい、と思う。元の暮らしなんか忘れて、二人きりが当たり前になればいい。

「明日も来るからな。無茶しないように見張っとかねぇと」

「あはは、怖いなぁ」

 名前の小さな笑い声が、小さな部屋の中にだけ反響した。