そこで、人はいきものとなった
「アキくんの手料理が食べたい気分だなぁ」と言ったら、顔を顰められた。酷い。なにもそんな、『面倒だ』って感情を全面に出さなくても。
「家族団欒に混ぜてほしいだけなのに」
だから名前は大袈裟に悲しんでみせる。目許を拭う真似をして、それでもアキの顔色が変わらないのを窺い、溜め息をひとつ。
「いいお肉持っていこうと思ったのになぁ」
ちらり。上目で見ると、それでようやくアキも一考の仕草。顎に手をやって、「今夜はすき焼きだな」恐らく今その頭に浮かんでいるのは自宅の冷蔵庫であろう。早川アキという青年は、その生き方以外では器用な人間なのだ。だから料理もうまい。
「やった。じゃあ足りないものあったら連絡ちょうだい」
「わかりました。じゃあまた」
「うん、夜に」
手を振って、別れる。
すらりと伸びた背。高く結んだ黒髪が揺れるのを、名前は見送る。アキくんは、いい人だ。優しくて、親切。冷徹になりきれない、不器用なひと。
姫野ちゃんが好きになるのも納得だ。名前はぼんやりと思う。アキくんを見ていると、何故だか放っておけない気持ちになる。恋とは、またちょっと違うのだろうけど。
早川アキの住まうマンションの一室。チャイムを鳴らすと、出てきたのはデンジだった。
彼の心臓は悪魔のもの。人間だけど、悪魔にもなれる。そんな彼の首輪として選ばれたのがアキだ。だから今、デンジはアキと一緒に暮らしている。
「あれ、あんた……」
「あら、アキくんから聞いてない?今晩お邪魔するって」
「聞いてねぇ」
デンジは頭を掻く。しかしその目も名前の持つビニール袋の中身を知ればたちまち輝き出す。
「肉ッ!!」
「そうそう、新鮮なお肉の差し入れですよォ〜」
牛肉を抱き締めたデンジは今にも涎を垂らさんという勢いだ。食い意地が張ってるのか、よほど空腹だったのか。何にせよ、素直な反応が微笑ましい。
「おい、いつまで玄関で喋ってる」
「アキくん、」
そうこうするうちに家主がやってくる。両手をタオルで拭いながら、「早く入れ」と室内を指し示す。
家主にこう言われては仕方あるまい。食材はデンジに任せ、名前は靴を脱ぐ。
「お邪魔しまぁす」
家の中は整然と片付いていた。以前名前が訪れた時と変わらない。真面目で几帳面な家主の性格を反映した、部屋。どこかよそよそしく、寂しい空気。
「でもなんで肉くれたんだ?」
けれど今はここにデンジがいる。彼がいる、それだけで賑わい、彩りが増す。曇り空、その合間から差す日の光。名前は笑って、デンジの肩に手を回した。
「そりゃあキミ、デンジくんを歓迎するためだよ」
「俺ェ?」
「あはは、そりゃキミしかいないでしょ。まぁ新人みんなを集めたのはまた別の機会にやるだろうけどね」
最初は驚き、首を捻っていたデンジだったが、やがて「そういうもんか」とひとり納得する。しかし至近距離にいる名前は見逃さない。その口許が緩んでいることに。
だから名前もそっと笑む。やっぱり可愛い子だ。肉のひとつやふたつで喜んでくれるなんて、素直でかわいい。
「またデンジに絡んでるんですか」
「私、弟ほしかったんだよねぇ」
台所に立つアキに、「手伝おうか」と声をかける。が、「おとなしく座っててください」と追い返され、名前は肩を落とす。
どうしてこうも信用がないのか。特別料理がヘタってわけでもないのになぁ。そうぼやくが、アキには届かない。命じられた通りおとなしく、デンジの隣に腰を下ろす。正面に置かれたテレビからは、アナウンサーやコメンテーターのお喋りが流れていた。
「これ、面白い?」
「んー……、よくわかんねぇや。ずっと美味いメシとかツラのいい女映しといてくれたらおもしれーのかも」
「そう言うデンジくんの方が面白いよ」
公安では見かけないタイプだ。新鮮で、愉快。発展途上の少年。未来はまだ、わからない。
「私はねぇ、やっぱり教育テレビだなぁ。幅広いジャンルの映像が見れるし。知らない街とか人とか、それこそ食べ物とかね。見てると自分の頭が良くなった気にさせてくれるし」
「ほーん」
「……マキマさんも賢い人が好きじゃないかな」
名前は「ちょっと失礼」と言い置いて、チャンネルを回した。途端、画面いっぱいに溢れ出す、無邪気な声、声、声。子供たちが歌い、踊る。
「なるほどねぇ」その光景を、デンジは食い入るように見つめた。「マキマさんもこーゆーの見てるのか」さすがに、お母さんと一緒は『ナイ』だろうけどね。さっきまで興味の薄い目をしていたのに、デンジくんってばホントに単純。
「デンジくんはマキマさんのことが好きなんだね」
「まァな」
「私もマキマさんのこと好きだよ」
私も、アキくんも、マキマさんのことが好き。だけど私たちはそれ以上を願わない。踏み込もうと思えない。
でも、デンジくんは違うらしい。情欲の気配。夢見る瞳からそれを感じ取り、名前は笑みを深める。だからデンジくんがいい。だから、デンジくんじゃなきゃダメなんだ。
「だから、協力するよ。キミとマキマさんがうまくいくように」
にっこり。満面の笑みを浮かべて、名前はデンジの顔を覗き込む。目を白黒させる少年の顔を。
「え、マジ!?マジで?え〜……なんで、」
「あぁ、それはね……」
答えかけたところで、お肉のいい匂いがしてくる。
「できましたよ」
「おぉお〜!」
出来立てほやほやのすき焼きの登場に、デンジは両手を挙げる。色気に食い気。本能に忠実な子だ。名前には外見年齢よりもずっと幼く映る。
「なんで子供番組なんか見てるんですか?」
「うーん……情操教育、かな?」
「はぁ……?」
勝手知ったる家のなか。せめて配膳くらいは、と食器を並べていると、テレビに目をとめたアキに首を傾げられる。そんな彼はわけがわからないといった顔。デンジも名前も、番組の対象年齢からは大きく外れている。
でもアキがそれ以上言うことはなかった。テレビの内容に特別な興味はないのだろう。「七時になったらニュースに変えていいですか」と真面目なことだけを要求する。家主は彼なのだから、わざわざお伺いを立てなくともいいのに。
「久しぶりに見たな、これ」
野菜と肉をバランスよく取りながら、アキはテレビを見やる。僅か、細められた目。昔を懐かしんでいるのだろうか。彼の家族はみんな、銃の悪魔に殺されたと聞く。
デンジは「俺ぁ初めてだぜ!」と言いながら、優先的に肉を貪った。英語を学ぶ番組に切り替わったテレビ。相変わらず子供向けのそれを、デンジは眉間に皺を寄せて見ていた。
「ずいぶん難しいことやってんだなぁ!」
「お前がバカすぎるんだよ」
「あはは、デンジくんにはいい勉強になりそうだね」
それにしても、物を知らなすぎる。年齢を聞けば「十六」だと言うが、その歳なら普通、英語の授業くらい受けた経験があるのではなかろうか。
不思議に思うと、デンジはあっさりと答えをくれる。
「俺、学校行ったことねーし」
「ありゃ、それなら私と一緒じゃん。仲間だ、仲間。イエーイ」
「イエー!」
なんだ、そういうことか。
思わぬ発見に、デンジと両手を打ちつけ合う。それを見るアキの手は止まっている。見開かれた目は、信じられないものを見るかのよう。
でも残念ながら嘘じゃない。一般常識を知るより先に、悪魔の狩り方を学んだ。そうでなければ生きる道はなかった。名前はマキマの冷え冷えとした夜の瞳を思い出す。
──これが最善であったと、今でも信じている。
「デンジくん、そのお箸の持ち方じゃ食べにくくない?」
「食えりゃあいいんだよ、食えりゃあ」
「でもマキマさんは食べ方もきれいだよ」
「そりゃあマキマさんだからなぁ!……って、お、おぉ?」
名前はデンジの後ろに回り、「こう持つんだよ」と彼の手に指を走らす。
なんだか本当に弟ができたみたいだ。目を泳がせるデンジを見つめ、名前は思う。
──やっぱり、デンジくんがいい。この子には可能性がある。この子なら、マキマさんを変えられるかもしれない。……きっと、デンジくんなら。
そうであってほしい、と名前には願うことしかできなかった。