何がジェーンに起ったか?
エンドロールが終わり、館内は明るさを取り戻す。眩しさに目を瞬かせていると、隣に座る少女がほうっと息を吐いた。
「いい映画だったね」
どの映画にも使えそうな賛辞。たぶん、どんなB級映画にだって同じような感想を持つのだろう。いい映画だった──果たしてそれは本当に彼女自身の感情なのか?横目で見た双眸は果てしなく、底が知れない。
「そう?まぁ確かに悪くはなかったけどさ」
「歯切れの悪い言い方だね」
「俺はああいう女の子、好みじゃないからね」
お節介焼きで傲慢な、世間知らずのお嬢様。そんな主人公が周囲の支えで成長し、最後にはハッピーエンド。彼女のお陰で傷ついた人たちも彼女を責めることはない。何だかんだですべてがきれいに収まる。
ようするに、主人公に優しい世界なのだ。俺にはそれがご都合主義に思えて、見る目もつい厳しいものになる。
しかし名前にとっては満足のいく結末だったらしい。彼女は帰り支度を整えながら、「可愛いじゃない」と笑う。
「まだまだ若いんだもん、あれくらいの間違いは当然だよ。何よりとびきりチャーミングだし」
「そりゃ人間贔屓がすぎるよ」
彼女の後に続いて劇場を出ながら、俺は考える。名前。公安のデビルハンターで、マキマさんの飼い犬のひとり。俺が岸辺さんから聞いているのはそんなところ。彼は多くを語らなかったし、俺も深くは訊ねなかった。
「贔屓したくもなるよ。あの二人ほど一対として相応しいものはない。主による結びつきとしか思えないもん」
──それでも、察するものはある。
「じゃあやっぱり憧れたりするわけ?ああいうのに」
ホワイエを歩きながら、冗談めかして聞いてみる。映画館の薄暗がりのなか。仄かな光の元、浮かび上がる姿。
名前、同じくらいの歳の頃の少女。純粋無垢という役割を与えられた、もの。
彼女は悪戯っぽい笑みを浮かべて俺を仰ぎ見る。「なに?やってくれるの?」光の瞬く瞳。この目で見つめられると何でも言うことを聞きたくなる。……の、だろう。
わかっていても、心はぐらつく。さすがだ。という称賛は、心のうちに留めておくことにした。まだ深入りする段階ではない。
俺は薄い笑みを刷いた。
「うーん、一介の高校生にはちょっと難しいかなぁ」
「そう?キミならなんでもできそうだけど」
「さすがに過大評価。イギリスまで行くのだってハードル高いって」
「それを言うなら私だって。……や、私の方が難しいかな」
少し、寂しげな微笑。……意外だ。彼女くらいになるともっと自由が利くものかと思ってた。だけどそんな彼女でも海を渡るのは難しいらしい。
『いい映画だったね』──その言葉が、先程とは異なる響きを持つ。憧憬や諦念といったものの、音。
けど俺に無責任な言葉は吐けない。期待を持たせる方が酷なことだってこの世界にはあると俺は知っている。
「それよりさ、この後は時間ある?」
映画館を出ると、世界はこんなにも輝いていたのかと思い知らされる。抜けるような快晴。手の届かない青空に、名前は目を馳せる。そんな彼女の顔を、今度は俺が覗き込んだ。
瞬間、驚きが閃く目。それはやがて緩み、弧を描く。
「ないけど、……ふふっ、ナンパでもしてくれるのかな?」
「俺でよければ、ね」
「吉田くんって自分に関しては過小評価ぎみなんだね、意外」
「そんなの初めて言われたよ」
「なら誰かが嘘をついてることになるね」
名前は「いいよ」と答えて、俺の腕に手をかけた。
「キミに任せる」
端から見たら学生カップルの平凡なデート風景に見えるんだろうか。俺を見上げる名前に、そんな考えがふと過る。きっと、デビルハンターとは思われまい。……なんて、滑稽な考えが。
「これって結構信頼されてるってことでオッケー?」
「吉田くんのことは嫌いじゃないよ」
そうは言うけど、マキマさんに命令されたら彼女はあっさり俺を殺すんだろうな。その時に、ちょっとは悲しんでくれるかもしれないけど。
「ならお茶でもしていこうか。アンタって嫌いなものとかある?」
「そうだなぁ……うん、人肉以外なら何でもいいよ」
「それ、デビルハンター流の冗談?」
「いや、キミってそういうの好きそうだなぁと思ってさ」
「はは、どんなイメージだよ」
まぁ、間違っちゃいない。でもひとつ言うなら、そう。
「どっちかっていうとそういう化け物を退治する、爽快アクションものの方が好きかな」
言いながら、それは現実で済ませればいい話じゃないかと思い直す。この世界はゾンビランドほど落ちぶれちゃいないが、化け物なら腐るほどいるのだから。
しかしその点には触れず、名前は「本当に?」と返してくる。どこか疑わしげな目。
「そんなキミがおすすめする去年の映画は?」
これはなんのゲームだろう。それとも心理テストの類いか?
何にせよ、答えは決まってる。だって、嘘をつく理由はないのだから。
「『セブン』は面白かったな。正直、ああいう終わりは想定してなかった」
せっかく答えてあげたのに、名前は「ええ〜……」と不満顔。「あんな悲しいのは嫌だよ」フィクションの中でくらいはいい夢を見たい、ということだろうか。
そんな彼女のおすすめは『いつか晴れた日に』らしい。なるほど、納得のチョイス。そりゃ『エマ』にも満足するわけだ。
「『ジュマンジ』もよかったなぁ。笑いあり、涙あり、娯楽っていうのはああいうもののことだよね」
「それなら『ツイスター』もよくない?序盤は冗長だけど、巨大竜巻が現れてからは最高だ。アンタの好きなハッピーエンドだし」
「だけど予定調和って感じじゃない?ああなるのは最初から察しがついてたでしょ」
「まあね、あれはバレバレだった。予想外っていったらやっぱり……」
そこで俺たちは顔を見合わせた。大都会の街並みの中、人々が俺たちの周りをすり抜けていくけど、そんなことはどうだっていい。所詮は見知らぬ他人だ。
俺と名前は声を合わせて、たったひとつの名前を呪文のように唱えた。──『ユージュアル・サスペクツ』と。
「でも『ヒート』も好き。あの別れ際のシーン、すっごくきれいだった」
「わかるよ。まぁ俺としちゃああの映画は銃撃戦がメインだけど」
「あはは、さすがに私もそれは否定できないなぁ。実銃じゃなきゃあの迫力は出なかったし、だからこそあれだけ作品が評価されたんだしね」
今の名前は心から楽しげだ。底が知れないと思った瞳も、ただひどく透き通っていただけだと俺は知る。……きれいだとさえ、思った。
「アンタ……いや、名前がこんなに話のわかるヤツだとは思わなかったよ」
「私も。吉田くんがこんなに親しみやすい人だったなんて」
「名前でいいよ。俺の名前……知ってるでしょ?」
名前は「気が向いたらね」と笑う。
今度は駆け引きか。俺は「そっか」と頷きながら、考える。
他人に振り回されるのは好きじゃない。でも、名前には興味がある。今日気紛れに声をかけたのもそのためだ。岸辺さんに紹介された時から──そして今ではその時よりも、ずっと。
「それじゃあ次はおすすめの映画で鑑賞会でもしようか。また連絡するから、番号教えて」
「え?」
「気が向いたらって言ったでしょ。だからもっと仲良くなろうかと思って」
俺がにっこり笑うと、驚きの過ぎ去った名前も口許を緩めた。思わず、といった調子で。笑って、「仕方ないなぁ」とメモを書いて、「でも光栄だよ」と目を細める。そこには当初あった警戒の色はない。
そのことが、思いの外俺の心を軽くした。