ハイド・アンド・シーク
そこは牢獄だった。公安のデビルハンターによって捕らえられた、悪魔たちの収容所。陰気な気配に支配された空間は、さながら牢獄としか言いようがない。
そんなところにいたせいか、ビルを出ると途端に眩しさが目を焼く。何の変哲もない日差しが、いやに刺激的だ。アキは目を眇め、そこでようやく仁王立ちする少女を見つけた。
「名前?」
年下の先輩。間の抜けた笑顔の似合う彼女が、今は見たことがないくらい険しい顔をしている。殆ど睨むような目でアキを見つめ、歩を進めた。
驚き、立ち尽くす。その間にも、名前はどんどん距離を詰めてくる。三メートル、二メートル、一メートル……、そして、鼻先が触れるほどの距離で、ようやく名前は足を止める。
「……契約、したんだね」
射抜く目、射竦める声。名前は確信に満ちた調子で言う。
「未来の悪魔か」彼女にはアキの目に住まう悪魔さえ見えているらしい。すべてを見透かす目で言い当て、名前は眉根を寄せる。──これは、怒っている時の顔だ。
「悪かった」
反射的に謝罪の言葉を紡ぐ。と、ますます眉間の皺が深まった。
「……どうしてアキくんが謝るの」
「それは……あんたが怒ってるから」
「でもアキくんは私が止めたって契約したでしょ」
「…………」
何も答えられない。否定も、肯定も。彼女に嘘はつきたくなかった。
名前は「やっぱり」と言って、小さく笑う。その目に浮かぶのは諦念。怒りは消え失せ、後に残るのは晩秋に似た落莫たる気配。
「それなら謝らないで」
「……謝られたって、嬉しくない」と。かそけき声で呟いてから、名前は首を振る。
「……ごめん、今のは八つ当たりだった。アキくんに言っても仕方ないのにね」
口許にのぼる仄かな笑み。それを消して、名前は見上げてくる。
「でもね、アキくん、」その眼差しも、声音も、痛々しいまでに固い。触れれば壊れる砂の城。やがては朽ちて地に還る、落葉にも似ていた。
「やっぱり私、キミには無茶、してほしくない。……これ以上、命を削ってほしくなかった」
「……ごめん」
「それは何に対して?」
「俺は、あんたの願いに応えられないから」
けれどだからといって何ができただろう?アキはできうる限り淡々と答えながら、考える。俺が名前のためにしてやれることなど、何もない。仮初めの約束すらこの口では紡げない。慰めにすら、なりやしない。
名前は「……そう」と少しだけ寂しそうに笑った。
「知ってたよ、アキくんがそういう人だってことは。嫌ってくらい、知ってる」
太陽が隠れる。厚い雲に呑まれていく。燃えるようだった名前のブロンドも翳りゆき、やがては色をうしなっていく。褪せた瞳が、空虚に堕ちる。
「そんなに悪魔の力が必要なら、それなら、私が、」
「名前、」
名を呼ぶと、名前はぴたりと口を閉ざす。
名前、彼女の名字は知らない。生い立ちも、その心も。知らないし、知る必要はないとアキは思う。ただひとつわかるのは、彼女にこんな顔は似合わないということ。
──名前には笑っていてほしい。普通の、人間として。
「俺は、これでよかったと思ってる。このままで、いい」
だから続く言葉を封じた。はっきりと言葉にしてしまったら、見ないフリはできなくなる。名前を普通の仲間として扱えなくなってしまう。それはいやだ。自分の命を悪魔に捧げるよりも、ずっと。
強い言葉で、噛み締めように伝える。アキには確信があった。こう言えば、名前は拒まない。拒めない。
「……ひどい人だね、キミは」
予想通り。名前は苦い笑みだけをたたえて、引き下がる。
一歩、遠ざかる距離がその証だ。触れるには遠く、他人にしては近すぎる。この距離でいい。──このままが、一番いい。
それは、名前もまた理解していることだった。
「キミのことなんか、嫌いになれたらよかったのに」
「俺はあんたのこと、嫌いじゃないですよ」
「……残酷なことを言うね」
「キミはひどいひとだ」と名前は言う。言ってから、冗談めかした調子で「罪作りな男だよ、キミは」と言い直す。いつも通り、人を揶揄うのが好きな女の顔をして。名前は、笑っていた。
それが彼女なりの仮面であると気づかないほど愚かではない。わかっている、彼女が誰のために演じているかなんて。この考えが自惚れでないことくらい。わかっているから、気づかないフリをする。
それがお互いのためだと言い聞かせて、踵を返す名前の背中を見送った。できることなど、他には何もなかった。