2009.09


 高専に拠点を置いているとはいえ、術師は基本的に日本各地を飛び回っている。慢性的に人手不足なのだ。自然と出張も多くなり、いつからか仲間の分のお土産まで購入するのが常となった。仲間意識の強い灰原や真面目な夏油と七海などは、特に。
 反対に、五条は手ぶらで帰ることが多い。何か買ってきたかと思えばそれは自分用であったりなどが殆ど。天上天下唯我独尊を地をいく男。それが五条悟という人間である。
 そんな男が、山梨銘菓信玄餅を二箱もレジへ持っていったのだ。これには名前は思わず目を瞬かせてしまった。

「珍しいこともあるものですね。それともまさか2つともご自分用ですか?」

「んなわけないでしょ。お土産だよ」

「……人は変わるものですね」

 しみじみと呟く名前の手には七海や家入のために購入したジャムの缶詰がある。
 名前は彼らほどマメでも真面目でもなかったが、うち二人がいなくなってからは今まで以上に仲間というものを意識するようになっていた。
 だから名前としては五条のこの変化は好ましいものだった。正直なところ、ちょっとばかし感動していた。立派になって……などという感想はさながら母親の心境である。

「そーだ。ついでだし名前にも紹介しとくよ」

「はい?」

「東京帰ったあと時間ある?あるよね、オッケー。それじゃあ決まりだ」

「まっ、待ってください……、なんの話ですか誰を紹介するつもりですか、」

「それは着いてからのおたのしみ」

 だがしかし、真実は名前の想像の斜め上をいっていた。
 ニヤリと笑った五条に嫌な予感を抱きつつも新幹線に乗ること二時間。それから彼に手を引かれ、古い民家の立ち並ぶ道を歩き、やがてとある一軒家の前で足を止める。

「ここだよ」

「ここって……」

 まったく、身に覚えがない。というかこの辺りの家はどれも同じに見える。造りも年数も、纏う空気も。
 名前には区別がつかないが、五条にとっては違うらしい。彼は確信を持って、その家の呼び鈴を鳴らした。
 すると、軽い足音が響いて、ドアが軋みを上げながら開かれる。

「あっ!やっぱり五条さんだ!」

「おー、久しぶりだね津美紀。ナイスガイの五条さんがお土産を持ってきてあげたよ」

「わ〜!ありがとうございますっ!」

 現れたのは少女だった。まだ10にも満たないであろう、幼い娘。名前は少女と五条を見比べた。
 しかし、血の繋がりは感じられない。五条家の隠し子、という線は消えたといっていいだろう。彼女からは呪力も感じられなかった。
 努めて冷静に分析しようとする名前だが、少女の視界に己が入っていることには気づかなかった。どれほど意識が彼方へ飛び去っていようと、肉体は五条の後ろにある。少女に見つかるのは当然のこと。だというのにそれにも思い至らず思考に沈んでいたのは、名前が十分混乱していた印である。
 津美紀と呼ばれた少女は極めて純粋な目で名前を見つめた。見つめ、五条に視線をやり、そして少女らしい思考で答えに辿り着いた。

「お姉さんは五条さんのカノジョさん?」

「ちっ、違いますっ!」

 ──まさか、そんな、あり得ない!

 津美紀の無邪気な問いに、名前は大いに慌てる。
 何しろ名前は己を平凡な呪術師だと自認している。ごく普通の2級術師、そんな自分が特級で規格外で天才で最強の五条悟の恋人だって?冗談にしても許されることではない。精神的にも能力的にも釣り合いが取れていないのだから、と。
 要するに名前が顔を青くしたのは、五条が気分を害したのではと心配したためである。

「スッゲー慌てっぷりじゃん!」

 だがしかし、五条ときたら腹を抱えて笑うばかり。どうやら名前の狼狽えようがツボにハマったらしい。笑いどころがよくわからないが、女子高生みたいなものだろう。箸が転がっても愉快なお年頃なのだ。
 そんな彼は首を傾げる津美紀の耳に唇を寄せ、「今はまだ、ね?」などとホラを吹き込んでいる始末。

「五条先輩、あなたって人は……」

「なんだよ、未来のお嫁さん♡」

「……ご実家の方々が聞いたら卒倒しますよ」

 名前の家も代々呪術師を排出してきた。だが御三家などとは薄い繋がりしかない家である。その上己の術式すら完全に使いこなせていないでき損ないが、現代最強の呪術師の子どもを産み落とすという大役を許されるはずもない。
 名前は至極真面目にそう言ったのだけれど、最強無敵の五条悟には関係のない話だったようだ。彼は「俺のやることに口出しなんかさせねーよ」と不敵に笑う。
 実際、彼が己を曲げることなのないのだろう。そういうところは素直に格好いいと、名前は思う。自分にないものを持つ人に惹かれるのは、自然の摂理である。

「それで?津美紀さんとはいったいどういうご関係なんです?」

「え?気になる?気になっちゃう?」

「……その言い方には些か引っ掛かりを覚えますが、わざわざ私に紹介したいとまで言った理由については気になると言わざるをえません」

「うーん……、ちょっと固いけど、まぁいっか」

 津美紀の案内のもと、客間に通されると、名前は早速尋問に入った。これは少女がお茶を入れにいってくれている隙に済ませなくてはならないことだ。立ち入った事情があるなら、と名前が思ったのは間違いではなかった。
 聞けば、この家にはもう一人子どもがいるらしい。伏黒恵。そう名付けられた少年の、父方の名字が問題だった。

「なるほど、禪院の……」

「そ、でもあんな家に引き取られたら不幸しか待ってないからね」

 だから、と五条は言うが、しかしどこでそんな複雑な境遇の少年と知り合ったのだろうか?気になったが、それ以上踏み込むのはやめておいた。話したくなったら勝手に教えてくれるだろう。その点について名前は五条を信用していた。

「……また来てたのか」

 お茶を手にした津美紀と共に、件の少年が部屋に入ってくる。どうやらたった今帰宅したところらしい。
 まだ真新しいランドセルを下ろして、少年は溜め息をつく。いたいけな顔立ちに似合わない、大人びた仕草。何故だか年長者である名前の方が居住まいを正してしまう。
 ……尤も、この少年が真実禪院の才を受け継いでいるというなら、名前の側が畏まるのは当然のことなのかもしれないが。
 名前は緊張感に顔を強ばらせながら、少年に「はじめまして」と頭を下げた。「お邪魔しています」そう続けると、『本当にな』と言いたげに少年は目を細める。……ごもっともだ。名前としては返す言葉もない。
 しかし五条悟はそんなことでは怯まない。

「恵は冷たいなぁ。さすがの僕も傷ついちゃうよ。せっかくお土産持ってきたのに」

「別に、頼んでない」

「そんな悲しいこと言うなよ」

 五条悟の心臓は鋼鉄でできている。だから少年の素っ気ない返事にもめげず、勝手気ままに絡んでいく。『鬱陶しい』と書かれた顔が見えないのか。
 ……いや、見えないふりをしているだけなのだろうな。そう判断し、名前は尊敬の目を向けた。呪術師は、強い精神力がなければやっていけない職業だ。

「それじゃあ私、お夕飯の準備してきますね」

 津美紀が品のある所作で立ち上がると、五条もまたその後を追った。「僕も手伝うよ」「いえそんな……」二人の声が、客間から遠ざかる。

「…………」

「…………」

 残されたのは寡黙な少年と、人付き合いの下手な呪術師がひとり。
 最悪の組み合わせだ、と名前は内心で頭を抱えた。