五条先生とスカートの話


アニメ10話じゅじゅさんぽネタ。





 名前の予定はすべて把握している。任務の期間も内容も、プライベートの時間も、何もかも。頭に入っていたから、偶然を装って声かけることも、自宅へ連れ込むことも、五条悟にとってはとても簡単なことだった。

「も〜!可愛いジョークだってのに野薔薇ったらマジギレでさぁ〜……、危うくボコられるところだったよ。ま、ボコられないけど」

 リビングにて。腰に手を回しても、肩に顔を埋めても、名前は抵抗しない。コーヒーカップを片手に、「いきなりなんなんですか」と拉致同然に連れ去ったことへは眉を寄せるが、本心から嫌がっているのではないことは彼女の術式が発動しないことからも明白だった。
 そういうわかりやすいところは嫌いじゃない、と五条は思う。言葉ではなく行動で示してくれるから居心地がいい。呆れてみせることはあっても、最後にはいつだって受け入れてくれる。……そんな彼女は、嫌いじゃない。

「だからさ、可哀想な五条先生を癒してほしいなぁ、って」

「……ちなみに罪状は?」

「野薔薇のスカートを履いた」

 素直に白状する。……と、何故だか名前は天を仰いだ。

「それは……執行猶予もつかないでしょうね」

「ええ〜!そこまで?」

「普通はそうでしょう。だってあなた、男の教師が女子生徒の制服を着たんですよ?字面だけなら解雇ものです」

「でもほら、相手はGTG五条先生だからね?多少はね?」

「その点をプラスしても総合でマイナスです」

「え〜!!」

 サングラスを外し、お得意の上目遣いで名前の顔を覗き込むも、あえなく失敗。バッサリと切り捨てられ、五条は口を尖らす。……名前ならわかってくれると思ったのに。
 別に本当に傷ついてるわけじゃないし、慰めがほしかったわけでもなかったけれど、抱き締め返してくれない彼女には不満が積もる。折り重なったそれは、喉元を越え、五条の頬をも膨らました。

「けど名前は怒んなかったじゃん。ほら、高専時代にさ」

 学生時代にも似たようなイタズラをやった。当時は後輩を揶揄うのが面白かったから、その時は名前をターゲットにしたのだ。彼女が体術を習っている間に制服を拝借し、教室に戻ってきたところで本人にも披露してみせたのだ、と五条は記憶している。その時の彼女が呆れこそすれ、嫌悪の感情を示してはいなかったことも。
 今だって、「ああ……そんなこともありましたね」と呑気に相づちを打っている。名前の表情に深い感慨の色はない。昔と変わらず、嫌がる素振りも見せず。
 「そういえばよくお似合いでした。そもそも痩身ですし、足もおきれいでしたし」などと言って、むしろ女装の出来を褒めてくる。
 だから五条も奇妙な心地に陥って、「ありがとう……?」と目を泳がせた。名前は時々、真面目な顔をしてひとを口説くから、たちが悪い。当人にその自覚がないというから、なおさら。
 今回も何も考えていなかったらしく、「私は……なんというか、あまり拘りのないタイプですから」と淡々とした調子で言葉を続けた。

「誰が私の服を着ようが、まともな状態で返してもらえるなら気になりません。でもそんな私を基準にするのはあなたの今後のためにもよくないですよ。野薔薇さんや真希さんは年頃のお嬢さんなんですから」

 言い含めるような調子はまるで母親のよう。五条もつられて「はぁい」と聞き分けよく返事をしたが、内心では『やっぱこいつもブッ飛んでるな』と改めて思っていた。呪術師はある程度イカれてないとやっていけない仕事だが、常識人ぶってる名前だって十分《こちら側の人間》なのだ。

「もう……、ちゃんと『ごめんなさい』はしましたか?」

「うん、新品の制服とブランドものの服で手を打ってもらった」

「それは謝罪というより和解ですね……」

「結果一緒なんだしよくない?」

「野薔薇さんがそれでいいなら……」

 名前は「私の口出しすることではありませんね」とひとり頷いて、それからふと抱き着いたままの五条を──正確にはその体をまじまじと見た。

「しかしよく入りましたね。あなたのウエストはどうなってるんですか?もしや伸縮自在?」

「んなワケないじゃん!完璧な五条先生は体型だって完璧って話よ」

「ふむ……なるほど、納得です」

 名前の手がするりと腰を撫でる。ささやかな刺激にちょっとばかしゾクッとしたのは内緒だ。どうせ彼女にそんなつもりはないだろうから。
 五条は自分より低いところにある名前の頭を眺めた。
 長く艶やかな黒髪も、学生時代は肩口で切り揃えられていた。その変化の分だけ同じ時間を過ごしてきたのだ。改めて実感し、なんだかよくわからない感情が込み上げる。触れたいのに、触れてはいけないような、そんな錯覚。よく見知ったはずのひとが、ひどく神聖なものに見えた。……そんなバカな。

「悟さんは本当に綺麗なお顔をしていますね」

 不意に顔を上げた名前が言う。バカみたいに真面目くさった顔で、しみじみと。
 どうせそんなつもりもないくせに気安く頬に触れてくるものだから、「当たり前でしょ」と笑った口端が引き攣れた。気づかれなかったのは幸いである。

「久しぶりに見てみたかったです、あなたの女装。写真は撮ってないんですか?」

「え?なに?もしかしてそーゆう趣味?今度女装プレイしよっか?」

「いえ、遠慮します。ただ少し懐かしくなっただけなので」

「ちぇっ、ノリが悪いよノリが〜!」

 理由のつかない感覚を振り払うべく、名前の頬をつねる。
 ……ちゃんと、触れた。指先に馴染んだその感触。膚の滑らかさだとか温もりだとか、そういうものに安心する。──何より、許されているのだという実感に。
 自分は特別なのだと教えてくれる、思い知らされる。如実に、明確に、伝えてくれる名前のことは、結構好きかもしれない。

「あっ、じゃあさ、名前の制服貸してよ。まだ持ってるでしょ?前に見かけたことある気がする」

「そんなことまで覚えてるんですか……、なんか怖くなってきました」

「いや、なにドン引きみたいな顔してんの。オマエの引っ掛かりポイント意味不明だわ」

「え、普通怖くないですか?他人の家の物置のことまで知ってるなんて……」

「僕だって名前のうちくらいしか知らないよ」

「それならまぁ……いいですけど……。うーん……、いいのかな……?」

 悩む名前の前に、五条は「とにかく!」と人差し指を立てる。

「俺は名前の制服を着るから!名前も!」

「はい?」

「名前も俺の制服着ればよくない?」

「それ、私には面白みが感じられませんが。女が男の格好をするのって世間一般では面白いものですか?」

「赤の他人の評価とか関係ある?俺が楽しいからいいんだよ」

 口にしながら、『この言い方は正しくないな』と思う。楽しいとか楽しくないとかではないのだ。名前に求められたという充足感。本当はその言葉だけでも満ち足りた。満足していた。自分でも、不思議なくらい。
 でもせっかく彼女が求めてくれたのだ。滅多にないワガママ。叶えてやりたい、否、叶えなくてはならないという使命感にかられる。

「……そうですね。私も悟さんが楽しいならそれでいいです」

 ──その上、こんな殊勝なことを言うのだから。
 控えめな微笑を浮かべる名前は可愛らしかった。客観的に見ても、……主観的に見ても。
 手放しがたくて、五条はその体を抱き締め直した。何か言っているが、聞こえない。文句は聞かないことにしている。
 だから指先を擽る黒髪のことを考えた。今この瞬間も伸び続けている髪のことを。それがこの先もずっと続いていくことを、柄にもなく願ってしまった。