グロリアV


名無しのオリキャラが出てきます。注意。





 郊外の町で起きた、死者がよみがえるという奇跡。それは人の善意から成されたものではなかった。──すべては呪詛師の企てによるものだったのだ。

「自分で呪い、自分で祓う──こういうのを世間ではマッチポンプと呼ぶのでしたね」

 夜の帳の降りた山中、名前は件の呪詛師に続けて問いかける。「目的は?」と。
 その質問に、男は笑って答えた。

「金に決まってるだろう。追い詰められた人間は金払いがいいからな」

 そう言った男の傍らには一匹の狼が睨みをきかせている。
 ──護法童子法か。名前は「そうですか」と応じながら、冷静に観察していた。
 動物霊を護法にすることはままあると聞く。ならばきっともう一匹が人質の方にいるのだろう。護法童子は二匹で一対となっている場合が多い。
 『恵くんを向かわせてよかった』と名前は内心で思う。今の彼ならば問題なく対応できるだろう。
 けれど男はそんな名前をせせら笑う。

「あんな子どもに何ができる?私に指一本でも触れてみろ、人質もろとも食い殺してやるぞ」

「人質……せっかく命を救ったのに、その相手をもあなたは再び手にかけようと言うのですか」

「私が救ってやったんだ、その命をどう扱おうと私の勝手だろう?まぁそもそも呪いに侵されたのも私がやったことだが」

 男が人質にとったのは、奇跡を体験した者とその家族だった。
 一般人を見殺しにはできまい、何せ呪術師はそういう奴らを守るために存在しているんだからな──男は名前と伏黒を無力と断じ、嘲笑った。手出しなどできないと、見逃すことしかできないのだと、高を括っていた。

「……会話になりませんね」

 バカにされるのは構わない。別に好きなように言ったらいいと名前は思う。
 呪術師を愚かと言う辺り、恐らくこの男は一般家庭出身だ。そういった生まれの者は家による縛りもなく、高専の目に止まることもなく成長し、やがては呪詛師に成り果てる場合が多い。御三家の人間がそれ以外を呪術師に非ず、と考えるのはそのためであろう。
 けれど問題なのは生まれではないと痛感した。このねじ曲がった性根は男の選択した結果だ。例え御三家に生まれていたとしてもどこかで道を踏み外していただろう。そう考え、名前は冷めた目で男を見た。

「一度起きた奇跡はもう呪いなんですよ。これから先、あの方たちはずっと、死にゆく瞬間にも夢を見てしまうんです。あの時のような奇跡がきっとまた起きるはず、と。残酷なことだとは思いませんか?」

「知ったことじゃないね。バカだから利用される。それだけさ」

「……やはり対話は不可能なようですね」

 溜め息をつき、名前はその吐息でもって天狐を喚び出した。
 名前の目的は呪詛師の殺害ではない。他の被害者を把握するためにも捕縛が最優先。となれば全力を出すまでもない、この4つの尾を持つ狐で十分こと足りる。難しいのは被害にあった者たちのその後のケアだ。奇跡など存在しないと思い知らせることの方が、ずっと気が重かった。

 ──だから。

「どうぞ全力で向かって来てください。半殺しにしてさしあげますから」

 名前は拳を握り締めた。ボコボコに殴って、その腐った性根を叩き直してやらなければ気が済みそうになかった。





「……やっぱりアンタひとりでもよかったじゃないか」

 気絶させた呪詛師を縛り上げているところで、伏黒が帰ってきた。暗がりでよく見えないが、酷い怪我は負っていないように見受けられる。やはりこの呪詛師には見る目がなかったらしい。
 名前は得意な気持ちになって、男を地面に転がした。当分起きないだろうし、起きても逃げ出せないようきつく縛っておいたからもう安心だ。ちなみに伏黒をバカにされた分の怨みもたっぷり込めてあげた。

「そんなことないですよ。恵くんが人質の方々を守ってくださったから私も安心して戦えました」

「けど手加減してたろ」

「まぁ少しは。そうでもしないと間違えて殺しかねませんから」

 こんなところで切り札を使うつもりはなかったから、一応手を抜いていたことは否定できない。でも舐めてかかったわけではないし、油断していたつもりもなかった。
 それだけはわかってもらいたくて、「遊んでいたんじゃないですからね」と訴えかける。
 ……けれど、返ってきたのは沈黙。梢がかそけき音を立てるばかり。名前は目の前の少年の名を呼ぼうとして、躊躇った。宵闇の中では輪郭すら朧。表情が掴めず、立ち上がるタイミングすら見失ってしまった。
 所在なく、名前は呪詛師の長い黒髪を手慰みに弄った。結い上げ、そうしてみてから改めて男の顔を覗き込み、違和感に苦笑した。

 ──やっぱり、夏油先輩とは似ても似つかない。

 同じ呪詛師、似たような特徴を持ち合わせていたとしても、この男には大義も夢も何もなかった。そしてそれは名前にとって絶対的な差でもあった。
 郷愁の念を振り切り、握っていた手を離した。黒髪は夜に紛れて散っていった。春の爽やかな風が頬を撫でた。けれど名前が想うのは去年の冬のことだった。凍えるように寒い、12月のことを思い出していた。

「……アンタ、本当に1級の器か?」

 不意に伏黒が口を開いた。彼は呪詛師を見、それから名前に目をやった。

「こいつだって決して弱いやつじゃなかった。護法童子法を使えるくらいだ、最低でも2級程度の力はあった。それをアンタは……」

「……褒めてくださりありがとうございます。でも1級より上というのはちょっと……。さすがにあそこまで規格外ではありませんよ」

 彼の言わんとすることを察し、名前は微笑んだ。
 言葉通り、遠回しの賛辞は素直に嬉しい。それが彼からのものならなおさら。
 けれど特級はそのような次元ではないと名前は理解している。名前の知るいずれも、特別な星の元に生まれた人だった。……自分とは違う。周りの環境に恵まれた、そのためにここまでやってこられた。自分ひとりの力では、1級にだって辿り着けなかった。

「それに私は今が一番ちょうどいいと思ってるんです。だってほら、1級なら後進の育成を任してもらえるでしょう?五条さんが先生として頑張っている分、私も若人を教え導いていきたい。だから1級がぴったりなんです」

「……ここでも五条先生か」

「尊敬する先輩ですから」

 言い切ると、何故だか呆れられた。

「名前って人を見る目だけはないよな」

「まさか。逆にそれだけは確かだと思っていますよ。私の目に狂いはないです」

 今でも尊敬している。最強の呪術師であり続ける五条悟も、己の信じた大義のために命を賭けた夏油傑も。先輩である家入は勿論のこと、同級生である七海や灰原、後輩の伊地知……皆のことを、尊敬に価する人だと思っている。
 そしてそれは、目の前の少年だって例外ではない。

「恵くんのことも尊敬してますよ。お姉さんのためにこの世界を選んだ、キミのことも」

 名前は力の抜けた呪詛師の体を抱え上げた。補助監督は既に呼んである。さっさと高専に戻って、牢屋にでもぶちこんでもらいたいところだ。

「さ、帰りますよ、恵くん」

 呼びかけると、ハッと息を呑む音がした。慌てて駆け寄ってきた少年は「そいつは俺が背負っていく」と言い張って聞かない。
 思えばいつの間にか身長も抜かされてしまった。これからもっと差は広がっていくことだろう。それが寂しくもあり、喜ばしくもある。守られるべき少年は、もう誰かを守る側の人間になっていた。

「ではお願いしましょうか」

 なんだか温かい気持ちになって、名前は頬を緩めた。

 ──やっぱり私の見る目は正しかった。

 その確信に、声も心も弾んでいた。