思いがけず得た休日を満喫した、その翌日。たった一日の間に、公安内部の関係図は随分様変わりしてしまったらしい。デンジの相棒にはサメの魔人、ビームが宛がわれ、血を飲みすぎたパワーは公安預かりの身に逆戻り。
そしてバディを喪ったアキには──
「……どうしてアキくんの相方が天使くんなの」
「さあな、マキマさんの考えだ」
ぶすくれる名前に、しかしアキの方はそっけない。
「他に空いてる人間がいなかったんだろ」
そう言って、疲れた様子で首を回す。
思えば特異課所属の人間も随分と減ってしまった。生き残ったのは悪魔や魔人ばかり。彼らは人間のバディがいなくては自由に街を出歩くこともままならないのだから、まぁ納得の人選ではある。
でもだからって簡単には受け入れられない。相変わらず一人ぼっちの名前は「ずるい」と歯噛みする。
「ずうっと二人とバディを組みたいって言ってたのに。なのにアキくんも天使くんも取られちゃうなんて!私はどっちに嫉妬したらいいの!?」
「うるさ……、そんな騒ぐことか?」
「バディに恵まれてるアキくんには私の気持ちなんてわからないよ!」
うわーんと泣き真似をすると、呆れた顔で溜め息をつかれた。
「こんなとこで恥ずかしくないのか」
こんなとこ、とは。
辺りを見回すと黒いスーツ姿の人、人、それから魔人がひとりふたり。公安デビルハンター本部はなんだかんだで盛況のまま。
そのロビーで駄々をこねる名前に、特別注意を払う者はいない。知った顔は『またか』という表情であるし、知らない者は関わり合いになりたくないと見なかったふり。日も暮れかかり、夜勤の者以外は皆一日の無事を喜び、家路につく。
その一人であるはずのアキを引き留めているのは他でもない名前だ。今さら恥ずかしくはないけれど、彼の頬に貼られたガーゼの痛々しい様子を見て、掴みかかった手から力を抜いた。
「……ごめん、アキくんはまだ怪我も治っていないのに」
「いやこれはパワーが、」
「そうだ!お詫びに治してあげるよ。これじゃあせっかくの色男が台無しだもん、もったいないもったいない」
「いやだからいいって」
「ほらほら動かないで。痛いの痛いの飛んでいけ〜!」
「子どもか」
失礼な。「これはれっきとした治療法ですぞ」今でも手当てという言葉が使われているが、かつては『ロイヤル・タッチ』といって、王が患者に触れることで癒してきた歴史もある。
それに聖書には病や怪我を治す奇蹟が数多く記されている。だからこの程度、名前にとっては造作もないこと。ガーゼを剥がし、顰めっ面のアキの頬、真新しい傷痕に、唇を寄せる。
「……どう?すっかり痛みも引いたでしょう?」
「あぁ、……けど、触れるだけで治せるんじゃなかったのか?」
「治すのにも色々と制約があるのですよ」
まぁ、嘘なんだけどね。
でも本当に触れただけで治せてしまえたら──もしもそんなことが広まったら、きっと訝しむ人も出てくるだろう。
「ほら、舐めれば治るって言うでしょう?」だから適当な理由をでっち上げて、周りの見えないところで悪魔の力を使った。これなら誰も気づかないし、傷つかない。
「……一応、礼は言っておく」
目の前にいた、彼ですら。
「ふふん、もっと盛大に感謝し、神のように崇め奉ってくれてもよいのですぞ?」
「わかった、対価は今日の夕飯でいいか?」
「もっちろん!」
というか、最初からそれが目当てだったりなんかして。
目論み通りに事が運んで名前は思わず「やったー!」と万歳三唱。喜んでいると、「ずいぶん安上がりな神様だな」と笑われる。
「別に特別なものを作る予定はないからな。ちょうどパワーの分が余っていたからで……」
「それでもいいの。私にとってはアキくんの手料理っていうのが重要なんだから」
歩き出した彼の隣、名前は鼻歌混じりに答える。今度は嘘偽りなく、本当に。心の底からそう思っていたから、答える口許にも自然と笑みがこぼれた。
「それよりパワーちゃんは?まだ帰らせてもらえないの?」
「ん、あぁ……、どうやらそうらしい。血を抜くにも時間がかかるんだとか」
「へー……、パワーちゃんも苦労してるんだねぇ」
「自業自得だろ、マキマさんに止められてるってのに血を飲みすぎたんだから。それにこういう経験もたまには必要だ。パワーにはいい薬になる」
「おお〜、アキくんもすっかりお兄ちゃんだね」
名前は気の抜けた声で乾いた拍手を送る。
元から面倒見のいい彼ではあったけれどこのところ特に顕著だ。いや、もっと正確にいうなら、デンジと同居を始めてからか。マキマに『早川家』と呼ばれている通り、アキは二人の父親であり兄であった。
……当の本人は「やめてくれ」と顰めっ面をしているけれど。
「デンジくんはまだ帰ってないんだね」
早川家の玄関を跨ぐも、室内はもぬけの殻。しんと静まり返っていたから、名前は目を瞬かせる。
珍しいこともあるものだ。今日は大きな事件もなかったというのに、日課のパトロールが長引いてしまうなんて。それともどこかに寄り道を?だとしたら夕飯までには帰ってくるのだろうか。
「ああ、デンジなら今日は遅くなるって」
冷蔵庫を開けながらさらりと言ってのけるけれど、以前の彼だったらこうは答えまい。名前は不思議な気持ちでアキの背中を眺めた。
どんなに友好的な顔をしていたとしても、デビルハンターにとって悪魔も魔人も等しく脅威であり、警戒すべき存在でしかない。そう教えられてきたし、そう教えてきた。
でも変わってしまった。公安いちの悪魔嫌いと名高い彼ですら、変わった。移りゆく時の中で生きる人間だからこそ、変わることができた。
……他の何者にもなれない、
「珍しいね、デンジくんが夕飯までに帰ってこないなんて。また何か事件に巻き込まれてるとか……そういうのじゃないよね?」
「まさか。マキマさんに呼ばれただけだ。本人はデートだなんだと浮かれてたけど」
「ふうん?そうなんだ……」
それは寂しいな、デンジくんがいるだけで部屋が明るくなるから。でもデートならしょうがないね。それも相手がマキマさんなら……
「……マキマさん?」
「ん、ああ……」
「マキマさんとデンジくんが今一緒にいるの?」
「だからそう言ってるだろ」
「そ……っ、れは、そう、だけど……!」
マキマさんとデートだなんて!デンジくんのことなんかペットの犬くらいにしか思っていなかっただろう、『あの』マキマさんが!
驚天動地、吃驚仰天。あまりの急展開に思考も急旋回。口をパクパクさせ、名前は言葉に詰まる。
対照的に、アキの方は冷静そのもの。『何を驚いているんだ』とばかりに黙々と夕食の準備を進めている。デンジのデートよりもピーマンに挽き肉を詰める方がよほど重要だとでもいわんばかりだ。
こんなの彼らしくない。だって、以前の彼だったら──
「……どうしてアキくんは落ち着いていられるの?」
「逆に何でそんなに動揺してるんだ?」
「それは、だって……」
名前はもどかしい気持ちで言い淀む。
だって、だって……そんなのおかしいよ。そう思うのに、思うだけで、続く言葉が思い浮かばない。理由がわからない。わからないけれど、違和感だけが喉元に引っ掛かっている。
「アキくんは、嫌じゃないの?」
「……お前は嫌なのか?」
嫌?何が?誰が?
……わたしが?
「嫌じゃ、ないよ。嫌じゃない、私は……私はただ、」
──アキくんは、私と『同じ』だと思ってたのに。
「……悪いやつじゃないからな、デンジは」
「そっ、か」
……それだけ?本当に、それだけなの?
肉の焼ける音がする。夕日の差し込むキッチン、彼の横顔が橙色に染まる。
そういえば、煙草の臭いがしない。いつからだろう?いつから彼は煙草を吸わなくなったろう?いつから彼は変わってしまったろう?いつから私はその変化を喜べなくなったのだろう?いつから私は──、
「ほら、口開けろ」
「なに……むぐっ」
突如として口内に押し込まれたモノ。熱い肉汁、ピーマンの微かな苦み、それらを咀嚼し、飲み下す。
そうしてわかったことといえばただひとつ。
「……おいしい」
「そりゃよかった」
もぐもぐもぐ、ごっくん、「ほら、」「ちょっ」待って、と。開きかけた口に、またしても放り込まれた獲物。ピーマンの肉詰めを、今度こそ味わいながら噛み締める。
「……アキくん、私を黙らそうとしてない?」
「お前がおかしなことでおかしな顔をしているからだろ」
「……別に、おかしくないもん」
おかしいのはアキくんだよ。
どうしてそんな平気な顔をしていられるの。マキマさんが、マキマさんじゃなくなるかもしれないのに。それを私はずっと待ち望んでいたはずなのに。マキマさんのこともデンジくんのことも大好きなはずなのに。
──なのにどうして私は素直に喜べないの?
「腹が減ってるんだろ」
「……そういう問題?」
「そういう問題だ、人間なんてものはな」
「……そっ、かぁ」
アキくんが言うなら、きっとそうなんだろうね。
「ねぇねぇ、私に手伝えることってある?」
「それなら洗濯物畳んでおいてくれ」
「合点承知の助!」
「それ死語だぞ」
「ウソッ!?」
言葉を交わしながら、『不思議だなぁ』と思う。
彼の態度、言葉のひとつで一喜一憂。心を曇らせるのも、その雲を晴らすのも、どちらも彼が与えてくれて。それがおかしくて、不思議で、なのになんだか嬉しくて。
『喪いたくないなぁ』なんて、思ってしまうのだった。