わたしの骨の骨、肉の肉


 デパートに入った途端、襲い来る人形の群れ。元は人間であったはずなのにその顔からは表情も生気も感じられない。規則的な動きを繰り返すだけの、無機質なマネキンたち。彼らはしかし、明確な目的を持って動いていた。

「いやだ、すっごく不気味」

「これならチャッキーの方がよっぽど愛嬌があるよね」

 軽口を叩くヒロフミに頷き返しながら、精製した剣で人形の首を落とす。
 ゴトン、と重たい音を響かせて、階段を転がり落ちていく生首。切り裂いた感覚は乾いたもので、血が流れることもなければ臓物が飛び出してくることもない。でも元は普通の人間だと知っているから、いい気分はしなかった。人形の悪魔は趣味が悪い。それに、性格の方も。

「気をつけてね、吉田くん。お人形のキミとじゃあ仲良くできそうにないから」

「冷たいなぁ。人形になっても可愛がってよ」 

「そういうのは私の趣味じゃないの」

 冗談を言い合いながらも、背中には冷や汗が滲む。
 人形の集団。一体一体の戦闘力は低いが、何しろ数が多い。多すぎる。その上衣服にでも触れられただけでアウトだなんて。名前は先を行くデンジたちに視線を走らせる。
 半分悪魔のデンジくんに人形化の心配がないのは幸いだった、と名前は思う。アキくんのことは……天使くんが守ってくれるだろう。二人はバディだし、いま最優先で守らなければならないのはデンジくんだけだ。その他の犠牲については割り切らなくては。すべてを守ることなんてできないんだから。
 でも、それでも──

「……っ、と」

 思考に沈みかけたところ、顔のすぐ横を何かが過った。
 それが蛸の触手であると知ったのは、眼前で人形の一体が腕を捩じ切られた後のこと。いつの間にか死角から迫ってきていたらしい。危うく顔面を刺し貫かれるところだった。そうなっても死にはしないが、人外であると露見するのは避けられなかったろう。

「ありがとう、助かったよ」

「礼には及ばないよ。俺だって人形の名前相手じゃ楽しくないし」

「なぁんだ、キミだって可愛がってくれないじゃない」

「俺はこうやっておしゃべりできる名前のことが好きだからね」

 ふ、と。口端に上るのは吐息混じりの微笑。背後では触手が蠢き、人形たちが部品と共に命を散らす。辺りは喧騒に満ち、混沌がその場を支配する。
 そんな中で笑う彼は、さながらスクリーン越しの役者のよう。現実感に乏しく、不思議な気持ちにさせられる。

「キミってやっぱり変わってる。死ぬのは怖くないの?」

「怖いよ。でも俺のことは名前が守ってくれるでしょ?」

「当たり前じゃない」

「だからだよ。名前のことは俺が守るし、ふたり一緒に死ねるなら……ね?終わり方としてはそんなに悪いもんじゃない」

 名前は目を瞬かせる。
 「そうかな」「そうだよ」間髪入れずの断定。言い切る彼の眼は底知れず、それ以上の否定は湧いてこない。
 その脇を人形の首が転がり落ちていく。ゴロゴロ、ゴロゴロ、ゴトリ。ひしゃげた顔の、割れた目玉が無機質に見上げてくる。
 透明感を喪った、からっぽの眼。やがて訪れるその時のことを考えたくはなかった。考えないようにしてきた。
 ……けれど。

「……そうかもしれないね」

 名前はヒロフミの眼を見つめ返した。瑞々しい光輝を湛えた黒色の眼。その眼の中に、束の間、永遠をみた。永遠に美しく煌めくもの。
 それは白昼夢であったのかもしれない。だとしても今みたものは真実だ。永遠を、その幸福について考えてしまった。

「名前──、」

 何事か言いかけた、その刹那。
 風が吹いた。横殴りの、鋭い風。
 ……屋内なのに?
 おかしい、と思う間もなく、身体は反射的に飛び退く。
 それは女だった。風のように鋭く、身が竦むほど冴え冴えとした空気を纏うひと。……そう、人間だ。悪魔の臭いを内に秘めた、にんげん。
 けれど一瞬判断に迷った。その眼は人形のように無感動で、でも人形のよりずっときれいだったから。透徹した双眸に射抜かれ、目が眩んだ。
 その一瞬のうちに決着はついていた。フロア一帯のすべてのもの、人形から人間、そして悪魔に至るまで、すべてが地に伏していた。……名前を残して。
 名前は剣を構えた。「吉田くんを離して」敵わない、と思った。でも声が震えるのも、切っ先がブレるのもそのせいじゃなかった。女の、その手に握られたナイフがヒロフミの首筋に宛てがわれているからだ。
 ナイフはあと数ミリで皮膚にめり込むところだった。その先の未来を想像して、名前は唇を噛んだ。
 こわかった。たまらなく恐ろしかった。美しいものが永遠に喪われてしまう、その予感でさえ途方もない恐怖を生んだ。

「……お嬢さんと争う気はないよ」

 淡々とした声と共に、ナイフが静寂の中に落ちた。
 女はゆっくり両手を挙げ、空っぽの手のひらを晒した。最もわかりやすい降参の意だ。
 だけど名前は何もしていない。剣を構えた格好のまま、呆然と立ち尽くしていた。

「なぜ?どうして……、あなたは私よりずっと強いのに」

「うん。でも私はお嬢さんを殺したくない」

 これは何かの作戦だろうか。油断を誘って……、でもそんな必要あったかしら?
 混乱する思考を無理やり稼働させたが、答えはさっぱり。どうして、という問いだけが名前の脳内を駆け巡る。
 そんな状態であったから、女が地を蹴ったのにも、そのしなやかな腕で組み敷かれたのにもまったく対応できなかった。

「うっ……うぅ」

 気づいた時にはもう遅い。女性らしく柔らかな身体からは考えもつかないくらい強い力で地面に縫い留められてしまった。藻掻いても足をバタつかせても無駄だった。
 女は、「大人しくしてくれると助かる」と耳元で囁いた。「傷つけるのも本意じゃない」じゃあ何がしたいのだろう。情けなさに視界を歪ませながら、女を睨む。
 と、名前を見下ろす目が僅かに和らいだ。

「……近くで、見たかったから」

 女の手が、柔らかい親指の腹が、名前の頬を撫でる。輪郭を下から上へとなぞり、行き着く先は目許。目尻を数度擦り、女は「うん、」とひとり頷いた。

「これが見たかったんだ」

 きれいだ、と言う吐息が睫毛の先を震わす。擽ったさに背筋が疼く。こんな時なのに。今この瞬間、命を奪われても不思議じゃないのに。なのに身を捩ったのは抵抗感からというよりは殆ど本能のようなもので、先程とは別種の恐れが名前の胸に芽生えていた。
 これはマズイ。何が、とは言えないけれど、ともかくまずいのだけはわかる。今すぐ離れなくては。この、やけに優しい手つきから逃れなければ──自分が自分でなくなってしまう。

「俺の部下から手を離してもらおうか」

 予感が現実になる。その前に、拘束が解かれた。足音もなく現れた岸辺、女を「クァンシ」と呼んだ彼によって。





 ひとまずの危機は脱した。が、結局その後すぐ、二度目の敗北を迎えた。今度はビルの外まで吹っ飛ばされるというやり方で。

「嘘つき」

 傷つけるのは本意じゃないって、殺したくないって、そう言ったのに。
 やっぱり嘘じゃない、とクァンシがいるはずのビルを睨めつける。どうやらいいように弄ばれたらしい。裏切られた気分だ。……まぁ、最初から敵だったんだろうけど。

「大丈夫?」

 先に蹴り飛ばされていたヒロフミに聞かれ、頷く。タコによって宙釣りにされた、そんな間抜けな格好のまま。

「ありがとう、また助けられちゃったね」

「間に合ってよかったよ」

 どうやって降りようかと考えていると、脚に巻きついていた触手がパッと消えた。代わりに、ヒロフミの両腕に抱き留められる。器用にも、いわゆるお姫様抱っこという形で。思わず、腕の中で拍手してしまう。

「すごい。様になってるね」

「でしょ?好きになってくれてもいいんだよ」

「友達としては一番好きだよ」

 平時と変わらぬ会話を交わしながら、地面に降ろされる。

「うーん、もう一声欲しいなぁ」

「ごめんね、そっちの一番はとっくに明け渡しちゃってたみたい」

 するりと出てきた言葉に、名前は自分で驚いて──それから納得した。
 見ないようにしていたもの、認めてはならないと思っていたもの。そうして目を逸らしているうちに、肥大化してしまったどうしようもない感情。
 永遠を夢見た。でもそれ以上に駆け抜けていく刹那に惹かれてしまった。神様を恋慕う本能とは別に、心は恋い焦がれた。そんな自分を認めるしかなかった。もう、口に出してしまったのだから。だから、しょうがない。

「……それならしょうがないね」

 心を見透かしたみたいに彼はわらった。
 魂の半身というものがいたなら、それはきっとこの人なんだろうと名前は思った。だからこの胸の痛みは永遠だ。永遠に、この空虚が埋まることはない。
 先行きを示すかのように、足許に影が落ちた。頭上を仰ぐと、鳥の群れが飛び去っていくのが見えた。
 ……なんだか胸騒ぎがする。

「早くみんなのところに戻らないと」

「そうだね」

 慌ててデパートに駆け込む。
 そして、世界は暗黒に包まれた。