私の幸福

 キュラソーのゴンドラが見えてくる頃、突然園内の照明が消え始めた。それは観覧車も例外ではない。「くそっ」コナンは歯噛みした。赤外線モードにした眼鏡で目を走らせれば、視界に軍用ヘリが飛び込んでくる。アームを生やしたそれは、徐々に降下していた。

「まさか、ゴンドラごと……!?」

 その言葉に、名前は息を呑んだ。なんて大胆。けれどジンらしいといえばそうかもしれない。目立つということは寿命を縮めるのと引き換えだというのに。
 名前は脚に力を込めた。「一気に行く」キュラソーの匂いを頼りに、ゴンドラからゴンドラへと飛び移る。風が、二人の頬を叩きつけた。
 けれど残り三つを数えた時、キュラソーが乗っているはずのゴンドラの天井が開いた。開け放たれたところから飛び出す人影。「あれは……!」風に靡く長い髪。けれど何より、その匂いが名前に確信を持たせた。

「キュラソー!!」

 声が届いたのは、揺れた人影から分かった。だが彼女は止まらず、レールの影に消えていった。

「どういうことだ……?」

 天井の開いたゴンドラの中には、気絶した男が一人いるだけだった。ということは、先ほどの人影がキュラソーだったのは間違いない。しかしその動機がコナンには分からなかった。組織のヘリはすぐ上空まで来ている。公安以外の妨害者がいることを組織もキュラソーも把握していない。彼らの計画はつつがなく進行しているのだから、キュラソーはただ待っていればいいだけではないのか。それとも、何か別の考えが……?
 探偵の性に陥っていた少年の目を覚まさせたのは、ヘリのローター音だった。見上げれば、アームがもうすぐそこまで迫っている。

「どうする?」

「とりあえずこの人を起こさないと!」

 名前とコナンはゴンドラの中に飛び込んだ。「おじさん!起きて!!」名前の腕から抜け出たコナンが、男の身体を揺さぶる。一発殴れば起きるのではないか。そう考えた名前は、拳を握ってから思い出した。男が、透の仲間だということを。護らなきゃ――名前は男の肩を抱いた。

「このまま担いで行こう」

 迫るアームを一瞥し、二人は頷き合った。時間がない。外も安全ではないが、ゴンドラごと捕まったらそれこそ終わりだ。名前は男を肩に担ぎ、もう片方の手でコナンを小脇に抱えた。そしてゴンドラを抜け出すと、レールの間に体を滑り込ませ、観覧車内部へと戻った。

「お姉さん、この人を安全な場所まで送り届けてくれない?」

 コナンがそう言ったのは、狭い通路を走っている時だった。「この人を連れたままじゃ、」彼は言葉を探すように、目を彷徨わせた。気絶した男が邪魔だ――というのは角の立つ物言いだ。そんな逡巡を察して、名前はコナンを下ろした。そして少年の目線に合わせてしゃがみ込む。

「……無理はしないで」

「うん、大丈夫だよ」

 少年は軽く笑った。無邪気な、と形容されそうな笑顔。それでも名前には分かった。これは、嘘つきの笑い方だ。きっとこの少年は無理なんて押し通してしまう。

「生きてさえいれば、それでいい」

 だから名前は気づかないふりをした。笑って、それから額に唇を落とす。「頑張って」名前は少年に背を向け駆け出した。思うのは、透のこと。生きてさえいればいい。そしてまたいつも通りの日々に戻れたら。それこそが名前の幸福だった。