司書と啄木と嵐の夜の恋

 彼は口癖のように自身を卑下する。

「俺様なんかといたってロクなことになりゃしないぜ」

 たとえばどんな?そう名前が訊ねると、にいっと口角を上げた。嫌なわらい方。染み付いた自虐のそれ。

「たとえば?そうだなぁ、やっぱり一番あり得るのは借金取りに追われるとかだなぁ」

 お嬢様には刺激が強すぎるだろと彼は言う。お嬢様。その響きにはからかいが混じっていた。
 だから名前はムッと彼を見上げた。

「なら借金をしなければいいじゃありませんの」

「できると思うのか?」

 名前は即答した。「無理でしょうね」だろう?とやっぱり彼はわらう。

「だからいつかお前も……」

 その先を彼は濁してしまう。いつも、いつも。口をつぐんで、飲み干して。自分だけのものにしてしまう。
 なのに、名前の手は離さない。今このときも。仮初めの楽園で。白い白い波に溺れ。つかの間の小さな世界でささめき合う。

「……ねぇ、啄木さん」

 ベッドは海のようで。シーツは波のようで。そんなことを考えていたから、ふと頭に浮かんだ。「Wild nightsよ」Wild nights! Were I with thee, Wild nights should be Our luxury! ーーつまりはそういうことなのだ!
 素晴らしい思いつきだと思った。昔の人はなんて素晴らしい言葉を紡いだのだろう、と。

「ねぇ、あなただって詩人なのだからわかるでしょう?」

 隣で同じように海に沈む啄木に、名前は囁いた。「あぁ、海よ」ここはエデンの園。嵐なんて気にならない。だって心は満たされているのだから。

「あ゛ー……」

 名前が微笑むと、彼は目元を右手で覆った。くしゃり、と金糸が指に絡まっている。「啄木さん?」これでは顔が見れないじゃないか。そんな不満が名前の声からは滲んでいる。

「ねぇ、お顔を見せてくださいな」

「……やだ」

「まぁ、意地悪を仰らないで、ね」

「わかってて言ってるだろう……」

 名前はにこりとした。

「あら、わたくしにはあなた様のお顔の色なんてわかりませんよ」

 彼が顔を上げることはついぞなかった。不貞腐れたように寝返りを打って、そのまま眠ったフリをし始めたからだ。名前もこのときは深追いせず、「おやすみなさい」とくすくす笑いながら、灯りを消した。
 影響は後日以降に表れた。
 いつものように自虐しようとした啄木が途中で止めてしまったのだ。

「続きはよろしいの」

 わざとらしく訊ねると、彼は微かに頬を紅潮させた。「……なんでもない!」声だけ残して逃げ去る背に、名前は笑みを隠しきれない。

「なんてかわいらしい……」

 君のかわいいの基準がわからないよ、と言う秋声の声は名前には届いていなかった。






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エミリーディキンソンWild nights! Wild nights!より。
思いついたのでネタだけ上げておきます。そのうちちゃんとまとめてifの方に上げたいですね。