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嫌な夢を観た。
内容は曖昧だけれども兎に角、物凄く嫌な夢だという事だけは憶えていた。震える手を無理矢理に抑えて起き上がる。時刻は6時半、外はもう明るい。

「…やっぱり家で寝た方がいいかな」

昨日は仕事の終わりが見えているしと完成させたい一心で延々パソコンと睨めっこをし、完成したのが日付の変わる頃だったのでそのまま事務所へ泊まった。
この物件に決めたのは、家賃は勿論の事であるけれども応接室兼事務所と、隣に仮眠用の私的スペースを持てる造りであることが大きかった。何度か下見に来た時は何時も上階は静かだった為に、4階の武装探偵社が物騒な異能集団だと知ったのは事務所を開いてから2週間後のことだ。
初めて彼らに仕掛けられた襲撃を目の当たりにして仰天したのはまだ記憶に新しい。

「珈琲…」

再び寝る気にはなれなかったので取り敢えずと珈琲豆を探して取り出した。依頼者が来た時には速さ優先で自動のものを使用するけれど、本来ならば私はハンドドリップ派である。ここ数日機械にばかり頼っていたので久々に自分で珈琲を淹れようと意気込んだ。

「…うん、まあまあかな」

自分で淹れた珈琲はやはり自分好みで美味しい。事務所のソファへ腰掛けてテレビの電源を入れると、昨夜ヨコハマの街で起こったマフィアの抗争についてのニュースが報道されていた。やはり此処は物騒な街だ。一人呟きながらもどこか他人事に感じている自分がいて、見慣れた町並みから濛々と煙が上がる映像を見ながら涼しい顔で珈琲を飲む私は何処か薄情であろうかと少し心配になった。







「なまえ、あんた最近ちゃんと寝てるのかい?酷い顔色だよ」
「あはは、大丈夫ですよ」

仕事終わりに約束をしていた与謝野さんと連れ立って何時もの居酒屋へ向かうと、席へ腰を下ろすなり苦笑いを浮かべながらそう言われてしまった。
寝不足の原因は分かっているけれど、「また何か変な事でも有ったんじゃあないだろうね」と眉を顰める与謝野さんには曖昧に笑って、何を飲みましょうかと品書きを広げる。今日は国木田さんが後で合流する予定だったので、カウンターではなくテーブル席へ通された。

「それで?」
「え?」
「あんた国木田と如何なってるんだい」
「…………えっ?!」

余りにも予想外の事を聞かれたので、店に響き渡るくらいの素っ頓狂な声を上げてしまった。店内にいる他の客からの視線を物ともせずに、与謝野さんは涼しい顔でグラスを傾けている。私は何と答えればいいのか迷った挙句、「如何というのは、如何いう…?」と聞くくらいしかできなかった。

「じゃあ太宰かい?それともまさか、乱歩さん?」

何処かで聞いた様な問いに、私は思わず苦笑して、グラスに口をつける。与謝野さんはニヤニヤと意地悪な笑みを浮かべていたけれど、しばらくしてふうと息を吐き出した。

「………探偵社の女連中が興味津々なんだよ、聞いて来いって煩くてねぇ」

妾も興味がないわけじゃあないけれど、と付け足す与謝野さんの目は確かに意味ありげにキラリと光った。所謂ガールズトークというものに興味がある人だとは思っていなかったので、意外に思いながら品書と睨めっこする。そんな事で許してもらえる筈はなく、如何なんだともう一度念押しされて、私はウウンと唸った。

「私はそんな、誰とも」
「ふぅん」
「…与謝野さんニヤニヤするのやめて」
「国木田の奴なんて今日一日中そわそわしてたよ。あんた意外に罪なやつだねぇ」
「何ですかそれ、もう。」

知らないふりをして笑うと、与謝野さんはちょっと不服そうな顔をしてからそれでも笑って私に酒のお代わりを勧めてくれた。与謝野さんは物言いもはっきりしているし、さっぱりしていて付き合いやすい。真っ直ぐなところは時々眩しいけれど。

「ねぇ与謝野さん、裂き烏賊の天麩羅、頼んでもいいですか?」
「もちろん。」

随分とお酒も進んで良い気分になってきた。女性2人で飲んでいると声をかけられる事も少なくは無いけれど、与謝野さんと2人の時は安心して酔える。
「私お代わりで」「じゃあ妾も」調子良く次を頼んだところで、居酒屋の入口の所に現れた人影に私は軽く手を挙げて合図した。釣られて与謝野さんが振り返る。
ぐいと眼鏡を押し上げた国木田さんは、恐ろしく無駄のない動きで私たちのテーブルへ近づくと、向かい合って座った私と与謝野さんとを見比べてから、私の隣へすとんと腰を下ろす。いつも以上に背筋の伸びた彼に「飲み物は?」と尋ねると、うんと悩んだ後に「…麦酒を」と呟いたので、元気の良い店員を呼んで注文した。与謝野さんがにたりと笑う。

「妾の隣よりなまえの方が良いってのかい」
「かっ揶揄わないでください!」
「もう、与謝野さん。椅子にそんなに大きな荷物置いていたら、此方側に座るしかないでしょう」

指差すと「態とだよ」と言ってカラカラ笑う。その隣の椅子は重たそうな大きな鞄が陣取っている為に、国木田さんは座りたくても座れないのだ。
私達のお代わりと国木田さんの麦酒が運ばれてきたので、景気良く乾杯する。 ちびりと飲んだ私とは逆に、与謝野さんはググッとそれを飲み干すと、鞄を掴んで立ち上がった。

「じゃあ、妾はこれで失礼するよ」
「え?与謝野さん、」
「後は二人でごゆっくり」

妙に含みのある言い方をして、テーブルの上にお札を数枚置くと、私達が止めるのも聞かずに与謝野さんはさっさと出て行ってしまった。
後に残された私と国木田さんの間に、なんとも言えない空気が流れる。

「……あ、私、席を、」
「否、俺が」

与謝野さんと鞄がいなくなった時点で、二人で並んで座るのは不自然だ。国木田さんがさっと席を移動してくれたので、浮かしかけた腰を元に戻す。そわそわと落ち着かない様子の国木田さんに「まぁ、飲みましょうか」と声をかけて、意味もなく本日何度目かの乾杯をした。




161206

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